福島第一原発事故はいまだ収束せず、放射性物質を出し続けている。東京電力は事故後2ヶ月経った5月24日、1号機に続き2、3号機も炉心溶融していると発表、事態は深刻化するばかりだ。福島県で独自の放射線調査を行った京都大学原子炉実験所助教の今中哲二さんに話を聞いた。

プロフィール▼いまなか・てつじ
1950 年生まれ。京都大学原子炉実験所勤務。専門は原子力工学。母親が広島で被爆した被爆2 世でもある。編著に『チェルノブイリ事故による放射能災害―国際共同研究報告書』(技術と人間)など。

<原発事故で流れ出た大量の放射性物質>

◆飯舘村で放射線測定をされました

 福島第一原発の1号機が爆発した3月12日、政府は原発から20㎞圏内を避難地域に指定しました。これはチェルノブイリの時のような最悪の場合を考えたのだと思います。しかし当初は原発敷地境界線の放射線量しか発表されず、環境中の放射線量のデータは一切出てきませんでした。情報が開示されなかったわけです。そこで自らデータを集めに行こうと、一番汚染がひどい20㎞圏内での調査を思い立ちました。しかし、実験所所長から、20㎞圏内への出張は控えてくれといった要請があったりしました。

 そのうち様々な情報が寄せられ、原発の北西方向にある飯舘村にホットスポット(局地的に高いレベルの放射能汚染地帯)があると分かった。そこで調査に行こうとした矢先、地元で活動している「飯舘村後方支援チーム」の方から、放射線量を測定してほしいと電話がありました。彼らは行政とも長年協力していたので、まさに渡りに船でした。

 3月28日、福島市まで飯舘村役場の方が迎えに来てくれ、そのワゴンに乗り換えて現地に入り、翌29日の朝から村内をくまなく案内してもらって調査しました。結果、村内の北部より南部地域の放射線レベルが高く、毎時10μSvを超える放射線が観測されました。一番南の地域では、毎時18~20μSvで、最も高いところでは畑地で毎時30μSv。原発に近い地域ほど放射線量が大きかったのです。

 米軍機による空中測定結果をみると、原発から北西方向に強い汚染が広がっているのがわかります。これは3月15日の2号炉格納容器の破壊、もしくは4号炉の使用済み核燃料プール火災に伴って放出された放射性物質が流れた跡です。つまり飯舘村の汚染地は単なるホットスポットではなく、より広範囲な「高放射能汚染トレース」だったのです。

<みだりに立ち入りできない高線量地域>

◆毎時30μSvは非常に高い値です

 私は放射線作業従事者で、原子炉でも働いていますが、毎時20μSvを超える場所は高線量区域としてみだりに立ち入ることが禁じられています。ところが福島にはそれ以上に放射線量が高い場所がある。信じられません。

 何よりも心配したのは、土壌の放射能汚染が大きかったことです。土そのものが、放射性物質として扱うよう法律で定められているレベルに汚染されていますから、それがクルマのタイヤや靴の裏などに付き、汚染が拡大することを懸念しました。

 ちなみに土壌を採取した曲田という地域の空間線量は毎時24μSvですが、このデータで3月15日から90日間の積算被曝量を計算すると、90mSvとなります。比較的低い飯舘村役場でも積算30mSvと予測されます。勿論これは土壌の上に常時滞在した時の値で、家の中では2分の1、コンクリートの建物では10分の1程度に減少しますが、それでも高い値です。

 原子力安全委員会の指標では、外部被曝による予測線量が10~50mSvの際は屋内退避、50mSvを超えるときは「コンクリート建屋の屋内に退避するか、又は避難すること」とあります。国の定めた基準からしても深刻な汚染であることは明らかです。

 飯舘村の放射線量は、チェルノブイリ事故時の強制避難地域に匹敵します。しかし私は飯舘村が消えることはあってはならない、非常に困難ではありますがなんとか復活して欲しいと思っています。そのために応援する準備はあります。

(続きは本誌1316号でお読みください)

 

Comments are closed.