「介護職の乾き」と向き合う日々 それでも人に関わる仕事をしたい
私は昨年3月、それまで勤めていた介護施設を辞めて病院の介護職へ転職した。そこは「特殊疾患入院施設承認病院」。有効な治療が難しい難病指定の神経難病を患っている方が多い。
主な神経難病はALS(筋萎縮性側索硬化症)、パーキンソン病などで、言語障害、呼吸不全、四肢麻痺、排便排尿障害など様々な進行性の運動障害を伴っている。入院されている方は全員気管切開されており、自力呼吸ができない8割以上は人工呼吸器を使用している。
自力呼吸ができる場合でも酸素が送られており、全ての人は口・鼻・喉の吸引が必要な状態だ。主な原因は脳血管疾患(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血)、脳腫瘍、脳外傷、脊髄損傷、蘇生後遺症などによる。
<わずかな動きでコミュニケーション>
入院されている方のほとんどは、発病後に筋力が衰え、歩行や食事は勿論、呼吸することも指一本も動かすことも困難な状態だ。認知能力は維持されているのに、言葉を発することができない。
そのため私が働きはじめて最も悩んだのは、患者さんとのコミュニケーションの方法だ。わずかに動かすことのできる瞼や眼球、口の動きを察知し、文字盤を使って対話しながら顔の向きを変えたり、ラジオやテレビのチャンネルを変える。こうした対話は慣れないうちはとても難しく、ついイライラしてしまった。
例えば体の位置変更を数ミリ単位で希望される方もいる。本人の希望通りに細かく調節し、「大丈夫ですか?」と伺うと眼球を動かして「いいよ」との返事。ところがその後に吸引を希望されると体が少し動いてしまうので、また最初からやり直しになる。そんなときは深呼吸をして、「よろしくお願いします」と心の中で気持ちを切り替えている。
最初は上手く対話することができず、患者さんから「この職員はダメだ」と指摘されることもあった。とても悔しかったが、患者さん毎の好みや訴える内容、好きな体の位置をメモし、他の職員の対応から学びながら少しずつ慣れていった。そのうちお笑いの話や「好きな女優は吉永小百合」などと対話が弾むようになり、患者さんの笑顔が何より嬉しくなる。いつもは厳しい注文をする人から「ありがとう」と笑顔で感謝された時などは、思わず「あー鈴木さん(仮名)が笑ったー」と声をあげてしまうほど嬉しい。
認知能力はそのままなのに、だんだん体が動かなくなることを受け入れざるを得ない患者さんの気持ちは想像を絶する。現在の医療ではこれらの難病の完治は見込めないのが現実だ。どれほど悲しく悔しいだろうか。「なぜ自分が…」と誰しも思うだろう。
職場の同僚の一人は、「もし自分が同じ境遇になったら死にたいと思うだろう」と話していた。私もそうかもしれない。そんなことを思いながら、入院されている方の意思をできる限り尊重し、より快適な介護により笑顔が少しでも多くなるようにと願って働いている。
<日々こなすべき業務は山ほどある>
しかし、そんな思いだけでは現実の介護は成り立たないことも確かだ。端的に言えば、介護を「数、量、時間」の枠で考えざるを得ない時がある。
例えば体を拭く清拭や下着(おむつ)交換などは、決められた時間に決められた人数をこなされければならない。そんな時は患者さん一人一人の訴えをじっくり聞くことは難しい。一人に多く時間をかければ、他の職員がその分の穴埋めをしなければならないし、別の業務を行う時間がなくなってしまうこともある。
少ない人数で約50人のコールに対応しなければならない場合には、やはり吸引や排泄などの重要度、緊急度が高いものを優先するしかない。他の人には「すみません、少し待っててもらえますか」と対応せざるを得ないのだが、納得しない人は多い。
夜勤帯で職員が少ない場合には、コールを鳴らし続ける人に思わず「待っててよ!」と強い調子で怒鳴ったり、無視する職員も出てしまう。「コールをして怒られた」との患者さんからのクレームを受け、職場のミーティングではできるだけ丁寧に対応していこうと反省しながら取り組んでいるが、そう簡単にはいかないのだ。
例えば、夜間不眠傾向でほぼ10分ごとに「足を右に動かして」などと文字盤で訴える方がいる。他のコール対応や業務を行いながら6時間ほどケアして、やっと明け方に眠りにつく。十分にケアされた安心感で眠れるのだが、こちらはクタクタだ。
たまに先輩には、「コールが集中するのはスキがある、甘く見られているからだ」と指摘される時もある。しかし私は、「業務」としてだけ患者さんと接していくつもりはない。勿論業務を円滑に行う必要はあるが、だからと言ってまるで流れ作業のように介護を行うことにはどうしても抵抗がある。
ある夜勤の最中、女性患者の佐藤さん(仮名)が「しばらく一緒にいて欲しい」と訴えられたので、寄り添って話を聞いた。他の職員からは、「あなたがそんなことをすると他の職員も応じなければならなくなる」と指摘された。その後数日して佐藤さんは亡くなった。私はやはり、あの晩に寄り添って話しを聞いてあげてよかったと思った。生身の人間を相手にする介護職とは一体何なのか、私は常に自問自答しながら働いている。
今私が心がけていることは、たとえ介護の大半が業務であったとしても、その中で人間同士の関係性を大切にすることだ。患者さんの人生を尊重し、気持ちを大切にする姿勢を持つかどうかは、同じ業務をこなすのでも大きな違いになる。
<やってて良かったと思える瞬間>
介護の仕事は「低賃金・重労働」で、あまり報われることがないマイナス・イメージが強い。「二度と介護の仕事はしたくない」と辞めていく人が多いのも事実だ。私も友人に介護の仕事を胸を張って勧めたことはなかった。
夜勤などの不規則な生活のためかほとんど眠れないまま働くことも多く、「報われる」こととは縁が薄いかもしれない。それでもこの仕事にこだわるのは、人間らしく尊重される人生を送るためには、誰もが多くの人の協力を必要としていると思うからだ。
それに、介護ならではの「報われる」話だってある。20代の男性田中さん(仮名)は、入院時全く活気がなくベットからあまり出たがらなくて困っていた。そんな時私は、彼はサッカーのイタリア・クラブチームACミランのファンだと聞いた。そこで私は、ミランの試合のDVDをホールで見てもらおうと医師と看護師に提案してみた。
病院はヒエラルキーの明確なピラミッド社会なので、介護職がケアについて提案することは通例ではあまりないし、まず認められない。しかし思いがけず「試してみましょう」ということになった。すると田中さんはとても喜んでホールに車椅子で移動し、ビデオを見ることが習慣になった。あわせて歩行器で付き添われながらのリハビリも始まった。
そんなある日、看護科長から「個人に限定したテレビの使用は許可できません」との通達があり、厳重に注意された。私が申し訳なさそうに田中さんにそれを伝えると、「大丈夫ですよ。科長さんがいない日に見ますから」と笑っていた。
田中さんはその後、歩行器がなくても歩けるようになり、本格的にリハビリを行うためにリハビリ専門病院に転院した。転院する日の朝、職員と一緒に記念撮影をした田中さんは、「今度はしっかりリハビリして歩いてここに来ますから」と目を赤くして挨拶していた。
看護師に遠慮してケアについては疑問をもたず、流れ作業として介護職をこなしてしまえば、ある意味楽かもしれない。でもこんな嬉しい瞬間に出会うたびに、「介護職の乾き」に慣れてしまってはいけないと痛感する。
本当の意味では、介護にマニュアルは無い。日々の介護での経験の積み重ねが介護職として、何より私自身の人生の幅を広げてくれると思う。一人一人と真摯に向き合い、悩みながらも介護の経験を積み重ねていきたい。
後藤喜一(30代・介護職員)
