福島原発事故が収束しない中、労働者や住民の被曝が深刻化している。長年、被曝労働者と向き合い診察を続けてきた、大阪・阪南中央病院の村田三郎医師に話を聞いた。(聞き手=温井立央)

 

プロフィール▼むらた・さぶろう
阪南中央病院副院長。1947年高知県生まれ。1972年、大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院で内科の研修を行った後、同病院放射線科に勤務。1978年から阪南中央病院に勤務、現在に至る。労働者被曝・低線量被ばく問題に長年関わり、被ばく労働に関する労災認定に尽力してきた。

<年間5ミリシーベルト以上で労災認定>

◆福島原発の作業員が急性白血病で亡くなりました

 どんな病気でも発症するまでに潜伏期間があります。白血病に関しては広島・長崎の被爆者の場合、発症するのは早くても2年から3年後ぐらい。発症数は、被曝後5年から6年でピークになり10年目から徐々に下がっています。このことから放射線被曝による白血病の潜伏期間は、少なくとも2年ぐらいあると考えられます。

 報道によれば亡くなった作業員は、8月上旬から1週間、福島第一原発で放射線管理業務に従事。その後、体調不良で病院に入院し、数日後に死亡したとのことです。被曝してから亡くなるまで2~3週間だと考えれば、今回の福島原発での仕事と直接の因果関係はないと言えます。

 事前の健康診断では異常がなかったとのことですが、急性前骨髄球性白血病や単球性白血病の場合、症状が現れて2週間から1ヶ月後に急速に状態が悪くなり出血を起こします。それ以外の白血病でも早期に発見することができず、発症した時にはすでに手遅れになっている場合もあります。

 白血病に関する労災認定基準は、年間5ミリシーベルト以上の被曝(0・5レム×電離放射線被ばくを受ける業務に従事した年数)、被ばく開始後1年の潜伏期間を経て発症した場合などがあります。この方の場合は、東電によれば0・5ミリシーベルトの被曝量で、被曝開始から1年を経ていませんので該当しないわけです。

 しかし問題は被ばくの蓄積線量、累積線量です。東電は、亡くなった作業員の以前の職歴が分からないにも関わらず、「これ以上調査する必要がない」としています。私はおそらく被曝労働の前歴があったのではないかと思います。これまで全く原発や放射線に関連する仕事に従事していなかった人を突然連れてきて、放射線管理の仕事をさせるはずがありません。東電の言い分には強い疑問を感じます。

 東電は下請け会社からの報告のみで語っていますので、本当のことが分かりません。本来ならば、きちんと作業員の過去の仕事歴などを調べないといけない。まったく被曝歴がなければ、今回のことは関係ないといえますが、少しでも被曝労働をしていたら、これまで被曝した累積線量が問題になってきますので「因果関係がない」とは言えないはずです。

<初の原発労災を申請した岩佐嘉寿幸さん>

◆原子力関連の労災認定は非常に少ないですね

 これまでに労災申請されたのはわずか18件のみ(その後2件増加した?)で、労災が認められたのは10人だけ。1999年のJCO臨界事故で被曝した作業員の3人を除くと、残りは通常の原発労働に関わる人です。労災が認められた10人の累積被ばく線量は、1名が129・8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は5・2ミリシーベルトです。

 私が労災申請をお手伝いした長尾光明さんは、労働期間4年3ヶ月で70ミリシーベルト、喜友名正さんは6年4ヶ月で99・76ミリシーベルトの累積被曝でした。二人は白血病ではなく多発性骨髄腫と悪性リンパ腫でしたが、私は白血病と同じく血液の悪性疾患として労災認定を認めるべきだと訴えました。少なくとも非常に高い線量を浴びているわけですから労災が認められてしかるべき状況でした。

 原発では多くの労働者が働いていますが、労災認定を申請するのは、自分で放射線管理手帳をもっていた、あるいは医者がきちんとした情報を教えてくれたなど、めったにない条件が重なりあった場合だけです。実際はもっと多くの人が労災認定してもおかしくない状況です。 私は阪大の学生時代に、日本初の原発労災申請・原発被曝訴訟をされた岩佐嘉寿幸さんと出会い、原発の劣悪な労働環境を知りました。

 岩佐さんは1971年、敦賀原発でパイプの取り付け作業に従事しました。格納容器の入り口近く、原子炉制御棒駆動機構の水圧系にはさまれた狭い場所で2時間ほど作業をした。そこはパイプや材木が散乱して雑然としており、放射線量は毎時10ミリレム、つまり0・1ミリシーベルトだった。この時の岩佐さんの外部被ばく線量は、公的記録では1ミリシーベルトとされています。

 ところが作業から約1週間経った71年5月27日、右足の膝に赤いかぶれと水ぶくれが出来、体の調子も悪くなります。あちこちの病院で診てもらいますが原因が分からず、2年後の73年に阪大病院で診察を受けたところ、皮膚科の田代実先生が放射性皮膚炎の可能性があると診断。

 そこで岩佐さんは1974年4月に原電を相手に裁判を起こし、1975年3月に労災申請を行いました。 しかし1ミリシーベルトで放射性皮膚炎は発症しないと却下され、労災認定はされず、裁判でも認められませんでした。

 確かに1ミリシーベルトで放射性皮膚炎は起きません。皮膚に症状が出るのは500ミリシーベルトから1000ミリシーベルト、50レムから100レムの線量を直接浴びた場合です。

 しかし現場の状況をつぶさに見れば、岩佐さんは局所的に放射線の高いところに接してベータ線熱傷を起こしたと考えられます。福島原発事故現場の作業員が汚染水に浸かってベータ線被曝しましたが、それと同じことが起きていたと思います。

 岩佐さんが身に着けていたポケット線量計はガンマ線しか拾えず、しかもベータ線の飛距離は短いので、たとえ足元に線源があったとしても被曝線量として測定値が出ない。局所の障害ですから身体が接した部分の線量は非常に高かっただろうと思います。しかし裁判では、作業現場の放射線量は高くないとして却下されたのです。

(続きは本誌1320号でお読みください)

 

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