野田総理は東電福島原発事故が収束せず原因解明も進まない中で、大飯原発3、4号機の再稼働を決定した。しかし未だに多くの人々は避難を強いられている。福島県富岡町から東京に避難してきた遠藤敏昭さんに想いを聞いた。(聞き手=温井立央)

<地元に戻って原発内部で働いたが>

 富岡町では兼業農家をしていました。田んぼは1町歩、1ヘクタールと本当にわずかです。町では専業農家は本当に数えるほどで、多くは1町から3町ぐらいの農家でした。

 私は中学を出てから東京に行き、新聞配達をしながら高校を卒業、仕事に就いて30年くらい住んでいました。ちょうど東京に行く頃、地元では原発誘致計画が持ち上がっていました。昔は「日本のチベット」といわれたぐらいの僻地で、本当に何もないところだったので狙われたのです。

 50歳近くになってから田舎に帰り、農地を引き継ぎました。しかし農業だけでは食べていけないので10年ぐらい原発で働きました。原発作業の下請けは孫請け、ひ孫請けとありますが、その中の日雇い人夫を雇っている会社から派遣されていきました。

 下請けになるにしたがって給与は少なくなるので、普通の仕事では末端の私らは1日1万円ももらえなかったですね。仕事は足場組立や配管の養生などです。

 定期検査で原子炉のお釜の中にも入りましたが、燃料棒も水も抜いて、壁をピカピカに磨く仕事です。最大70ミリシーベルトまで計れるアラームメーターを持って入りました。何百人態勢でいくつかの班に分けて、3交代勤務で24時間、それぞれ10分やっては休みの繰り返しで、約1週間かかりました。

 お釜に入るときは、アノラックを着て、フードマスクといって首の後ろに送風機がついているものをかぶります。それでも10分磨いていたら、汗だくだくになります。お釜の中には、縦に割れて水が出てくるところがあるのですが、そこからすごい放射線が出ていた。だから「隠れろ、隠れろ」といってみんなそこをよけていました。

 怖いところでした。この作業では、東電は一人当たり10万円出したと聞きましたが、末端はどんどん少なくなって私はせいぜい1日2万円でした。

 50歳くらいの私の友人は溶接の専門家で、一日約5万円もらっていました。しかし原発で働きはじめてから10数年経って白血病で亡くなりました。汚染のひどい配管もありますから遮蔽しても放射線を防ぎきれない。それで何年もやっているうちに身体がむしばまれて白血病や色々な障害が出て、病院に行ってまもなく死亡しました。

 そのほかにも原発内では色々事故があるのですが、お金を出してうやむやにして表に出さないようにしています。

(続きは本誌1327号でお読みください)

 

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