腐敗した政権への援助より和平プロセスへの積極関与を

ジャーナリストの常岡浩介さんは、2010年4月、アフガニスタンの取材中に地元の武装勢力に拘束され、157日間の監禁の後、9月4日に解放された。何があったのか、事件の経緯と背景について話を聞いた。(写真=常岡浩介)

プロフィール▼つねおか・こうすけ
1969年長崎生まれ。早稲田大学卒業。94年よりNBC長崎放送報道部記者。98年よりフリーランス。アフガニスタン、イラク、チェチェンなどを取材。著書に『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書)など。

<タリバンと米軍の和平交渉に期待したが>

◆なぜ戦闘の続くアフガニスタンへ?

 2009年、当時戦況では圧倒的に優勢だったタリバンは、自らのウェブサイトに「米軍との和平交渉を受け入れる」と書きました。

 アメリカ軍側にも勝ち目のない状態のなか、「和平交渉すべきだ」との主張が出ており、双方がそんな態度なら本当に戦争が終わるのかもしれないと思ったのです。
 そこで真相を確かめようと2009年にアフガニスタンに入りました。

 アフガニスタンの友人がタリバン政権時代の人脈をあたってくれ、カブールで暮らしていた元外務大臣のムタワキル氏、元パキスタン大使のザイーフ氏などに面会してインタビューすることができました。
 しかし2人とも政府から24時間監視されており、パキスタンに潜伏しているといわれるタリバンの最高指導者ムッラー・オマールとも直接連絡がとれない状態だったようです。

 そうこうしているうちにタリバンのウエブサイトでは、「だまし討ちのような和平交渉に我々は乗らない」「和平交渉といって我々を釣って陥れるつもりだ」との主張が書かれるようになりました。

 実は2010年1月、タリバンのナンバー2とされるバラーダル氏がパキスタンで拘束されたのです。
 彼は秘密裏に和平交渉を進めており、カラチ市内のモスクに礼拝しに行ったところ治安部隊に拘束されました。
 この事件についてタリバンのサイトは、「メディアが書いていることはウソだ。バラーダルが勝手にやったことであり計略に騙されのだ」と主張しました。
 しかし文章の最後には「ただし本当に誠実な和平の意志を持つ人たちと私たちは交渉する」と付け加えられていました。

 一体どういう和平交渉だったら彼らは乗る気があるのか、タリバン側の和平の条件は何か。
 それを知るために、再度アフガニスタンの友人を通じて、ムッラー・オマルの指揮命令系統にいる現役幹部を取材することにしたのです。

 当初は、南部ヘルマンド州のタリバン司令官がインタビューを受けてくれるはずでした。
 しかし2010年2月オバマ大統領が米軍を増派し、ヘルマンド州で大規模作戦を開始。
 当地ではレジスタンスが続いており、タリバン側から「このような状況で外国人ジャーナリストの受け入れは難しい」と連絡があった。
 それで他の候補にあたってみたところ、北部のクンドゥズ州の司令官がインタビューを受けてくれると。

 まず飛行機でクンドゥズ市に入り、そこで友人と別れました。
 3月31日にタリバンの青年が僕を迎えにきたので、一緒にローカルバスに乗り、クンドゥズ市の北80キロにあるイマーム・サヒーブの町に向かいました。そこで別のタリバンのクルマに乗り換え、さらに9キロ先のタリバン支配地域で取材。
 村の様子が撮影されると空爆対象になるので、少し離れたアムダリヤ川の河原で撮影とインタビューをおこないました。

 (続きは本誌1310号でご覧ください)

 

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