映評『光州5・18』(キム・ジフン監督作品) 死を賭して民主化を求めた韓国の若者たち
若き日の熱い想いが鮮やかに蘇った
1980年韓国で光州蜂起が起こった時、私はちょうど20歳だった。私と同じ世代の多くのアクティビストにとって、光州蜂起に受けた衝撃は社会運動を始める原点となったはずだ。蜂起から既に4半世紀以上経つが、私はこの闘いが映画化されるのをずっと待ち望んでいた。
韓国では1979年朴正煕大統領が暗殺され、当時保安司令官だった全斗煥は粛軍クーデターを起こして実権を掌握した。後に大統領となる全斗煥だが、金大中氏ら野党政治家を逮捕・軟禁して戒厳令を発令。これに抗議して韓国全土では民主化を求める闘いが巻き起こった。
軍事独裁政権はこうした民衆の闘いを暴力的に弾圧した。民主化闘争が最も過酷な状況に立たされ、押しつぶされそうになったその時、最後まで闘い抜いたのは光州市民たちだ。映画のタイトルは『5・18』。光州蜂起の事実は、その後8年間続いた全斗煥政権下、スパイ防止法などによる厳しい監視社会の中で徹底的に封殺され、口外することがタブーとされた。そのなかでも民衆たちは、「5・18」の符丁で光州の闘いを語り継いだ。
当時私は民主化運動に連帯する写真展や、記録映画『光州は告発する』の上映会で、何度も光州の血の惨劇を目の当たりにした。映画に出てくる道いっぱいに並んでこぶしを振り上げる若者たちの姿は、あの当時の記憶そのままだ。闘いの舞台となったのは全羅南道の道庁前。映画では1980年当時の街並みをそっくりそのまま再現していた。総制作費100億ウォン(12億円)の大作だ。
冒頭に、「この映画は全て真実です」とのテロップが流れる。この映画は真実を描いており、故に私には登場する人々の運命が分かる。だからなおさら、その悔しさと悲しさが胸に迫って涙が止まらなかった。
特殊部隊を投入し、何千人もの市民を虐殺して光州蜂起を鎮圧した全斗煥。その軍事独裁政権を世界で最初に支持したのは日本政府だった。その後も日本は莫大な円借款によりこの政権を支え、全斗煥大統領は1984年、戦後の韓国元首として初めて来日し昭和天皇と晩餐会を共にした。
命がけで民主化運動を闘う同世代の韓国の若者たち。私は日本政府の姿勢を認めることで間接的に彼らの敵となることに耐えられなかった。暴力で潰され続ける韓国民衆の声を私が代わりに日本中に届けたい、1人でも沢山の人に届けたいとビラをまき署名を集め、毎週のように集会やデモに出かけた。
独裁政権下の報道管制のためもあり、当時韓国のマスコミは光州で闘う人々を「暴徒」と呼んだ。映画では、降伏すれば助かる場面で「我々を暴徒と呼ぶな!」と軍に立ち向かって行くシーンがある。
「軍事政権下、暴徒のレッテルを張られて非国民扱いされ、虫けらのように殺された人々。彼らはごく普通の市民であり、国を愛するがゆえにこんなにも勇敢に闘ったんだよ」 私は、この映画を通して一番訴えたかったメッセージはこれだと思う。映画を通じてあの時代の叫びを今に伝え、犠牲になった人々に鎮魂歌を贈る。そして今も続く民衆運動の檄にしたかったのだと思う。あの暗黒の時代の中でも決して諦めず、劇的な民主化を実現してきた韓国の人々の努力に本当に敬服し感動する。
そんな彼らには申し訳ないのだが、ここ数年、私はかつてのような変革ヘ向けた気力が湧き上がらず、心が萎えてしまっていた。しかしこの映画を観て、改めて思った。確かに年月と共に人は変わる。しかし、どう変わってどんな意味を残すかは、各自それぞれが選択することなんだと。
20歳の時私は、日本社会の中から新しい何かを産み出したくて、光州に散っていった若者たちのように必死で社会運動に取り組んでいた。この映画は、あの頃のかけがえのない気持ちを思い出させてくれた。だから涙がとまらなかったのだ。
「まだ老いている場合ではないのですよ」。映画館で私は、そんなあの頃の自分の「声」を聞いた。
みなさんもぜひ観に行って下さいね。
(太刀川 海)
