If the earth dies,you die. If you die,the earth survives.
地球が滅べば人類も滅びる しかし人類が滅亡すれば地球は生き残れる

 或る日突然、宇宙の彼方から謎の物体が地球に飛来する。マンハッタンのセントラルパークに着陸した物体から、一人の男と一体のロボットが姿を現した。男はクラトゥと名乗り、地球を救いに来たと語るが…

 『地球が静止する日』は、1951年にロバート・ワイズ監督が制作したSF映画『地球の静止する日』のリメイク。主役の宇宙人=クラトゥはキアヌ・リーブスが演じている。どことなく浮世離れした雰囲気がすごくSF的でよかった。彼の宇宙人ぶりはスタートレックのミスター・スポックにも匹敵する。コンピュータ・グラフィックスで描かれた宇宙ロボットのゴートもかなりカッコよい。そういう意味ではSF映画として十分成功していると思う。

 しかしネットの書き込みを散見すると、映画の評判はよろしくない。「陳腐だ」「プロットの構成が十分に練られておらず消化不良気味でわかりにくい」「シナリオの酷さを主演のキアヌ・リーブスのカッコ良さとコンピュータグラフィックスの凄さで誤魔化している」「金にものを言わせたハリウッド大作主義丸だし」「ムシの好かない映画」などなど、かなりの酷評である。

 確かにプロットが破綻してツッコミどころ満載になっているとの批判はあたっている。デリクソン監督は「映画のストーリーは十分今日に通用する」と判断して制作に着手したというが、実際は根幹部分が大きく変わっている。ロバート・ワイズのオリジナル版のテーマは人類に対するメッセージだった。ところが今回のリメイク版にはそれがない。はっきり言って本作の宇宙人は、人類を相手にしていないのだ。

<進歩に希望託したオリジナル版>

 オリジナル版では、クラトゥは地球外の進歩した文明を代表して人類に警告を与えにやってきた。原子力エネルギーを手に入れたもののそれを十分に制御できず、いつ全面核戦争に突入してもおかしくない状況にあった人類に対し、クラトゥは告げる。

 「決定的な破壊力を有した複数の文明が共存するためにはルールが必要だ。どんなことがあっても他人を攻撃してはいけない。もしもこの掟を破れば無敵のロボットによって組織された警察機構が発動して制裁が行なわれる。制裁には例外がなく徹底的だ。もしも人類が他の星を攻撃するようなことがあったら、ただちにロボット警察が出動して地球を灰にしてしまうだろう」

『地球の静止する日』

 ここには東西冷戦下の緊迫した社会状況が色濃く反映されている。同時にクラトゥの恐るべき警告は、人類が理性的に振舞えば「よりすぐれた文明」に到達できるとの期待が込められている。しかしこれを現代において語るのは大いに白々しい。

 チェルノブイリを経験した人類にとって、原子力は既に進歩の象徴ではない。「使い方さえ気をつければ」の話ではないのだ。政治家には期待出来ないが科学者の理性になら期待できる? 1950年代、アインシュタインは核軍拡競争に反対してバグウオッシュ会議の開催を世界の科学者に呼びかけていた。しかし今や科学者が理性を代表しているなんてとても考えられない。

<人類を相手にしないリメイク版>

 ポスト冷戦の現代、熱核戦争の危機は少し遠のいたが、国際紛争はなくならず、環境破壊は進行している。核兵器を使わなくてもこのままでは地球が壊れてしまいそうだ。このような地球に降り立ったキアヌ演じるクラトゥのメッセージはいかなるものなのか。

 キャシイ・ベイツ演じるアメリカ国防長官が大統領の代理としてクラトゥと対談する。「私達の星に何をしにきたの?」「君達の星だって??」。クラトゥはオリジナル版と同様に各国の指導者と会談する席を要求するが、それが叶わないとわかるとさっさと退場してしまう。彼は人間と語り合うために地球に来たわけではないのである。この時点でオリジナル版と決定的に違う。

 そして地球の運命についての最終決定は、70年間地球に潜入している工作員との間で行なわれる。その席上に人類はいない。高齢の中国人男性の姿をした工作員は、クラトゥと中国語で対話し、人類について「破壊的な種族で、それは今後も変わらないだろう」と語る。

 「公式な報告か?」。頷づく工作員。「では決まりだ」。人類抹殺計画の発動が決定された瞬間である。ちなみに、この会談場所は街中のマクドナルド。なんだかゾクゾクするシチュエーションだ。

 クラトゥが地球にやってきた目的は警告でも制裁でもなく、人類の排除である。ジェニファー・コネリー演じる女性科学者にクラトゥは告げる。If the earth dies,you die. If you die,the earth survives.(地球が滅べば人類も滅びる。しかし人類が滅亡すれば地球は生き残れる)。

 この宇宙で多様な生物が生息できる星は僅かしかない。人類のためだけに地球が滅びることを黙認することはできない。人類抹殺に使われるのは顕微鏡サイズの微少な金属昆虫の大群。イナゴのように都市を襲い、人間とその文明の産物のみを木っ端微塵に破壊していく。対話もヘチマも無いのである。

<破綻したシナリオは希望か絶望か>

 スピルバーグが『未知との遭遇』や『ET』を撮る前は『地球の静止する日』のクラトゥは友好的な宇宙人の代名詞とされてきた。そのキャラクターやプロットを生かしながらの物語展開には無理がある。ツジツマが合わない部分が出てくるのは仕方ない。例えば人類抹殺が目的ならば、何故クラトゥは秘密裏に地球に潜入せず、公然と劇的な方法で姿を現したのか。

 理解不能なハチャメチャな部分を映像の力で誤魔化しているといえば、その通りかもしれない。それでも私はこのリメイクを面白い試みだと思う。半世紀前と比べても、時代は決して良い方向に向かっていないことを示しているからだ。

 東西冷戦が終わり、熱核戦争の危機を回避した途端、予期せぬ方向から新しい危機が次々舞い込んで来た。私達はまだどうしていいのかわからない。その訳のわからなさがクラトゥにそのまま反映されている。彼はわれわれに明瞭なメッセージを伝えることはできない。なぜなら何を伝えてよいかわからないからだ。ここにSF的な誠実さを感じる。プロットの整合性を犠牲にしてでも大切にされなければならないもの、それは挑戦だ。今回のリメイク版は優れてSF的なスピリッツに溢れている。

 マクドナルドで人類抹殺計画の決定が下された直後、キアヌ=クラトゥは工作員に帰還を促す。しかし老人は地球に残るつもりだと語る。「ここが故郷だ。何故だかわからないのだが、私は彼らが好きなのだよ」。希望とはいつの時代も謎めいているものだ。

(1286号 2009年2月25日発行)

 

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