連帯を求めて孤立を恐れないキャラに萌えた

  「マンガは世界に冠たる日本文化」とは、今や世間の常識的見解であろう。そして、近代史のなかで独自の少女文化を作り上げた日本では、少女マンガが一大ジャンルとして確立している。

 勿論それにはピンからキリまであるが、質の高い作品は芸術の域にまで達し、数多くの知識人に礼賛されている。一般の少女マンガでも、人間の内面や心の機微を丁寧に描写する傾向が強い。コミュニケーション・テーマには好適なジャンルなのだ。

 言うまでもなく、この世界での自分の立ち位置や人生の在り方は、人と人とのコミュニケーション関係に大きく規定される。それ故に人の関係性を巡る問題は、小説・映画・テレビドラマ・マンガなどの重要な主題となる。

 本稿で取り上げる『悪魔とラブソング』(桃森ミヨシ・作)は、いかに他者と向き合うべきかとの問題に根深く切り込んだ少女マンガだ。

『悪魔とラブソング』(桃森ミヨシ・作品 集英社)

<悪魔と呼ばれるヒロインの葛藤>

 『悪魔とラブソング』は、集英社の雑誌「マーガレット」にて現在連載中であり、1月の時点で単行本は5巻まで刊行された。本作の主人公・可愛マリアは、県でトップクラスのミッション系学校・聖カトリア女子を対教師暴力事件で退学となり、偏差値低めの十塚学園高校に転入してくる。

 マリアは成績優秀のみならず、モデル体形で並はずれた美貌の持ち主である。絵に描いた様な(マンガだから当然ではあるが)眉目秀麗・容姿端麗の超絶美少女なのだが、高飛車な口調で人の本質を抉る直言を繰り返し、クラス中の生徒や担任教師から目の敵にされてしまう。

 クラスでのいじめに遭いながらも、彼女は怯む事なく真正面から他者に向かう。そして彼女は少しずつ周囲の者を変え、また自身も変わり始め、徐々に自分の居場所を獲得していくのである。人を信じるとはどういう事か、いかに人に気持ちを伝えるのか、それが本作に鳴り響く通奏低音たるテーマだ。

 テーマの良さもさる事ながら、他に比類なき可愛マリアの人物像は作品の魅力の源泉である。私の萌えのツボど真ん中のヒロインだ(既読マンガの全キャラ中で最愛)。当初は周囲から悪魔呼ばわりされるキャラだが、その「悪魔性」の中身にオリジナリティがある。

 それは他者を陥れる・自己チュー・ねじ曲がった性格・邪心に充ち満ちている、などの類では全くない。彼女は気高く清廉潔白で、強い意志と正義の志がある。加えて人間の本質を鋭く見抜く能力を持っている。彼女は他者を傷つけるためではなく、寧ろ他者を守る為に行動するのだ。

 しかしながら彼女は嘘がつけず、また空気も読めない為、相手の負の部分を容赦なくズバズバと言ってのける。他者にとって彼女は、己の醜悪な面を映し出す鏡として機能するのだ。それ故、マリアはクラスメイト達にとって「悪魔」なのである。そんな彼女を象徴するのが、物語導入部でのエピソードだ。電車通学の際、彼女は乗客をスリから守ろうとしているのに、それを誤解した乗客たちから陰口を叩かれてしまう。

 彼女が他者に求めているのは、嘘偽りのない本音でのぶつかり合いだ。然るに他の若者達は、お互い傷つかない様に空気を読みながら、当たり障りのない微温湯的な関係を作り上げている。そんな表層的コミュニケーションの中で、マリアの言動は強烈な摩擦を起こす以外にない。

 彼女自身、自分の言動が他者を傷つけ、関係性のノイズとして作用していると自覚している。そしてそんな風にしか行動できない自分を嫌い、常に自分を変えたいと願っている。「あんたは人を汚れさせる」。聖カトリアでの「親友」申利あんなから退学の日に伝えられたこの言葉は、原罪のごとくマリアの心に不協和音を響かせていた。

<ハリネズミのジレンマはどうなる>

 人を傷つけたくないが、人とは深く関わりたい。そんなマリアのジレンマを回避するためのキーワードは、「ラブリー変換」。これは、クラスの人気者で初期からマリアに味方する神田優介が教えた処世術で、攻撃的な言い方を柔らかくする方法だ。優介にとっては「きれいに生きる為のサバイバル術」だが、マリアはその内容を変更し、他者を受容しながら真摯に他者に向き合う為の術としていく。

 そんなマリアの影響で、優介の他者への関わり方も変わり始める。クラスメイトに対し、上辺だけではない清濁併せ飲む深い関係性を取り結ぶようになっていく。

 さらにマリアと深く関わるのは目黒伸。ぶっきらぼうで口の悪い一匹狼だが、面倒見良い一面がある。最初はマリアを嫌って距離を置くが、途中から彼女に惹かれ始める。マリアとは相思相愛になるが、物語の進展に伴いその恋愛模様は暗雲を孕んだものとなりつつある。

 クラスの女子からいじめられていた甲坂友世、マリアいじめの中心人物だった中村亜由も仲間へと変わる。マンガの題名にもなっている「ラブソング」だが、まさに歌がクラスの皆を結び付ける紐帯となるのだ。合唱コンクールが催される事になり、担任のいじめによりクラスで孤立するマリアにリーダー役が押し付けられる。しかし抜群に歌が上手いマリア。擬制「天使」キャラ井吹ハナがもたらす波乱などの紆余曲折を経ながらも、ついにクラス全体の絆が形成されるに至る。

 なお本作品では、マリアが身につけているケルト十字架(永遠の絆の形象)を象徴する漢字部首「申・甲・由」が、彼女に近しい者の名前に組み込まれている。そして、聖母マリアならぬマグダラのマリアをイメージしたヒロイン設定。異端審問や魔女狩りの隠喩、罪と贖罪の問題等々、キリスト教的モチーフが物語に深みを与えている。

 最近の展開では、マリアに深い愛憎を抱く申利あんなが登場し、新たな局面を見せ始めた。彼女が絡むなか、マリアの意外な生い立ちが明らかになりつつある。母は中学生の時米兵にレイプされ、マリアはその私生児として生まれたこと。だから本作の舞台は、米軍が身近な横浜。

 幼少期のマリアが、「ママはどうしてあたしのことを失敗作だと思っているの」と追及し、母を自殺に追い込んだ事。封印されたその記憶はトラウマとなって彼女を呪縛している事。衝撃的な事実が徐々に明らかとなり、今後の展開が激しく気になる。

 まさに本作品は、少女マンガの王道的様式で表現しつつ、読む者に深い思考を迫る問題群をさり気なく埋め込む離れ業を駆使している。正統派少女マンガ的な絵柄を苦手とする向きもあろうが、ぜひ一読を勧めたい。自分の生き方や他者への関わり方について考えさせられる作品だ。

 (磯生錬磨)

(1285号 2009年2月10日発行)

カルロ・クリヴェッリ『マグダラのマリア』