映画を観て、ある国会議員のいうような「反日」映画ではなく、むしろ親日的ですらあるとの印象を持った。

 映画の中心人物である刀匠の仕事ぶりを丹念に撮影し、8月15日の靖国神社に来る様々な人々、右翼や左翼、日本人遺族、台湾人遺族など、いずれの人々も可能な限りアップで映し出す。そんなところに、どのような思想や立場の人にも同じ距離間を保とうとする監督の意識が感じられ好感が持てた。

 しかし映画を観た直後は、監督が一体何を訴えたいのかよくわからなかった。無口な刀匠へのインタビュー、8月15日の靖国神社における人間模様、天皇ヒロヒトの戦中の映像、剣術の訓練の写真、旧日本軍が中国人を斬首する写真など、これらが何の説明もなく流されるからである。

 映画のパンフレットには映画監督の土本典昭氏とリ・イン監督の対談が掲載されている。リ・イン監督によると、作品のテーマは「問いかけ」。土本監督は「『靖国』は(対象を)批判的にくっきり見せていくことを、まったくしていない。とても立派だと思います。一人で見て考えるタイプの映画でもあるし、みんなで見て議論するタイプの映画」だと紹介している。

 確かに映画を観てから色々考えることがあった。その一つが「刀」である。

 刀匠がつくる刀は「靖国刀」。靖国神社のご神体は刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間、靖国神社の境内で8千100振りの日本刀がつくられ軍人に配られていた。そうした事実も新たな発見だったが、「刀」には色々なものが凝縮されているように感じた。

 日本人の中には、日本刀が美しいと思う人が多いかもしれない。私も映像に出てくる刀を美しいと思った。なぜだかわからないが、刀には日本人の美意識を刺激するものがある。

 例えば時代劇では刀のことを「武士の命」と言う。ここ数年、藤沢周平原作の映画『蝉しぐれ』や『武士の一分』などが公開されているが、いずれも下級武士が刀で不正や悪に立ち向かっていく物語である。ここにはある種の日本人の美徳というか一つの死生観が描かれている。その象徴が「武士道」であり「刀」だといえるだろう。

 確かに日本には「武士道」のような生き方・考え方がある。しかしこれは一つの側面でしかない。靖国神社は、一つの部分でしかないものがあたかも日本全体の文化であるかのようにふるまっている場所のように思える。

 映画には合祀取下げを求める台湾人遺族や、宗教上の違いから合祀取下げをもとめる日本人遺族が登場する。しかし彼らは靖国神社から門前払いされる。それはまるで「英霊は日本国のために命をささげたのであって、いかなる事情があろうともそれ以外の解釈は決してゆるさない」と言っているかのようだ。

 靖国神社は決して例外や異端を許さない。「おまえは刀が美しいと思うか? 思わないならそう思え」とでも言うかのようなとても不遜なところでもある。

 一方でリ・イン監督は、「この作品は日本に対してのラブレターだ」と語る。監督は日本にもう19年住んでいる。日本とアジアの関係がギクシャクしている中で、歴史認識や戦争責任の問題を日本人とともに考えていきたいと思い映画をつくった。

 たしかに中国や北朝鮮はなかなか話が通じない国かもしれない。しかし他者を受け入れようとしなければ、お互いが偏狭なナショナリズムに凝り固まってしまう。違う価値観、認識があることを知ることが必要だ。そんなことを考えさせられる映画だった。

 (当麻宗一)

『靖国YASUKUNI』李纓監督作品

(1271号 2008年7月10日発行)