見上げると、明るい緑に色づいた竹がそよいでいる。遥か上空で囀る雲雀。いつもなら青い稲葉の群れが風の軌跡を描く季節。しかし乾いて不規則に成長した雑草が生い茂る田を見たとき、ここが人の住めない汚染地域なのだと実感した。

 原発事故から4ヶ月、住民達が避難し、立ち入りが禁止されている福島第1原子力発電所周辺の「警戒区域」には、いまだに多くのペットや家畜動物が取り残されている。餓死や共食い。連日伝えられる眼を覆いたくなるような動物達の様子を知りながら、何も出来ない自分に居ても立ってもいられずに被災地へ飛んだ。

<ミイラ化して横たわる家畜たち>

 震災後初めての猛暑が東北に訪れた7月上旬、動物救助を続けるボランティア男性の案内で区域内に足を踏み入れた私を襲ったのはハエとアブ。車を降りて防護服を着用していると、体にまとわりついてくる。

 初めに訪れたのは比較的大きな牛の厩舎。耳に黄色い識別タグをつけた牛がのっそりと現われた。予想に反して比較的元気に見える。厩舎の柵があけられており、屋外に貯蔵されていた牧草を食べているようだ。

 厩舎近くの休憩所のようなプレハブ前で猫が死んでいた。猫の周りには無数のハエが群がっており、死臭が漂っている。車の窓を少しでも開けているとハエやアブが入ってくる。ハエは餌となる死骸が豊富にあるためか丸々と太っている。

 ハエと格闘しながら次に訪れた養鶏場の放射線量は毎時3・45μSv。震災前は新鮮な卵を提供していたであろう販売所。モールできれいに飾られた壁は、すすけて土埃だらけになっていた。

 いくつかの厩舎はカラだった。政府が家畜動物の圏外移動を禁止する中、これだけの数の鶏を移動させたとは考えにくいので、使われていなかったのかもしれない。天井は崩れて、早くもツタが建物を飲み込もうとしている。

 奥の小屋に数百羽の鶏がケージに入れられたままの状態で死んでいた。小屋に一歩入るとマスク越しに死臭が鼻を突く。ケージの前には、鶏が死ぬ直前まで産み続けていたと見られるたまごが並んでいた。

 ボランティアの男性が以前から猫に餌やりをしているという大熊町の民家では、敷地内に作られた小さな牧場の真ん中で、力尽き崩れ落ちたままの姿で牛がミイラになっていた。厚い皮を突き破った背骨が恐竜の背びれのよう飛び出している。液状化した皮膚や内臓が体の周りには染み出していた。

 厩舎の中にも餓死した牛が同じようにミイラ化して横たわっていた。残ったこげ茶色の毛皮と大きな角だけが、辛うじて牛だったころの様相をとどめている。現在、住民の一時帰宅が始まっているが、家の住民がこの光景を見たら、どんな気持ちになるのだろう。

 農林水産省によると、警戒区域内に登録されていた家畜動物の数は牛約4千頭、豚約3万頭、鶏約63万羽にものぼる。

 家畜動物を圏外へ移動させることは基本的には認められておらず、飼育も不可能なことから、県は衛生上の理由により、飼い主の同意を得た上で瀕死の家畜の殺処理を行うと決めた。死骸には石灰をまいてブルーシートで覆うとしているが、ブルーシートが掛けられた死骸は一度も見なかった。

 原発事故発生後から民間ボランティアが救助活動、被災者である飼い主も自宅に戻って給餌などを行っていた。だが4月22日、原発半径20km圏内が、「避難指示区域」から立ち入りに罰則を科す「警戒区域」に指定されると、誰も立ち入ることが出来なくなった。

 巡回する警察の目をかいくぐって、いくつかの民間のボランティアが犬猫のペット救助活動を行っているが、残された動物、特に家畜動物が助かる見込みはほとんどない。県による正式な救助が始まったのは、原発事故が起こってから2ヶ月もたった5月初めだった。

【阪本喜子】ニューヨーク在住のフリーライター。動物との共生をテーマに、主にペットや工場制畜産業の問題について取材やリサーチを行う。2009 年、「冬の兵士/イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」(岩波書店)の共同翻訳に参加。福島原発周辺に取り残された動物達が一刻を争う状況にある今は、ブログを通して情報の提供や呼びかけなどを行っている。 ブログ:http://blog.goo.ne.jp/syoshiko79

(続きは本誌1318号でご覧ください)

 

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