ドイツは2022年末までに全原発を廃止すると決定した。その背景には40年にも及ぶ反対運動の蓄積があった。名古屋大学の青木聡子さんは、人々が反対運動に身を投じてきた動機について調査を行ない、運動がもたらす今日的意義を見出そうとしている。(聞き手=温井立央)

プロフィール▼青木聡子(あおき・そうこ)
宮城県生まれ。名古屋大学大学院環境学研究科専任講師。専門は、環境社会学、社会運動論。

<反対運動の全国的拡大と制度内化>~歴史的に見ると~

 私は宮城県出身で、チェルノブイリ原発事故の時は小学生でした。当時、事故を起こす可能性のある原発が県内女川に存在することを恐いと感じていました。けれども日本の反原発運動に参加することはなく、そのうち運動も収束していきました。

 一方でドイツでは、政策を変えるほどに反原発運動が続いてきた。その違いは何かに関心がありました。ドイツは原子力施設に対する抗議行動の件数が多く、1件あたりの参加者数も他の国と比べて大規模です。

 さらに3・11後の昨年、脱原発を決定しましたが、すでに2000年には脱原発合意がなされていました。このような政策決定に至ったのは、長い反対運動の蓄積があったからです。

 そこで原子力施設の反対運動がどのように多くの参加者を獲得してきたのか、人々は運動のどこに、何に惹きつけられたのかを調査しました。なかでも運動の担い手や参加者たちの運動観に着目しました。

 具体的には、ヴィール原発反対運動(1973~85年)、ヴァッカーズドルフ再処理施設反対運動(1981~89年)、ゴアレーベン使用済核燃料関連施設反対運動(1977年~)の3つを対象にしました。

 ドイツの反対運動には大きく二つの転換点があります。ひとつは1970年代半ばで、それまで局地的・散発的で一時的に終わっていた運動が、大規模かつ継続的に行われるようになりました。

 この時期の特徴は、原子力施設立地自治体周辺の自治体住民が、運動団体を形成したことにあります。立地自治体では賛成する住民が多く、運動団体は形成されにくい。一方、税収や雇用などのメリットもなく、リスクだけが押し付けられる周辺自治体住民が反対運動団体を形成しました。この構造は日本と似ていますが、異なるのは各地で生まれた住民運動が州または連邦レベルでネットワークを形成していったことです。

 さらに宗教(キリスト教、特にプロテスタント)の役割が大きいのも特徴です。牧師さんが運動をリードしたり、復活祭などの宗教的行事にあわせてデモや集会が行われたり、毎週日曜日には抗議ミサが行われました。

 若い世代の参与もあります。学生運動をしていた若者が、70年代に各地の運動に入りこんでいきました。ただしこうした若者がすぐに地元住民から受け入れられたわけではありません。当初はかなり反発もありましたが、次第に理解され受け入れられたようです。そして反核平和運動との連携があります。

 第二の転換点は1980年代末頃に起こります。端的にいえば運動の制度内化です。86年に社会民主党(SPD)が原発推進から反対へと路線転換、80年代末からはSPDや緑の党が州レベルで政権につくようになりました。反対運動の側が制度内に自分たちの代弁者を送り込むことに成功し、これが1998年の連立政権へと結びつくわけです。

 さらにBUND(ドイツ環境自然保護連盟)など、それまで政府と対立的な姿勢をとっていた団体が政策提言を行なったり、政府や自治体から研究委託を受けるようになりました。

(続きは本誌1329号でお読みください)

 

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