マグロの一本釣りで有名な本州最北端の町、青森県大間町。津軽海峡に面したこの町では今、大間原子力発電所が建設中だ。電源開発は2008年から工事に着工、2011年の大地震の後いったん中止したが、2012年10月に工事を再開した。

 大間原発は、ウランとプルトニウムの混合燃料であるMOX燃料を全炉心に装荷するという世界に例がないフルMOX原発だ。このため通常の原発よりも危険性が高いと指摘されている。福島原発事故後は、対岸の函館市長らが国や電源開発に対して建設無期限凍結を要請しており、反対の声は次第に広がっている。

 そうしたなか6月15日と16日、大間原発建設中止を求めるロックフェスティバル「大MAGROCK」が開催された。フェスティバルは今年6回目で、大間原発敷地に隣接した反対地主の共有地で行われた。ちなみに 大MAGROCKは2013年度アクティオ助成金選考会での受賞企画でもある。

◆原子炉から250メートルの「あさこはうす」

 15日、埼玉から電車とバスを乗り継いで現地に到着。バス停で降り、会場に向かう。道の脇には金網がはりめぐらされ、設置された監視カメラや看板が原発敷地であることを物語る。

 会場となった共有地は草が刈り取られ、その中央には「原発反対」と書かれた大きな看板が立っていた。その周囲には飲食物や物品を販売するブースが所狭しと並んでいる。

 津軽海峡を背にしたステージでは、ミュージシャンによる演奏がすでに始まっていた。音響に使う電源は太陽光発電などでまかなっているとのこと。ちょうど「脱原発」アイドルの制服向上委員会が、「ダッダッダッ脱原発」と「原発さえなければ」を披露。建設中の原発のそばで聴くとシュールだ。

 つづいて頭脳警察のPANTA、宮城県のシンガー・ソングライター苫米地サトロ、そして最後にランキン・タクシーが「放射能強い 放射能エライ 誰も差別しない 誰にも負けない」を歌う頃には、日も暮れようとしていた。

 この日の夕方、会場に近い大間総合開発センターで、ルポライター鎌田慧さんの講演会が開催された。主催は大間原発反対現地集会実行委員会で約180名が参加。

 全国の原発立地地域を取材してきた鎌田さんは、人目につかず人口密度が少ないところに作ろうとするのが「原発の本質」としたうえで、大間原発の立地条件を厳しく批判。

 「原発建設は周辺公衆との離隔の確保が基準に達していることが要件。10キロ圏内に9000人しかいないということで経産省は判を押したが、全くのでたらめだった。津軽海峡の向こうにある30万都市の函館の存在を知っていて知らぬ顔をした。北海道を無視した欺瞞的なかたちで始まった」

 また原発立地地域では必ず漁業者の反対運動があり、漁業関係者が反対運動の中心であったという。それを「ウソと金と暴力」でつぶして作ってきたのが原発だとし、大間原発は反対運動が継続してきたからこそいまだに完成していないと指摘した。

 鎌田さんは、原発敷地内にある「あさこはうす」の所有者、小笠原厚子さんを壇上に招いた。小笠原さんは、母・熊谷あさ子さんの遺志を継いで現在も用地を売り渡さず闘い続けている。あさ子さんの夫は「海と畑があれば生きていける」と生前語っていたという。

 当初あさこはうすは原子炉の敷地内であったため、事業者は原子炉の位置をずらした。しかしそれでも250mしか離れていない。金網で囲われた道をたどって「あさこはうす」に向かうと、目の前に建設中の原発が表れるという異様な状況が続いている。


 小笠原さんは「なかなか地元では声を上げられない。こういう形で大間以外から来て、大間原発反対を言ってくださってありがとうございます。私は55歳で大間を出ましたが、大間が大好きです。私のこのふるさとを何としてもなくしたくありません。そのために大間原発は何としても止めたいです」と語り、今後は大間に根付いて頑張ると訴えた。

◆地元での粘り強い反対運動が建設を阻んできた

 翌日、大MAGROCKの会場には入りきれないほどの人があふれかえった。地元青森だけでなく函館や首都圏から大勢が「大間原発反対現地集会」のために駆け付けたのだ。

 集会の冒頭、昨日に続いて鎌田慧さんが運動の意義を訴えた。

「ここは本州の最北端ですが、今日の集会のような形で北海道と連帯して反対運動がはじまってきたのは極めて特徴的です。どんづまりに原発をつくって反対運動を遮断するつもりだったのでしょうが、そうはいかない。大間原発はまだ原子炉に燃料棒が入っていません。闘争する時間はあります。佐藤亮一さんや小笠原厚子さんが歯をくいしばって原発の建設を阻止してきた。もう(原発を)作れるような時代ではない。(電力の)需要もないわけですから、無駄な原発をつくる必要はない。私たちの力でつぶすことが、かえって日本の経済や安全にプラスになっていく。原発をつぶして観光施設にする。記念碑にする。そういう希望がある場所です」

 続いて1976年から37年間反対運動を続けてきた元大間町議の佐藤亮一さんが原発建設の経緯を語る。1970年代に町の商工会が議会に原発誘致を請願したことが発端だったが、事業者は環境影響調査を1990年頃まで実施できなかった。

 その背景には1970年に陸奥湾の大湊港に配備された原子力船むつの問題があるという。ちょうど湾でホタテ養殖がはじまった頃で漁協は強く反対。それにも関わらず1974年に「むつ」は漁民の抗議の中で強行出港し、青森県の太平洋沖で放射能漏れ事故を起こし帰港できなくなった。以後「むつ」は日本中の港をさまよい、最終的にむつ関根浜港に係留することが決まると、漁業者は連携して反対運動を行った。そうした漁業者の強い意志があったことを忘れないで欲しいと訴えた。

 さらに熊谷あさ子さんの用地買収をめぐって自作自演の強盗事件が起きたことや、佐藤さん宅にもヤクザが訪れ「熊谷さんを説得して欲しい」と言われたことなどを語った。苦しい戦いを継続してきた佐藤さんに対して会場からは大きな拍手が送られた。

 伝法義信さんは7年前に東京からUターンし、大間に住む40代の男性。もともと原発には反対だったが3・11を経て、このままではいけないと大MAGROCKに参加するようになった。「地元目線から見ると原発でなく他の仕事があればそれで生活したいという人が多い。だから原発ではない他の発電所を作って欲しいと訴えています」。

 小笠原厚子さんは「二度とこういう(福島原発のような)事故を起こさせないためにも頑張りましょう」と決意を訴えた。

 会場となった共有地については「大間原発に反対する地主の会」代表の今村修さんが発言。

 「熊谷あさこさんと協力しながら敷地を買収することに努力しました。契約書を結んで、お金を渡して随分経ってから、それが全額返還されたことがありました。電源開発が陰でそれ以上の高いお金で買うといったようです。私たちは最終的に三反部を買収しましたが、(電源開発が)原発の位置をずらしたことで敷地は原発の外になりました」

 「これまでの漁民の激しい戦いは札束で次々と潰された。しかし根強い鋭い戦いがあったことだけは知ってほしい」

◆プルトニウムの「焼却炉」なんていらない

 集会ではさらに大間原発訴訟の会、青森県労連、青森県反核実行委員会からの決意表明がつづいた。

 原子力資料情報室の澤井正子さんは、原発の至近距離で反対の声をあげられるのは「日本の原発運動の中でも初めてのこと」とし、熊谷あさ子さんをはじめとした多くの人々の闘いがあったことを指摘。そうした経緯をふまえた上で次のように語った。

 「ここで吸っている空気は、メルトダウンを起こして今も放射能を億ベクレル単位で出している福島原発の原子炉とつながったままです。溶けた核燃料がどこにあるか分からない状態が続いています。原子力発電所が安全かどうかを議論する必要はない。原発は危険なんだ、私たちの命と相いれないものだということが明らかになっています」

 しかも東京電力が事故収束できる見込みもなく、被曝労働者は増え続けている。「東京電力はただ水を入れて、核燃料に汚染された水をこしとって戻しているだけ。なぜかといえば(放射)線量が高すぎて人間も近づけない。ロボットもセンサーが壊れて戻ってこない。これを何十年やるか分からない。これが原発事故なんです。電気や重機がいくらあっても収束できない」。

 さらに大間原発の目的が発電というよりは、六ヶ所再処理工場から生み出されるプルトニウムの「焼却炉」であると指摘し、「権力にこびないで正々堂々と異議申し立てを行っていく(熊谷あさこさんの)精神は大MAGROCKに引き継がれている。来年は大間原発を止めたという勝利集会をここでやりたいと思います」と呼びかけた。

 大MAGROCK主催者の武藤北斗さんも、「昔からやっているみなさんと新しい僕たちが一緒にできることが本当にうれしい。去年からはデモも始まって、皆さんと顔をあわせることで一緒にがんばっていけると実感しています」と訴えた。新旧の運動が同じ場所で共に運動を盛り上げている点では、稀有なイベントではないだろうか。

 集会後は、のぼり旗、プラカード、横断幕などを掲げたデモ隊が出発。ドラムなどの鳴り物を響かせ、500人もの参加者が「原発止めろ、大間を汚すな」と町中を練り歩いた。沿道から見つめる人々の中にはデモ隊に向かって目立たないように手を振る人もいた。

 デモは函館に向かうフェリー乗り場の近くで解散。参加していたひとりの女性に話しかけると、福島県郡山市周辺から子どもを連れて函館に避難中だという。大間原発について聞くと、「とにかく止めて欲しい。こんな思いをする人を二度と増やしたくない」と切実な訴えがかえってきた。

 デモの後も大MAGROCKは夕方まで続いた。来年も大間で開催する予定だ。

 (文・写真=編集部・温井)

 

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