震災直後の昨年3月27日、名古屋の栄で「ストップHAMAOKAぱれーど」が行われた。主催したのは当時高校を卒業したばかりだった関口詩織さん。震災から1年以上を経た今、あらためて想いを聞いた。(聞き手=温井立央)

プロフィール▶関口詩織 「脱原発×STOP浜岡」代表。
映画『沈黙しない春』の冒頭には、震災直後に反原発デモを行なう姿が映し出されている。都内の大学に通うが、現在は休学中。脱原発に向けて行動し続ける19歳。

<原発事故の一報で東京脱出>

 東日本大震災を目の当たりにしても、ICU(国際基督教大学)に入学することが決まっていたので、3月12日に名古屋から上京しました。

 引越しの片づけが終わってほっとしていたら、母から「原発事故が起きた」と電話がきました。その時は、「もう東京に帰れないんじゃないか」と思って、一番大きいスーツケースに荷物をつめこみ新幹線に飛び乗り実家に戻りました。

 実は高校生の頃、授業で原発についてプレゼンしたんです。坂本龍一さんとLUNA SEAのSUGIZOさんが書いた『ロッカショ』を読んだことがきっかけで、原発のことを調べ、必死に資料を作って発表しました。この経験が原発の危険性について人一倍敏感にさせてくれたと思います。ただ当時は、「たくさん調べて偉いね」という感じで終わってしまった。

 高校生の時は、「みんな無関心すぎる」と怒っていたのですが、震災後に振り返ってみれば、結局自分も何もしていない人と一緒だったなあと反省したんです。だから名古屋に戻って何かしようと思ったのですが、震災直後は私が参加したいと思うようなアクションがなかった。

 そんな時、ネットで「申入れ」行動について知りました。これなら私もやってみたいと思い、友達に電話して手伝ってもらいました。浜岡原発を止めるための賛同署名を街頭やネットで集め、3月20日に約700人分を中部電力に提出しました。

 この申し入れ行動をブログで拡散したら多くの人が参加してくれたので、せっかくだから次はデモかパレードをしようという話になったんです。1週間後の3月27日にデモをすることになりましたが、デモ申請も何も知らなくて、教えてくれたおじさんと一緒に警察署に行きました。何人が風船や旗を持つのかまで聞かれて、「こっちだって何人くるのか知らないんだよ」と思いながら調整しました。

 私自身はあまりデモを見たことがなくて怖いという印象もなく、当日は「こんなに人が来るなんて」とびっくりしましたね。私と友人の一人が高校を卒業したばかりの若い組で、あとは家族連れや、もともと環境問題に取り組んでいた人など様々な人が集まりました。

(続きは本誌1329号でお読みください)

 

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