国と下流都県はダム中止と生活再建支援を一体化した解決を! 八ッ場あしたの会 渡辺洋子さん
半世紀に渡り地元を苦しめ続けた八ッ場ダム建設計画
<八ッ場ダム計画には無理がある>
国の名勝、吾妻渓谷に八ッ場ダムをつくる最初の構想が発表されてから、今年で57年目になる。国は総選挙後、いよいよ本体工事に着手し、2016年3月までにダムを完成させるという。けれども、工事の進捗状況からすれば、予定通りにダムができる可能性は限りなくゼロに近い。
八ッ場ダムは今世紀に入ってから、工期の延長と事業費の増額を繰り返し、関係都県(首都圏1都5県)の議会は計画の変更を三度呑んできた。しかし、四度目の計画変更がすんなり受け入れられるとは考えにくい。東京など下流都県は、昨年、三度目の計画変更を呑むにあたって、「やむを得ないものとして同意」したものの、工期の再延長、事業費の再増額が今後ないよう求める異例の意見を付した文書を国交大臣に提出している。
ダム事業の長期化は、ダム予定地の住民に大きな犠牲を強いてきた。地元からは、早くダムが完成して平穏な日々が戻ってほしいという声が聞かれるが、地元民の願いも空しく工事は遅れに遅れている。
<付け替え国道の進捗率はわずか3%>
ダムの工事はその多くが付帯工事で占められる。八ッ場ダムの場合は特にそれが顕著で、ダム本体の工事費はダム建設事業費の1割以下だ。付帯工事の中で最大のメニューは、国道の付け替え工事である。付け替え国道の予算は本体工事費に匹敵する408億円だが、8割以上を使い切っているとみられる。しかし、付け替え国道は総延長10・8kmのうちわずか2車線600mしか完成していない。
付け替え国道工事現場(撮影:錦織朱美)
この付け替え国道は四車線高規格道路として計画されている。仮にこれから四車線の計画が二車線に変更されたとしても、総延長のわずか6%、計画通りに四車線をつくるとしたら、まだ3%しかできていないことになる。ところが、国が一般に公表する付け替え国道の進捗率は75%となっている。この数字には着手しただけだったり契約しただけの区間も含まれる。水増しされた75%という数字では工事の実態はわからない。
下の表は、内閣答弁書(民主党の大河原雅子参院議員の質問主意書による)をもとに工事の進捗状況をまとめたものだ。国道の付け替えだけでなく、県道や代替地の造成工事も遅れている。
75%が完成しているJRの付け替えは、一見順調に進んでいるように見えるが、完成した区間は殆どがトンネル部分だ。地上に出る川原湯温泉の新駅予定地周辺は、複数の地権者の土地が入り組んでいる。国交省の現地事務所でも、遅くとも今夏までに工事に着手できないと工程に響くと認めているが、今のところ用地買収のメドは立っていない。
<工事が難航するわけ>
付帯工事が難航する最大の要因は、八ッ場の地質が悪いこと、地形が急峻なこと、つまり無理な所で工事をしていることにある。次に、用地買収が手間取っていることだ。もともと強い反対運動があった地域だけに、個々の地権者の中には、ダム建設に依然として反発のある人もいる。工事の状況を見て安全性に疑問をもち、用地提供に難色を示す地主もいる。
ダムは通常、山の奥地に計画されるが、八ッ場は上流に観光地の草津温泉や高原野菜で有名な嬬恋村を抱えている。地域の唯一の幹線道路である現国道は吾妻渓谷の谷底を縫って走っているが、ダム事業によって道路建設が進めば地域の発展につながる―地元がダム反対を訴えていた頃、上流からは「早くダムを受けいれろ」と圧力をかける声ばかりが目立ったという。
八ッ場ダムの工程表によれば、あと1~2年で国道、鉄道の付け替えと代替地を完成させることになっているが、進捗率からみてとてもできそうにない。地質の悪い付け替え国道の工事現場は、さながら税金のブラックホールの様相を呈している。
近年、わが国では、ダム本体が完成して湛水試験を始めると、ダム湖周辺で地すべりなどの災害が起こるケースが多い。ダムに不適な場所につくられる八ッ場ダムも、湛水による災害の可能性が指摘されている。
JRの付け替え工事・トンネル出口と付け替え県道の橋脚工事(撮影:錦織朱美)
<地元への〝飴とムチ〟>
現地ではいたる所で工事が行われている。山がばっさりと切られ、大きな沢が埋め立てられ、天を突く橋脚がニョキニョキと聳え立つ。土木工事のあまりの規模の大きさに、現場を見た人は度肝を抜かれる。実際、八ッ場には全国のナンバープレートをつけた数百台のダンプ、トラックがホコリをまい上げて走り回っている。
八ッ場ダムの事業費が特別多いのは、付帯工事のメニューが他のダム事業とはくらべものにならないほど多いからだ。八ッ場では東日本最大といわれるダム反対闘争が1960年代から約20年続いた。水没予定地にある川原湯温泉街は当時人気の湯治場だった。自然に湧き出る源泉を沈め、生活の糧を奪うダム計画に住民の多くが反対したが、行政との長い対立によって地域は疲弊した。
国と群馬県による切り崩しが反対運動を内部から崩壊させてゆく過程で、他に例を見ない飴とムチが繰り出されることになる。地元選出の国会議員が次々と総理大臣の座を射止めるのと同時代の出来事だ。
<ダムによる生活再建事業の実態>
八ッ場ダムはリゾート法による地域指定を受け、千人収容の観光会館、クアハウスなど、バブリーなプランがぶち上げられた。箱物施設の建設はもちろん、運営も下流都県から支出される基金事業を原資とする水源地域振興公社でまかない、200人(当時の川原湯の世帯数に相当)の雇用が生まれる―万が一、代替地で旅館経営がうまくいかなくとも、公社によって生活が保障されるという群馬県の説明を信じて、地元はダムを受け入れた。1992年のことである。
ところが三年前の2007年、群馬県は地元自治体(長野原町)に対して、下流都県が「公社」に支出するという話は、まだ下流都県の約束を取り付けていないと明かす。下流都県の窓口となっている群馬県と地元、長野原町はこの問題をめぐって今も対立している。
公社に代わるものとして三年前より群馬県が提唱し始めたのが、ダイエットバレー構想である。群馬県が地元でたびたび開催している「街づくり講演会」では、施設運営は「自己責任」として、「時代遅れ」の公社より民間投資による株式会社方式が推奨されている。
吾妻渓谷をデスバレーならぬダイエットバレーとしてよみがえらせ、30代女性をターゲットとしたエクササイズセンターを運営すれば男性もやって来るという構想だが、地元民の反応は冷ややかだ。
川原湯温泉街 旅館の壁にダム湖の絵(撮影:錦織朱美)
<住民の多くが故郷から出て行った>
八ッ場の水没予定住民は当初340世帯、1100人にのぼった。八ッ場ダムの「生活再建事業」は、各集落を水没線より標高の高い代替地に移転する、いわゆる「現地再建ずり上がり方式」がベースになっている。
V字谷の中腹を削り、沢を埋め立てて広大な土地を用意する造成工事。各集落の代替地は合計34ヘクタールあまりにもなる予定だが、代替地に移転するはずだった住民の多く(全水没予定地世帯数の四分の三)は、補償基準が調印された2001年以後、補償金を受け取って他所へ引っ越してしまった。
多くの住民が代替地に見切りをつけたのは、住民が当初予想できなかった問題が次々と浮上したからだ。地元がダムを受け入れた1992年、国は代替地を補償基準妥結時には完成させると約束したが、代替地はいまだにできていない。2005年に決まった代替地の分譲地価は周辺地価より遥かに高額だった(温泉街の代替地は坪17万円以上)。
代替地は道路などのライフラインが未整備な上、30メートル以上の盛土部分もあり、災害の不安がある。住民は代替地ができあがる前に土地購入の希望を出さなければならなかったが、国交省が用意した分譲地図は、盛土部分と切り土部分がモザイク状に入り組む「切り盛り図」なる代物だった。川原湯温泉では人工的な代替地で観光客が果たして来るのかという心配もある
<水没予定地の実態>
地域がダムを受け入れて以後、水没予定地は国や県の意向に従うダム推進派に仕切られるようになった。ダムへの批判や非協力はバッシングの対象になり、重苦しい空気が地域を支配する。地元住民を代表するダム対策委員会はトップに推進派の有力地権者を据え、ダム推進を望む「地元意見」を代表するお墨付きのための委員会となっている。
地元住民の心情は複雑だ。八ッ場に限らず、ダム計画が持ち上がれば、どこでも最初は反発する住民が多い。しかし時間が経過するにつれ、「行政と対立しても埒が明かない」ことを理由に、「現実的な選択」として「ダム事業による地域振興」を目指す意見が支配的となる。
行政は補償金によって住民の協力を得ることに腐心し、裏切りと不信の連鎖が地域の人間関係をズタズタにする。「ダムは恐ろしい。自然の破壊は目に見えるけれど、心の破壊は外の人には見えないだろう」という住民の言葉は重い。
「公社構想」や「代替地計画」は反対闘争を潰すための方便だったことは明らかだ。ダムによる生活再建事業は、法律で保証されている「補償金の支給」の粋を出るものではなかった。けれども、行政はいまだに住民の反発を避けるために、ダム事業による「生活再建事業」がいずれは実現するとPRし続ける。
代替地での「生活再建」と「地域振興」を目指す住民は委員会を組織してきた。役職に名を連ねるのは、ダム闘争の追憶に浸る老人世代に批判的な下の世代である。川原湯地区では温泉街の若旦那衆が中心となった。行政はコンサルタントを雇い、代替地の未来図を何度も描いてみせてきた。
若旦那衆は川原湯温泉生き残りの唯一の道として、代替地計画に賭けてきた。こうした住民の中には、「ダム事業」=「生活再建事業」と捉え、ダム反対の世論を自分たちの人生や存在を否定するものと受け止めるケースもある。
<公共事業の見直し>
現在の水没予定地では、政権交代によってダムが中止されたら困るという不安が広がっている。実際、自然も集落も破壊し尽くされた状態で、国と関係都県が支出を一切ストップすれば、地域の荒廃はますます進むだろう。水没予定地にはすでに国が買収した空き地が広がっている。つくりかけの鉄道や道路、やりかけの砂防工事をどうするのかという問題もある。
わが国では、公共事業は一旦始まると中止することが想定されていない。ダム事業が続く限り、国や関係都県は地元民の生活再建や地域振興に責任を負うが、ダムが中止されれば責任がなくなる。ダムによる犠牲が大きい地元民が、表立ってダムを批判できず、ダムの中止を恐れるのはそのためだ。
ダムは税金の無駄づかい、時代に逆行する自然破壊と批判が増す中で、ダム推進側は地元民のこの弱みを最大限に利用する。八ッ場ダム事業は地元のために進めなくてはならないという、「地元尊重」を前面に出した主張は、地元を無視してダム計画を立案し、地元民の反対を押し切ってダム事業を始めた旧建設省の論理の延長線上にある。
野党各党は八ッ場ダムの見直しという政策で一致している。政権交代をめざす民主党は、ダム事業中止後の生活再建、地域振興を可能にする法案作りに取り組んでいる。ダムをめぐる政策転換に当たっては、地元のダメージを軽減するために、事業中止後の支出を可能にする法整備をセットで行う必要があるからだ。
住民への補償とともに、ダム計画によって破壊された地域を再生するための税金投入が法律で保障されれば、現地は再生の糸口をつかむことができる。長年の経緯から政治不信に陥っている地元はナイーブだ。ダム問題にどれだけ真摯に取り組むか、踏みにじられてきた住民の人権にどれだけ配慮できるか、政治の質が問われることになる。
<対立から共生へ>
長年の地元の犠牲は、今さら取り返しのつかないこともある。人生をダム計画に翻弄された多くの住民がすでに亡くなっている。しかしダム事業が続けば、地元の犠牲はさらに積み重なる。これまでの犠牲を無にしないためにも、できることをやらなければならない。
ダム計画は地元の犠牲と都市の恩恵という対立の構図を前提としてきた。ダム中止の声が高まる現在、ダムの生活再建事業に賭ける地元と、ダムに反対して地元民の生活を脅かす下流の住民という新たな対立が演出されている。
蜃気楼のような対立の構図から抜け出し、人々が共に支え合う本来の姿を取り戻すために、私たちにできることは何だろう。環境運動をリードする『サステナ』代表のマエキタミヤコさんは、「やんばは明るい未来への折り返し地点」というキャッチコピーを広めようという。時代に取り残されたかに見える八ッ場だからこそ、絶望を希望に変え、未来を語ろうというメッセージだ。
暗く哀しい過去を背負った八ッ場だが、要衝の地にあるだけに、ダム本体工事が中止になれば、これまで行われてきた工事を活かす方策を手始めに、可能性は無限に広がる。水没線より上につくられつつある道路を地域の幹線道路として完成させれば、吾妻渓谷沿いの現国道は観光用に活用できる。
新緑、紅葉シーズンに歩行者天国として開放したり、サイクリングロードとして整備することも可能だろう。代替地で有機農業を実践し、畑で採れた新鮮な野菜を旅館のメニューに提供すれば、「ダムが止まって奇跡的に残った川原湯温泉」は癒しを求める都会人のニーズに応えられるかもしれない。
都市と地方を分断し、対立させてきた経済構造はもう立ち行かない。対立から共生へ転換してゆく大きなターニングポイントの只中に、八ッ場はある。ダム計画の中で「利己的」な役回りを押しつけられてきた都市住民が、水没予定地再生のためにエネルギーを注ぐことになれば、マエキタさんのいう「明るい未来」に一歩近づくのではないだろうか。
文=渡辺洋子
1957年東京生まれ 群馬県前橋市在住。2007年、歌手の加藤登紀子さん、作家・カヌーイストの野田知佑さんらの支援を受け、都市と水没予定地の共生をめざす環境NGO「八ッ場あしたの会」を立ち上げる。ダムで水没する川原湯温泉、吾妻渓谷のガイドをつとめるほか、クリエイティブディレクター、マエキタミヤコ氏の協力を得て "やんば" 運動をバージョンアップするべく仲間たちと活動中。
八ッ場あしたの会 http://www.yamba-net.org/
吾妻渓谷・八ッ場大橋(撮影:錦織朱美)
