9月10日以降、祝島の人たちは連日うめたて阻止の行動を頑張っている・・という知らせが届きました。

 何としても現地に駆け付けたいとの思いが高まってしまい、19日に田名埠頭で集会が行われるというので、行ってきました。

台船と対峙する祝島の漁船団

   (写真:蘇我畔太郎)

 その模様は、首都圏の新聞やテレビでは取り上げられていないと思いますが、ネットで詳しく知ることができますし、向こうで新聞の山口版を見ると、連日くわしく報道されていました。

 田名埠頭には、朝からたくさんの人たちが集まって、連日座り込みをしている祝島のおじちゃん、おばちゃん、漁船やシーカヤックを連ねて洋上で阻止している人たちの応援をしていました。

 周辺の集落に住む人、祝島出身者、神舞で友好関係を結んでいる大分の人たち、映画関係者(鎌仲さんや纐纈さん)など総勢300人。
 ぱっと見ただけで、何やらとても明るい感じの雰囲気でした。

全国から支援の声が

 田名埠頭にはブイ(埋め立て区域を示すもの)がたくさん置かれていて、そこから20キロ離れた田ノ浦に運び込む・・というのが中国電力のやろうとしていることですが、漁船やシーカヤックに阻まれ、まったくそれができないまま十日たってしまっている状態。
 陸だけでなく、海の上で阻止できるというのは、大きなチカラです。

 去年10月に、山口県知事が、中電の「埋め立て申請」を許可したのですが、それから1年以内に着工しないと無効になってしまうので、中電は地元の合意も得ないまま、見切り発車したわけです。

 上関原発反対闘争が始まって28年。
 実質的な工事の始まりを止められるか、正念場を迎えています。

 でも、現場はピリピリした感じじゃないんです。
 島のおばちゃんたちは、もうそれはそれは楽しそう(?)
 毎朝3時に弁当をつくって、男たちの漁船を送り出してから、自分たちも船に乗り込んで祝島から田名埠頭まで通い、陸の上から海の上から、大きな声で中電を見事に追い詰めている。
 武勇伝的なエピソードには事欠かない70歳前後の人たちの顔は、自信に満ちていました。

明るく元気に座り込み

 午前9時から集会が始まり、いろんな人が発言しましたが、それぞれの立場、観点があって面白かった。

 暮らしを守りたい祝島の人たち。
 瀬戸内海の中でも「最後の楽園」と呼ばれるほどに豊かな生態系を残したいという「長島の自然を守る会」。

 シーカヤックの原さんは「島の年寄りが、漁船に乗って朝日とともに埠頭にやってくる姿は本当にかっこいい。島の人がいう子や孫というのは自分たちのこと。若者がそれを引き継いでいく」と語り、この運動が祝島だけの孤立した闘いではないことを代弁していたと思います。

シーカヤッカーも大活躍

 いつもは午後4時過ぎに中電が「今日は中止します」と宣言するのですが、この日は特に人が多かったせいか、最初からやる気が萎えていたようで、午前11時過ぎ(昼前)には「今日は中止」宣言をしてしまいました。

 おじちゃんおばちゃんは拍子抜け。
 「せっかく弁当つくってきたのに」「今、昼食べてこれから・・と思ってたのに」「今から帰ったら家の仕事、やらにゃいけんじゃないか」

元気な祝島のおばあちゃんたち

 こんな冗談も飛び出すくらいですが、島民にとって連日の阻止行動は、漁業や農業などの仕事ができなくなるので、とてもしんどい。
 「全国から寄せられるカンパも、今までは受け取らずにきたが、兵糧攻めにされる前に、船の燃料代としてありがたく受とることにしました」と山戸さん。

 あと少なくとも1ヶ月は、こうした状況が続くと思いますが、「今まで長い間頑張ってきたけえ、絶対にやめない。死んでも海はまもる」と、本当にばあちゃんたちは力強い。

 島では若者の代表である山戸孝くんは、「自分は祝島出身でなかったら、こうした運動に関わっていたかどうかわからなかったと思う。だからこそ、遠く全国から注目してかかわってくれる人たちには感謝と尊敬の気持ちでいっぱいだ」と言っていました。

 「一度でいいから、島を訪れてほしい」とも・・

 午後は予定外に時間があいてしまったので、私は「長島の自然を守る会」の人たちと、海をみながら語りあい、島外の立場で、どう運動を作ろうとしているかという話を聞き、これもまた胸が熱くなる思いでした。

 夜は室津という集落で数少ない反対派の漁師さんの家で、アジのフルコースを御馳走になり、それから夜の田ノ浦での自然観察会に同行しました。

 無駄な電気のない、暗い波止場にあおむけに寝そべって、満天の星をながめたり、波打ち際にきらきら光る夜光虫を見つめたり・・

 自然の力と人々の思いに触れ、自分自身が本当に満たされてくるのを感じたのです。