プロフィール▶かまなか・ひとみ
富山県生まれ。早稲田大学卒業後、フリーの助監督としてドキュメンタリーの現場へ。1991年文化庁の助成を受けてカナダ国立映画製作所に滞在。その後、ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。帰国後はNHKで番組を多数制作。2003年、ドキュメンタリー映画『ヒバクシャー 世界の終わりに』、2006年『六ヶ所村ラプソディー』を発表。著書に『ヒバクシャードキュメンタリー映画の現場から』(影書房)、共著に『内部被曝の脅威』(ちくま新書)『ドキュメンタリーの力』(子供の未来社)など。短期でICU,多摩美、明大などで講義をしている。

インターネットを活用したオルタナティブ・メディアの普及により、マスメディアのあり方は大きく問い直されている。多様な意見を包摂する社会に変わるためにメディアに何が問われているのか。フリーのディレクターとしてNHKで番組制作をしていたが、今はドキュメンタリー映画制作に移行した鎌仲ひとみさんに聞いた。(写真提供:鎌仲ひとみ)

自由な社会を育むオルタナティブ・メディア

<マスメディアを絶対視するのは危険>

◆「中立・客観」なメディアはあり得るでしょうか?

 そもそも免許制であるテレビ放送には公共性が求められます。NHKの場合はさらに自ら「公共放送」と位置づけているわけですから、データなどは厳密に実証性が検証されています。その意味では「中立・客観」との使命は十全に果たしていると思います。

 ただ映像作品は主観があって成り立つものですから、絶対的な客観性はあり得ない。一つの番組製作にはプロデューサーが2~3人、ディレクターが1人、カメラマンやスタッフが何人かいて、チーム制作になります。主観を持った寄せ集めの人間たちが作るわけです。

 それなのに番組は、主観的な価値はゼロであるかのような体裁をとり、何か客観的なものが存在するかのようにふるまっている。たとえばNHKの番組でナレーションのない番組はほとんどありませんが、そのナレーションを書くのはディレクターです。
 しかしプロフェッショナルなナレーターがそれを読むことで、視聴者はあたかも「天の声」、絶対者が語っているかのように聞いてしまうわけです。

 完全な「中立・客観」なんてあり得ないのに、番組製作者の個性や主観は抹殺される。
 欧米ではドキュメンタリー番組の監督ははっきりと明示され責任の主体が解ります。しかし、NHK番組の責任は個人ではなく組織に帰属します。かつて従軍慰安婦の番組が改変されたとき、改変した個人は隠蔽され、告発した外部のディレクターがバッシングを受けた。当時、誰の責任なのか、あいまいなままになってしまいました。

 2002年、イラク攻撃の前、私は現地に入って取材し、日本に帰ってからその映像を編集しました。放送前にNHKの担当プロデューサーと編集素材を見てチェック。映像の中でイラク人のおじさんが「こうなったのはみんなブッシュのせいだ。俺達がいったい何をしたんだ。みんなブッシュが悪いんだ」と語るシーンがありました。

 これを見てプロデューサーの一人が、「これは洗脳されているな。このまま出すのはダメだ。テロップをつけるように」とクレームを付けた。私は「アメリカ人のインタビューにも『ブッシュに洗脳されています』『プロパガンダに洗脳されています』と付けるんですか」と聞き返しましたよ。

 日本の場合、マスメディアはできるだけ客観報道をするべきだと考える傾向が強い。大手メディアにもある程度のジャーナリズム精神があるかもしれないけれど、スポンサーから制作資金を出してもらいながら「客観報道」をするには限界があります。その限界を超えたところにあるものこそが大切なわけです。

(続きは本誌2010年4月号でご覧ください)

 

 

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