民族紛争が多発する世界

 8月8日、グルジアは停戦状態にあった南オセチアに侵攻。南オセチアの後ろ盾となっているロシアと戦闘状態になった。8月13日に停戦となったが、緊張状態は続いている。9月5日、チェチェン難民支援運動に関わる菊池由希子さんが、東京都内で南オセチアとチェチェンの現状について語った。

 

菊池由希子さん
 

<ロシアだけが悪いのか>

 去年の夏、私はロシアからアルメニアを経てグルジアに行き、その後南オセチアへ入りました。国際法上、南オセチアはグルジアの一部です。しかし南オセチアではロシア通貨が使用され、町中の標識や看板は全部ロシア語表記。学校の授業もロシア語で教えていて、本当にロシアの一部です。

 南オセチアでは「オセチアは分離できない」と書かれた大きな看板を見ました。北オセチア人と南オセチア人が握手している写真です。南オセチアの住民は、独立国家になるよりも北オセチアと一緒になってロシアに統合されたいと願っています。歴史的にもオセチアの人々(オセット人)は、ロシア帝政時代からグルジアに反発し、ロシアの一部として統合されたいと要求してきました。

「オセチアは分離できない」と書かれた看板

 ちなみに南オセチアの人口は7万2000人で、そのうち64・3%がオセット人、18%がグルジア人です。今回の紛争でオセチア・グルジアの一般市民約2000人が死亡しました。難民になったのはグルジア、南オセチアを合わせて11万8000人。南オセチアからロシアに逃れたのが3万人。南オセチアからグルジアに逃れたのが1万5000人。グルジア国内の避難民は7万3000人です。

 今回の紛争ではロシアを悪者にする論調が強いのですが、現地のオセット人がどう思っているかは語られていません。確かに停戦後もロシアがグルジアに居座って悪さをしているのは侵略行為だと思いますが、グルジア人がオセット人を迫害してきた歴史もあるのです。

 例えばグルジアのゴリの南に位置するトリアレットには、ソ連邦の時代に3万8000人以上のオセット人が住んでおり、134の村がありました。しかし90年にグルジア軍がこの地域を包囲。オセット人に対して「グルジア人の名字に変えてグルジア人として生きるか、もしくは出ていけ」と迫り、追い出したようです。住んでいた住民は、現在南北のオセチアに住んでいます。そんな状態で南オセチアの人がグルジアに帰属することを望むでしょうか。

  南オセチアをめぐるロシアとグルジアの衝突は今にはじまったわけではありません。1989年、南オセチアは自治州から共和国への昇格を宣言し、翌年決議。1990年から92年にかけては、南オセチアとグルジアの間で大規模な戦闘が起きます。

 1992年、ロシア、グルジア、南北オセチア4者によって停戦が合意され、「平和維持軍」としてグルジア軍、南オセチア軍、ロシア軍の3者が駐留することになりました。南オセチアの兵力は3000人しかいないので、ほとんどロシア軍に頼っている状態です。グルジア軍は、グルジア人がいる村やグルジアとの国境付近に展開しています。あとはロシア軍です。

 私の意見はロシア寄りといわれるかもしれないですが、民衆の立場からすればグルジアに無理矢理併合するより、北オセチアと一緒になりロシアに統合される方が良いと思います。

 同様の問題として今年2月のコソボ独立問題があります。アメリカやイギリス、日本など50カ国程度の国はセルビアからのコソボ独立を承認。しかしロシアは断固として反対しました。

 その一方でロシアはグルジアから独立したいオセチアやアブハジアの独立を承認しています。ロシア以外に承認したのは、ニカラグア、そして南オセチアと同じ未承認国家の沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフ、アブハジアです。アメリカなどは独立を承認していません。

 結局アメリカもロシアも、自分たちの都合で独立を承認したり、反対したりしています。今回の紛争に関しても一概にロシアが悪いとはいえないのではないでしょうか。

<戦争で傷ついたチェチェン>

 私は2006年12月31日から1年半に渡って3回チェチェンを訪れました。ロシア政府は、チェチェンは急速に復興していると発表しています。確かに中心部には新しい建物が建てられ、戦争で崩壊したとは思えないほどです。しかし平和構築の観点に立てば、現在の復興作業は不十分なものです。

 例えば建物も政府系のものや中心部など目につくところだけが立て直されています。首都のグロズヌイでは大きな新しいマンションが建っていますが、室内は壁紙もなく梁材がむきだしの状態です。

 さらに住民にとって今一番頭の痛い問題は高い失業率です。失業率は70%で、31万8000人の失業者がいます。労働環境も劣悪で、建設現場では女性や子どもが24時間働いています。転落事故も相次いでおり、地雷によるケガ人が減少した代わりに、建設現場でのケガ人が増加しています。給料の滞納や、賃金未払いのまま解雇されることもあります。

 環境汚染も問題です。2回の戦争で3万7000トンの石油が燃焼、大気汚染は深刻です。さらに2006年末には、約140人の子どもたちに中毒症状が現れる不可解な事件が起きました。何らかのガスか化学兵器なのか分かりませんが、子どもたちは今もてんかんや目眩といった後遺症に悩まされています。被害を受けた子どもたちをロシアのナリチクに連れて行き、治療のため検査をしていたのですが、FSB(ロシア連邦保安庁)の妨害に遭い、子どもたちは十分な治療を受けることができませんでした。同じような中毒事件は2007年にイングーシでも起きています。

 環境問題と関連してチェチェンでは、成人の癌の発症率が47%と非常に高くなっています。昔はチェチェン人といえば本当に健康な民族でしたが、最近は不健康な人が大半です。出生児死亡率はロシアで1、2位を争っている状態です。グロズヌイの助産院では多いときには1日に5人死亡しているとの報告もあります。また出生児の50%は何らかの先天性異常があります。

 チェチェンやイングーシの若者の70%がは身体的・精神的なトラウマを持っていると言われており、障害を持っている子どもは2万人います。1995年から2005年までに地雷の犠牲になった人はチェチェンの中だけで3037人、そのうち子どもは744人です。

チェチェンの第9病院の中で(写真提供:菊池由希子)

 医療問題では病院・医者の不足が上げられます。第二次チェチェン戦争開始までは327の病院がチェチェン国内にありましたが、現在はそのうちの25%しか機能していません。第一次チェチェン戦争開始まで1709人いたお医者さんは1000人以下に減っています。医者にはロシア人やアルメニア人が多かったのですが、多くは国外に出てしまったようです。ロシア政府は、医者の数を2~3倍に増やさないと患者が多いので対応しきれないと発表しています。

 その他に医者のレベルが低く、施設や設備が劣悪で、賄賂が横行しているのも問題です。ロシアの国立の助産院は本来無料なのですが、チェチェンでは日本円にして2万円程の賄賂を払わないと、母子ともにどうなるか分からない状態です。

 教育も水準の低さと賄賂が問題です。本来なら国立大学の入学料は無料なのですが多額の裏金・賄賂がないと入学できない状況です。昨年の「入学料」は2000ドル相当でしたが、今年は5000ドルまで引き上げられているそうです。試験に受かるために勉強するよりもお金を親戚中からかき集める方が大変なのです。

<難民を誰が庇護するのか>

 チェチェンはロシアの中で貧困率がワースト3位です。しかし不思議なことに、どこが貧困なんだというくらい男性も女性も派手な格好をしています。チェチェン人は家や家具、服にお金をかける民族です。プライドの高い人たちで、アクが濃く、魅力的な人たちです。

 爆撃で家屋が崩壊している人が多いのですが、ほとんどの人が賠償金をもらえないので自分で稼いで、レンガを買って家を建てています。女性しかいない家族でもちゃんと建て直している。家の中には冷蔵庫もあればベットもある。貧乏なところを見せたくないようで、家を訪れると手厚いもてなしを受けます。

 治安は平野部ではかなり落ちついてきました。ただ山岳部では今も戦闘が続いています。たまに砲撃している音が聞こえ、一発ドーンと響くとカタカタと家が揺れます。一度、グロズヌイの空港近くで着弾したのを見たことがあります。クルマから降りた時に2回爆発音がしてキノコ雲が上がっていましたね。

グロズヌイの空港近くで爆発が起きた(写真提供:菊池由希子)

 しかし地元のテレビでは、砲撃や戦闘のことは全く報道しません。一体誰が誰に向けて撃っているのか分からないこともよくあります。例えば最近、ゲヒという村にいきなり砲弾が降ってきて、家屋が炎上する事件がありました。ロシア軍の兵士が酔っぱらい、山の方に砲撃するはずが民家の方に撃ってしまったようです。そんなことは日常茶飯事で、ロシア軍からは何の謝罪も賠償金もなく、兵士が裁判にかけられることもありません。

 チェチェンには今も15万人の国内避難民がいます。隣のイングーシには1万3700人いました。イングーシの収容施設は、2004年北オセチアの学校占拠事件で全て閉鎖されました。施設の人々はチェチェンに戻るか、ポーランド経由でヨーロッパに難民として逃げたと思います。

 UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)によると2003年から2005年の上半期にかけてヨーロッパにおける庇護申請者中、ロシア国籍の難民、つまりチェチェン難民は第1位でした。その後減少傾向にありましたが、2007年再び第1位となりました。世界全体ではイラク人難民が第1位でチェチェン難民は第2位です。G8加盟国であり、大国のロシアが難民の数で世界第2位となるのは問題ではないでしょうか。

 ソ連崩壊後、世界は多極化し、紛争のほとんどは国と国の戦いではなく、民族間あるいは何らかのグループ間の戦いとなりました。国を単位とする従来の国際政治の考え方は通用しなくなった。国が国民の権利を保証できない状況が生まれているのです。ロシアはその代表的な国です。

 ロシアがチェチェン人やオセチア人などの少数民族の権利を保障できないのであれば、本来は国際社会が庇護しなければならない。南オセチア、アブハジアは、グルジアの一部ですが事実上独立状態にあります。そこで暮らす住民には国際的に認められている国籍もなく、グルジアのパスポートもない。どこか旅行に行くとなると、ロシアのパスポートを使う以外ないのです。ロシアのパスポートを持っている住民は、アブハジアや南オセチアで90%以上にもなります。

 結局、グルジアのパスポートがとれないオセチア人やアブハジア人に対して、ロシアが保護する形になっています。それを国際社会は批判していますが、本当は国際社会が保護すべきではないでしょうか。

<人間の安全保障こそ必要>

 チェチェンは確かに一見平和になっているように見えます。しかし戦闘行為もないのに難民が2007年に増加したのはなぜか。チェチェンにいてもまともな生活が送れないからです。

 お金が稼げない、病気なのに治療できない、教育が受けられない、お金があったとしても教育の質がすごく悪いので受ける意味がない。大学を出ても専門家になれるわけでもなく建設現場で働かざるを得ない。

 単に建物を建てるのではなく総合的な復興作業が必要です。教育・医療・経済の向上。チェチェン政府はそれを分かっていない。ロシアの中央政府から復興事業に対してかなりのお金が入ってきていますが、大統領や側近たちのポケットマネーになっており、本当に必要な政策が施されていないのが現実です。

 チェチェンの平和は安定しておらず、戦争がもう一度起こる可能性が非常に高いものです。その証拠にイングーシでは最近、爆破事件がかなり起こっています。殺人も誘拐も増えています。第一次チェチェン戦争のはじめぐらいひどい状況だとチェチェン人も嘆いています。チェチェンの治安悪化がコーカサス全体、イングーシやダゲスタンに広がって、非常に危険な状態に陥っています。

 国際的な専門家も、「チェチェン紛争は、ロシア人とチェチェン人の民族間の憎しみに起因するから仕方ない」と結論づける傾向があります。しかしそれは間違いです。戦争をさせないためには人間の安全保障の観点に基づいて、教育・医療・経済のレベルを上げていくしかないと思います。その後で政治的問題を解決していかなければならない。

 貧困問題や教育・医療のレベルを改善することで、地域が経済的に安定すれば戦争にお金を使えなくなります。教育や経済のレベルが上がると、戦争に使うお金は非常に大きくなります。もし日本が戦争を始めたら莫大な額となるでしょう。ロシアは人件費が安いこともあって、安く戦争ができるわけです。

チェチェンの崩壊したままの住宅(写真提供:菊池由希子)

 しかし市民の経済水準があがると戦争のコストは非常に大きくなり、簡単に戦争ができなくなります。そういう意味で経済の水準や教育・医療の水準を上げることで、長期的な平和構築ができると私は考えています。

 政治紛争は北アイルランド、バスクのように先進国にもあります。本来ならば政治紛争は議会で解決できる。しかしコーカサスは、議会で解決できるほど民主主義が発達していない地域です。武力ではなく政治のレベルで解決するには時間がかかります。そのためには何十年もかけて平和構築の作業をしていかなければならないと思います。

PROFILE▼きくち・ゆきこ
1983年青森県弘前市生まれ。高校2年の時(2000年)にチェルノブイリ訪問。2003年9月、モスクワ国立大学の国際政治学部に入学。2004年よりチェチェン難民支援運動に携わる。2006年には「イムラン基金」を創り募金活動を行い、チェチェン人の少年イムランを弘前大学付属病院にて手術。今年6月、モスクワ国立大学国際政治学部を卒業。10月より博士課程に入学予定だったが、9月8日にロシアの空港で入国拒否される。ロシア出入国法第27条「外国人や無国籍者は入国を許されないことがある」の第1項「国防能力、国家安全保障、社会秩序の保障、または住民の健康の保護のため必要なとき」に該当するとされた。

(1277号 2008年10月10日発行)