食品の放射能汚染をめぐって、生産者と消費者の分断が起きている。そんな中、福島県須賀川市のジェイラップ伊藤俊彦さんは、内部被曝による健康被害を出さないために食品の放射能測定を行い、効果的な除染対策を行ってきた。現地を訪れ詳しく話を聞いた。(聞き手=温井立央)

プロフィール▼いとう・としひこ
1957年福島県須賀川生まれ。株式会社ジェイラップ代表取締役。79年地元農協に就職、95年に退社し、株式会社ジェイラップを設立。減農薬・コンピュータ管理・直接販売などによって安全な農産物を安定して供給するシステムを確立した。http://www.j-rap.co.jp/index.html

<青天の霹靂だった原発事故>

◆農協を辞めて会社を立ち上げました

 16年勤務した農協を1995年に辞めて、農業生産法人組織の設立に続いて農産物の販売会社を設立。農産物流通に長く関わる中で、何故大きな価格変動が起きるのか日常的に考えさせられました。そうした中で特に農産物価格の下落要因として「産地、生産者が頼まれてもいないものを作るから」との考えを持っていました。

 農家の再生産価格を確保することすら難しい環境下で、農家の後継者不足に伴って農業従事者の高年齢化が深刻であることも危惧していました。今にして思えば、地域性や個々の農家の個性を生かした産地再編を目的とした挑戦の始まりでした。

 現在行っている直接販売のやり方は、このような背景の中から生まれ、受注生産的な考え方を盛り込みながら、ひとつひとつの取り組みを丁寧に育ててきたものです。地域規模で設備投資の合理化を図り、農家の技術レベルの向上によって商品力を高め、農作物ごとのブランド化を企て、小さな工夫と小刻みな進化の総合力を駆使して今日を築いてきました。

 ともかく16年かけて、生産者と一緒になって成功事例を作り、後継者が育つような土俵を作り上げてきました。そこへ昨年3月の原発事故です。まさに青天の霹靂でした。

 ようやく事業が軌道に乗り、これからの仕事は次の世代を育てることだと考えていた矢先、次の世代が本当に失望せざるを得ないような環境になったわけです。原発事故は起きないと思っていましたから、頭が真っ白な状態で、今後どうなるかは想像もつきませんでした。

<事故直後から放射能を測定>

◆放射能汚染にどう対処したのですか

 事故直後は、原発から60~70キロ離れているから大丈夫だろうと楽観的に考えていました。しかし1週間から10日経つと穏やかでない情報が出始めた。しかも国や行政の言っていることが昨日と今日で全然違うので、全く信用できない。何が危なくて、何が安全なのかが分かっていないのに情報発信していたわけですから当然ですね。

 取引先のお客様の中には医師や放射線医療の専門家の方もいましたので、事故直後から「とにかく逃げろ」といった趣旨の連絡が多数ありました。それでようやく大変な状況だと認識し始めました。

 そこで倉庫に入っている平成22年産の米や、出荷が始まったばかりのハウスキュウリなどを分析機関に送り、放射能分析にかけました。取引先の東都生協がゲルマニウム半導体検出器をもっていたのでそこでも測定してもらいしました。

 当時は分析センターもガラガラでしたから、米は3月20日、野菜は3月25日にデータが出ました。分析結果は、NDの文字が並んでいました。真っ先に取引先へ「みなさんに届ける食べ物に関しては安全確認しました。ご安心ください」とデータを送りました。最初は「こんなのいらないよ」と言われたのですが、あっという間に「いやー、あれもらっていて助かった」と評価されました。

 行政や消費者に言われてからではなく自発的に計測したこと、つまり危機管理の速さ、危機管理の考え方を評価してもらったわけです。手探り、勘で進めましたが、初動は早かった。その後は大地を守る会とカタログハウスから計測器を貸し出していただき、土壌・水・生産物・農業資材などの測定を継続的に行っています。

(続きは本誌1324号でご覧ください)

 

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