ウミガメ

<屋久島で見たウミガメの産卵>

 2年前の6月、私は世界遺産屋久島を訪れた。その際、「NPO法人屋久島うみがめ館」の館長大牟田一美さんの案内で、ウミガメの産卵を目の当たりにした。

 場所は田舎浜の浜辺。月もない真っ暗な夜、アカウミガメは静かに砂浜に上がってきた。上陸時にはとても神経質で、人の姿を見れば決して上がってこない。私たちは息をひそめて遠くから見守る。

 しばらく浜の様子を探るようにじっとした後、ゆっくりと動き始める。産卵場所を決め、フーと大きな息をつくと、おもむろに後肢で穴を掘り始めた。こうなると穴掘りに夢中になり、人が近づいても大丈夫だ。調査員は甲長と甲幅を計測する。

 ウミガメは本来、十分な穴の深さを確保しなければ卵を産まない。砂を掘り進め、後肢が宙に浮いてはじめて産卵を始める。ところが、浜辺の砂が減ったためにすぐに固い土に突き当たってしまい、放置すれば後肢を血まみれにして掘り続ける。そこで大牟田さんが考案したのがウミガメ助産器だ。これでお尻を少し吊り上げてやると後肢が宙をかき、ウミガメは十分な深さの穴が掘れたと錯覚するのだ。

 いよいよ産卵が始まった。「フー、フー」という荒い息と共にピンポン玉ぐらいの大きさのプヨプヨしたやわらかい卵が穴に落ちる。私たちはその後ろで待機し、産み落とされた卵をすぐに取り出して保護する。後で十分な深さの穴を掘って埋めなおすのだ。

 20分程で100個位の卵を産んだら、今度は穴を埋め始めた。既に卵は保護のために取り出しているが、ウミガメにはそれは分らない。穴を完全に埋め、カモフラージュのために砂を後方に飛ばせた後、無事お産を済ませた彼女は疲れきった体を引きずりながら静かに海へ戻っていった。

<絶滅に向かうウミガメたち>

 ウミガメは、世界で7種存在する(アオウミガメの亜種を8種目めにカウントするかは意見が分かれている)。日本とオーストラリアは、世界でも有数のウミガメ繁殖地で、日本沿岸、南西諸島は餌場でもある。日本では6種類ものウミガメが確認されているのだ。

 彼らは太平洋の比較的暖かい海域で暮らし、一生のほとんどを海の中で過ごすが、雌は産卵するときだけ砂浜に上がる。強い雑食性をもち、魚類・貝類・クラゲなどを食べるアカウミガメにとって、日本は北太平洋唯一の産卵地だ。アオウミガメはアマモなどを食べ、小笠原諸島やハワイで見られる。屋久島はアオウミガメ生息域の北限だ。

 7種のウミガメはすべて、IUCN(国際自然連合)のレッドリストに載っている。なかでもタイマイとケンプヒメウミガメは、「近絶滅種」に指定されている。タイマイは日本でも見られるが、べっ甲を取るため乱獲され著しく個体数は減少した。

 同じく地中海のアオウミガメは乱獲のため、1940年代には姿を消した。1970年代後半、フロリダとハワイのウミガメは腫瘍フィビロバビロマにより激減。この腫瘍の原因は海洋汚染と推測されるが、未だ確定していない。

 このように局地的な絶滅は世界各地の沿岸で起きており、種としての絶滅に向かっている。ウミガメは1億1000万年前に現在の姿になったようだ。さらに2億3000万年前のウミガメの祖だと思われる化石も見つかった。何億年も地球に息づいてきた動物種が絶滅に追い込まれている。

<日本での産卵数は激減している>

 日本はウミガメの重要な産卵地であり、近海は餌場となっている。雌は最初に産卵した浜に執着して繰り返し訪れる。ゆえにウミガメは、私たちを取り巻く海洋汚染のバロメーターでもある。

 実はウミガメの生態は未だ不明な点が多い。国や県などは上陸頭数しか発表しないが、ウミガメは200個〜300個の卵を1シーズン2〜3回に分けて産卵する。そのため「のべ産卵頭数」を調べる地道な調査が必要となる。

 こうしたなか、前述した屋久島ウミガメ館の大牟田さんは、実際のデータに基いてウミガメの減少に警鐘を鳴らし、保護と生態研究に貢献している。屋久島は日本最大のアカウミガメ繁殖地で、日本近海のアカウミガメの約50%は屋久島で産卵する。

 その豊かな自然が評価されて世界遺産に登録されたが、皮肉にも観光客は急増した上に、ウミガメの産卵や子ガメの孵化が観光の目玉となった。屋久島でもウミガメの生育環境は年々悪化しているのだ。

 例えば大牟田さんの調査では、見学者が多い年は子ガメの脱出巣数は低下する。巣穴が踏まれて固くなり、多くの子ガメたちは巣から脱出できずに死んでしまう。無事巣から脱出しても、ちゃんと海に戻れるのかも問題だ。

 今年9月、私は静岡県浜松市の遠州灘で行われた子ガメの放流会に参加した。そこで知ったのは、巣から出た子ガメの97〜98%は海ではなく、陸に向かってしまうことだ。子ガメは赤外線に反応して海を目指す。文明の灯りがなければ、本来夜は陸よりも海のほうが明るい。しかし現在、街の明かりは夜空さえ赤く染める。

 そもそも産卵の際も灯りをつけた大勢の人がいれば、ウミガメは上陸してこない。我慢しきれずに海中に卵を放出すれば、卵は呼吸ができなくなり水中で死んでしまう。屋久島でさえ助産器が必要なように、砂浜の砂は減っている。

 こうした厳しい状況をなんとか打開するために、2005年屋久島の田舎浜、前浜、四ッ瀬浜はラムサール条約登録地となった。生物多様性が保たれた豊かな生態系を次世代に手渡すために、ウミガメの絶滅を回避する取組みが問われている。

<生物多様性は加速度的に失われている>

 20世紀の自然保護の主眼は、種を守ることだった。しかし、ウミガメ種を守るためには、海洋の環境そのものを守らなければならない。種だけでなく、そこに場の概念を加えたのが生物多様性だ。

 社会生物学者のE・O・ウィルソンが最初に提唱し、1992年リオで開催された地球サミットで締結された生物多様性条約により一般的に広まった。地球サミットでは生物多様性を、「陸上、海洋およびその他の水中生態系を含め、あらゆる起源を持つ生物、およびそれからなる生態系的複合体の多様性。これには生物種内、種間および生態系間における多様性を含む」と定義した。

 以降、急速に進行している野生生物の絶滅や生息地の消失のみならず、その背景にある自然資源の過剰消費、無分別な土地利用など、人間社会と自然をめぐる幅広い問題を含む概念として用いられてきた。

 いずれにしても、今日地球上からは恐ろしいスピードで生物多様性は失われている。絶滅危惧種とは、100年以内に絶滅する種を指すが、哺乳類の5分の1、鳥類の8分の1、両生類にいたっては3分の1に相当する。

 現在、人間によって発見された種(学術的に記載されているもの)の総数は、170万種。IUCNの2007年版レッドリストによれば、16300種以上の動植物が絶滅の危機にある。人間が未だ認知していない動植物は1000万種〜3000万種に上ると推測されているから、私たちが知らない間に消えていった種も相当の数になるはずだ。

 さらに問題なのはそのスピードだ。1600年〜1900年の300年間では、平均すると1年に0・25種が絶滅した。これが1900年〜1960年では1年に1種、60年〜75年は年平均100種、75年〜2000年の25年間では年平均4万種が絶滅したと言われている。現代の絶滅スピードは、文明以前の絶滅スピードをはるかに凌駕しているのである。

 しかも、一つの種の絶滅は連鎖的な絶滅を招く可能性が高い。人間は生物多様性の構成員である以上、今や人間の存在基盤そのものが脅かされている。

<生態系サービスは人類全体の財産だ>

 2001年、アナン国連事務総長の呼びかけにより国連ミレニアム生態系評価、通称MA(マルチスケール・アセスメント)が始動した。

 このプロジェクトは、生態系の変化が人間生活や環境にどのような影響を与えるか調査し、生態系の変化に対応する選択肢について政策決定者や一般の人々が必要とする科学的情報を提供するために立ち上げられた。

 MAは政府間機関と非政府機関のパートナーシップにより運営された。民間センター、NGO、先住民指導者の監督の下、100を超える国々の2000名に及ぶ科学者たちが評価作業に参加。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の生物多様性版であり、生物多様性条約や砂漠化防止条約、ラムサール条約(国際湿地条約)など、様々な自然保護条約の基本認識を形成した。

 特徴は、個々の村から地球全体までのいくつものことなる地理的スケールで評価を行うサブグローバル評価を適用していることだ。生態系および生物多様性は場所や時間で大きな差異がある以上、環境保全のためには地域における計画と行動が必要だ。同時に多くのプロセスは全地球的規模にならざるを得ず、ローカルな評価だけでは意味をなさない。

 そこでMAでは、「生態系サービス」という概念が導入された。生物多様性を、生物種や生態系に加えて遺伝子、個体群、生物群集も含めた概念として拡張し、生物多様性が人間に供与するサービス、つまり「自然のめぐみ」を分析したのだ。

 生態系サービスは以下の3つに分類される。

①〈供給サービス→ 食糧や繊維、飲料水、薬など豊かな生活の基本的資源〉

 アスピリンは、もともとシモツケソウの一種から見つかったサリチル酸に由来している。このように現在使われている薬品の40%以上は生物由来だ。まだ調べられていない膨大な種からガンやエイズの特効薬が抽出される可能性があるが、生物多様性が失われれば不可能になる。

②〈調整サービス→ 大気・水・土壌を創り出し、気候への影響などに関連する恩恵〉

 森林には洪水を未然に防ぐ貯水池の役割があり、二酸化炭素を吸収し大気の調整に大きく寄与している。バクテリアや土壌生物は、豊かな土を作り出してくれる。

③〈文化サービス→ レクリエーションや精神的、芸術的、宗教的な価値、恩恵〉

 経済的なものだけでなく、自然からのインスピレーション、生活環境の精神的な充実も自然から供与されている。エコツーリズムでの観光資源としてのサービスもここに含まれる。

 以上から分るように、生態系サービスは人間を含めたあらゆる生物が享受する恵みであり、極めて公益性の高いものだ。ゆえに生態系サービスの基盤になっている生物多様性は、かけがえのない公共財として評価されなければならない。

 同時にこの概念は、公共財が私的利益により公益性を無視するような使い方をされることで、生存に不可欠な公共財を受け取れない人々が生まれることを明らかにした。環境問題と貧困問題は密接不可分な関係にあると指摘したのである。

 例えば、マングローブ林がエビ養殖場に転換されて消失する場合を考えてみよう。私的利益としては、マングローブの木材価値は1ha当り年間90ドル、エビの養殖場は2000ドルとなる。しかし公的利益を勘案するとマングローブ林は魚付き林として70ドル、防潮林機能は4000ドルにも上る。

 さらに水質浄化機能や豊富な生物環境の提供を考慮すれば、マングローブ林の消失がもたらす公共財の損失は巨大だ。加えてエビの養殖場は、補助金や海洋汚染などの社会的コストを必要とする。生態系サービスのなかで食糧だけは第2次大戦後60%も増加しながら、世界の大部分を貧困が覆っている最大の理由は、こうした公共財の損失なのだ。

 残念ながら、こうした画期的視点を提起したMAは、資金不足などの理由から2005年以降の調査計画が中止され、開店休業状態だ。またMAが示した科学的知見は一般に公開されているものの、日本では環境省がまともに広報せずほとんど活用されていない。

 早急に第2期のMAを開始し、国連の常設機関として確立することが求められており、来年のG8サミットに突きつけていく必要がある。

<予防原則に基き生物多様性の保全を>

 UNCED(国連環境開発会議)リオ宣言では、「環境を保護するため、予防的方策は、各国により、その能力に応じて広く適用されなければならない。深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、環境悪化を防止するための費用対効果の大きい対策を延期する理由として使われてはならない」と明記された。

 私たちは大切な財産である生物多様性を保全するために、一刻の猶予もなく予防原則に基づいて取り組みを始める意外ない。しかし2002年に開催されたヨハネスブルクサミットで「2010年までに生物多様性の損失速度を顕著におさえる」と掲げたにも関わらず、アメリカは日本が93年に批准した生物多様性条約を未だに批准していない。

 生物多様性の破壊・損失はなかなか分りにくい。例えば人間生活に直接必要な生物種は、せいぜい100種類ぐらいだ。人類がこれまで栽培、採集してきた植物約7000種のうち、現在はコムギ、トウモロコシ、イネなどたった20種類の植物が世界の食糧の90%を占めている。だからと言ってこの20種類さえあれば人類が生存できるわけではない。それはMAが突き出した生態系サービスによって明確となった。

 生物多様性は、何億年にもわたる生物同士の関わり合いの歴史だ。生物は相互に影響しあいながら進化し(共進化)、さまざまな地域に特有の生物多様性が生みだされてきた。私たち人間を含むあらゆる生物の「いのち」は、いわば地球の貴重な歴史的遺産なのである。

子ガメの放流

 とりわけ生態系の頂点に立つ人間は、あらゆる生物と密接な関係を織り成し、そのなかで人間独自の生物的な特性を進化させてきた。子どもは誰もが無理せず自然に溶け込み、生き物や土に触わり遊びはじめる。大人になっても、土や緑、豊かな海や生き物のにぎわいがなければ充実した生活は送れない。

 ウミガメを守ることは、世界有数の産卵地である日本の浜辺の美しさと豊かさを取り戻すことだ。それはお金に還元できない自然の価値を見出さない限り不可能だ。その意味で生物多様性の保全は、大量生産・大量消費の現代文明からのパラダイム・チェンジへの大きなステップになるだろう。

 私たちは、来年の北海道洞爺湖サミットにおいて、G8が生物多様性に関する知見を深め、保全の取り組みをさらに進めるグローバル・アジェンダを要求する。

 ウミガメ保護プロジェクトを始動し、いよいよ第1歩を踏み出したい。

(1257号 2007年12月10日発行)