ドイツのエネルギー政策を変えた人々の勇気と連帯

 青森県六ヶ所村再処理工場の本格稼動が迫っている。それを許せば大量のプルトニウムが空や海に放出され、取り返しのつかないことになる。

 ドイツの再処理工場は、住民の反対運動で計画が断念された。そのプロセスを追ったドキュメンタリー映画『核分裂過程』。実際に稼動を止めた運動から私たちが学べるものは多い。

<人々は体を張って抵抗した>

 東西ドイツが統一する前の1985年、バイエルン州にある緑豊かな小さな村ヴァッカースドルフに再処理工場の立地が決まった。しかし住民の徹底的な抵抗によって89年に建設中止に追い込まれた。この映画はその反対運動を87年まで追ったドキュメンタリー。ベルトラム・フェアハーク監督は、静かな村に巨大開発が進められる事態に憤りを感じ、反対運動に密着してマスコミが伝えない真実を記録した。

 敗戦国のドイツは戦後、日本と同様に「核武装の放棄」を宣言した。しかし両国とも平和利用の核燃料再処理計画を進めた。日本では1977年、東海再処理工場が運転を開始。ドイツでは1983年、ヴァッカースドルフの再処理工場計画がもち上がった。

 この小さな村は当時、キリスト教社会同盟(CSU)の支持者が多い保守的な土地柄だった。しかしヨーロッパ中から5万人以上の人が現地に集まって抗議。カオーテン(過激派)と呼ばれる活動家たちは丸木小屋を作り、反対運動を始めた。

 運動のなかで保守的だった住民たちの意識も大きく変わり、カオーテンを信頼し彼らの生活を支える。協力し合い抵抗の拠点である丸木小屋が次々と建設される。しかし機動隊が投入されて人々は排除され、小屋は破壊されてしまう。逮捕者を出し、泥まみれになりながら抵抗する活動家たちの姿は、かっての三里塚闘争と同じだ。

 政府は「再処理工場は安全だ」と主張し、力ずくで建設を強行。これも六ヶ所とまったく同じ。建設が進むにつれ、反対する住民・市民と当局との衝突はますます激しくなる。工場側から鉄柵越しに放水され、催涙ガス弾が発射される。しかし住民たちはひるまず、水で目をゆすぎながら抗議を続ける。

 あまりにも抵抗運動が強いため、ついに政府は法律でデモを禁止。それでも住民たちはあきらめなかった。毎週日曜日、教会に通う代わりに再処理工場建設現場の周りを「散歩」し、2年間に渡って粘り強く抗議を続けた。さらに安全対策に関する訴訟を起こし、その度に工場側は計画変更を余儀なくされた。その結果工場建設のコストはかさむばかり。

 ついにこの映画が完成した2年後の1989年、再処理工場は建設中止に追い込まれた。人々の体をはった抵抗が国策を断念させたのである。

<原発は都会に住む私たちの問題>

 映画撮影中の1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた。放射能に汚染された食物に晒される中、ドイツ国民の意識は大きく変化した。「緑の党」を国政に送り出し、ドイツ国内では脱原発潮流が力を増す。こうした時代背景もまた、ヴァッカースドルフ再処理工場建設中止に拍車をかけたと言えるだろう。

 その後ドイツでは、脱原発をエネルギー政策の基軸とするに至る。2000年6月、ドイツ政府と4大電力会社は「原子力の順次排除をめぐる合意書」に署名。原発はコスト的に合理的ではないと判断した電力会社側が申し入れた。新規原発の建設を禁止し、原発の稼動年数基準を32年とし、それを過ぎれば順次廃炉にする。15~25年かけてすべての原発の運転を終了する。

 ドイツの原子力発電は現在、全電力の約35%を発電。これへの依存を減らすため、エネルギー消費構造の見直し(省エネ)と再生可能エネルギーの開発を図っている。1991年から太陽光発電を奨励した「10万の屋根プログラム」や、風力発電のための「25万キロワットプログラム」などが進められてきた。これにより風力発電は90年の4万キロワットが2000年には495・8万キロワットになり、100倍以上増加した。世界の風力発電設備容量の3分の1はドイツが占める。

 これと正反対に日本では、昨年から自然エネルギー予算を削り原子力へ回している。日本が再処理工場建設費を風力発電機設置に振り向けていれば、原発10基分の電気を賄えた。地熱を有効利用すれば、全国で原発20基分の発電が可能とも言われる。私たちはドイツの人々の決断から学び、国民自らがエネルギー政策を選び取り、創り出していかなければならない。

 映画で描かれたヴァッカースドルフ再処理工場が建設中止となった後、そこには工業団地が造られた。残念ながらもし六ヶ所村再処理工場を止めても、既に莫大な放射能で汚染されているから同じようにはいかない。再処理工場は現在アクティブ試験中で、すでに放射性トリチウムが工場付近で観測されている。こんな現実を前にして、ついつい自分たちが無力に感じてしまうときもある。

 だけど希望はあると思う。日本でもチェルノブイリ事故後の88年、六ヶ所村再処理工場建設に反対する2万人の集会が日比谷で開催された。今再び、再処理に反対する運動が盛り上がりつつある。この運動を一過性のものにしてはならない。

 80年代当時、六ヶ所村の人たちが必死で再処理工場に反対している時、私はまだ小学生で原発のことすら知らなかった。周りの大人たちも目の前の生活で手一杯。確かに生活は便利になったかもしれないが、このままでは子どもたちの未来は奪われてしまう。

 再処理工場の建設計画の当初から、ドイツのように全国から反対の声が上がっていれば、未だ六ヶ所村は放射能に汚染されていなかったかもしれない。ヴァッカースドルフのように全国民と地元の人々が繋がるためには、何よりも電気を消費している都会の私たちが六ヶ所村の反対運動の歴史を学び、連帯することが問われている。

 六ヶ所村は元々、満州から引き揚げてきた人たちが開拓した。しかし苦労して開拓した土地は、むつ小川原開発のために国によって取り上げられ、さらに開発は失敗し地元には莫大な借金だけが残った。産業もなく、出稼ぎしないと食べていけない貧しい時代を経て、やっとホタテ養殖が軌道に乗った矢先、今度は再処理工場の建設が決まった。六ヶ所の人々は、国の都合によって翻弄され続けてきたのだ。

 こんな歴史を知らずに再処理工場を黙認し、都会の便利な生活に安住する私たちは、国といっしょになって六ヶ所の人々の上にあぐらをかいて生きてきた。これ以上私はそんな生活を望まない。だからこそ都会と地元とが繋がった脱原発運動の歴史を創っていきたいと思う。

 ドイツの人々は諦めないで夢を持ち続け、再処理工場の建設を中止させた。私たちも夢を諦めてはいけない。そんな風に勇気づけてくれる映画だ。

   (グリーンアクションさいたま・元木菜々子)

映画『核分裂過程』

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(1264号 2008年3月25日発行)