湧き上がる排外的ナショナリズム

 胡錦涛国家主席が訪日し、改めて日中の「戦略的互恵関係」が確認された。

 しかし「毒入りギョーザ」事件は未だ真相が究明されず、中国公安当局者は日本側と対立する見解を一方的に打ち出している。チベット問題では、これまで穏健派と思われてきた温家宝首相みずから「チベット暴動はダライラマ一派の策動」と断言した。

 なぜ中国は国際社会での軋轢を無視するかのように、こうも頑なな姿勢に終始するのか。『中国 危うい超大国』を紐解けばその理由が見えてくる。

<「下からのナショナリズム」に苦慮する共産党>

 著者のスーザンL.シャークは、クリントン政権の国務次官補として1990年代後半のアメリカ対中政策を取り仕切った。71年米国初の留学生の1人として中国へ渡り、その後も中国の政官界に広い人脈を持つ知中派の重鎮だ。

 彼女が分析する現代中国の状況は、かなり危機的だ。数年前に巻き起こった反日デモなどを見ると、共産主義を放棄した中国共産党が一党独裁を維持するために偏狭なナショナリズムを煽っていると考えがちだが、事態はそれほど単純ではない。むしろ共産党指導部は、下から湧き上がる対外強硬論への対応に苦慮しているのである。

 実は天安門事件で鎮圧された89年の民主化要求運動も、85年に起きた反日デモが発端だった。当時学生たちは中曽根首相の靖国公式参拝に抗議デモを行い、これが政府によって抑え込まれたことから、「報道・出版の自由」を求める運動が3年がかりで拡大。共産党の統治そのものを揺るがす勢いとなった。

 同様に現在の中国指導部も、「下からのナショナリズム」への対応に常に苦しんでいる。外交関係を重視するあまり国内人民の利益を損なったと見なされれば「指導者として生き残れない」。ゆえに対外的には強硬な態度を示さざるを得なくなっているわけだ。

 背景にあるのは、共産党の一党独裁だ。中国の政治指導者は、国民全体による選挙の審判を受けない。だからこそ先鋭な極論を唱える人の発言力は強まってしまう。平均的な多数派意見を政治に反映する道が閉ざされ、「おとなしい人の声」は表現の場がなく、リスクを負って積極的な言論活動を行う人の発言ばかりが指導部に「世論」として認知されてしまう。 

 IT技術の発達はこの傾向に拍車をかける。中国では現在、民間マスメディアが激烈な視聴率競争を展開し、ネット言論は若者の間を駆けめぐっている。テレビはより過激でセンセーショナルな排他的愛国主義を煽り、ネットの掲示板は排外主義的な主張で埋め尽くされる。これらは「世論」として共産党指導部にプレッシャーをかけ、外交の選択肢をますます狭くしていく。

 かつて毛沢東など「革命第一世代」の指導者たちは、抗日戦争の元勲としての権威によってこうした極端な主張を抑えることができたが、現指導部にはそうした権威は存在しない。

<どうすれば戦争の危機を回避できるのか>

 こうした分析の上に著者は、米中戦争の危険性を恐ろしいほどリアルに危惧している。

 中国にとってアメリカ・日本・台湾の3者との関係は、どれも自国民のナショナリズムを刺激しやすいデリケートな問題だ。そのためこの3者とは、冷静な利害計算にもとづく外交に徹することが特に難しい。

 中国にとって「対米関係は面子(メンツ)と国益の問題、対日関係は愛国心の問題、台湾(独立)は共産党体制にとって死活の問題」なのだ。たとえば台湾の指導者が「中国からの独立」を公言し実際にそれに踏み込もうなら、共産党は武力を発動してでもこれに反応しないわけにはいかない。するとアメリカも国際的なポジションを維持するため、対抗して武力発動を余儀なくされる。その際日本が米軍の支援を行えば、中国国内の反日ナショナリズムは燎原の炎のように燃え上がり最早誰にも止められなくなる。

 著者が紹介する人民解放軍大佐の言葉は象徴的だ。

 「中国外務省と共産党幹部は歴史問題で日本を追及するのは終わりにし、中国人の日本に対する世論を変えたがっている。しかしもう遅すぎる。 我々は10年前に、共産党が情報をコントロールできていた時に世論を変えておくべきだった。 しかし、今はもう遅い。我々はもうコントロールすることができない」

 ゆえに現在の政治指導部はますます軍部に依存せざるを得ず、軍部の政治的発言力は増大。貧富の格差拡大など、国内政治の不安定要因もまた軍部依存を加速させている。革命の闘士であった鄧小平までの指導者は、軍縮を断行しても軍部の不満を招かない権威をもっていたが、現指導部は軍の機嫌も伺う必要がある。

 こうして戦争勃発の危険性をリアルに危惧する著者は、「アメリカにとって最も重要」なのは何をおいても「中国との戦争を回避すること」だと主張。そのためには、アメリカが「人権尊重」を掲げて中国に「圧力」をかけるのを強く自制すべきだと述べている。

 中国にとって「冷静でいられない相手」であるアメリカや日本が「外圧」まがいの態度をとれば、逆に中国国内の国際協調派の立場を弱めることにしかならず、中国国内の人権派の多くにとっては「ありがた迷惑」になるばかりで逆効果。しかもアメリカや日本との関係が悪くなれば、中国ではそれだけ軍の発言力が強まり、戦争の危機が増大することになると言うわけだ。

 むしろ著者は、中国指導部の基本路線を追認した上で、「近代国際システム」に中国を参入させることを提起する。アメリカも中国もできるだけ変わらずに、国際社会での利益を分け合う。中国国内の人権問題には目をつぶりつつ、アジア太平洋地域で米軍は強大なプレゼンスを維持し現在の世界秩序の枠内に中国を取り込む戦略だ。

 二大超大国間のリアルな外交戦略として考えれば、こうした考え方にそれなりの説得力はある。少なくとも反日運動に対抗して反中国を煽るような対抗的ナショナリズムでは問題は悪化するばかりだろう。
 しかしこうした議論からは、国境を越えた人と人との連帯や交流の視点がすっぽりと抜け落ちている。そこを埋めていくのが私たち草の根の民衆運動の役割だと思う。

 (野本陽吾)

(1268号 2008年5月25日発行)

『中国 危うい超大国』(スーザン L.シャーク・著 日本放送出版協会)