昨年11月14日、「JCO臨界事故健康被害裁判」は水戸地方裁判所で結審を迎えた。平日にもかかわらず傍聴席は満席。
 取材に駆けつけたマスコミ、被告の住友金属鉱山やJCO関係者も多数いたが、何よりこの裁判を支えてきた地元住民にとっては5年にわたる闘いを締め括る日だった。
 この裁判を支え、地元で脱原発運動を続けている市民講座ハチドリの会は、2月27日に予定されている判決を前にあらためてこの裁判の意義を訴えている。

<泣き寝入りを拒否した大泉夫妻>

 1999年9月30日午前10時半頃、茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで日本の原子力史上最悪の事故が発生した。住宅街の真中で臨界が起き、初めて住民が避難や屋内退避を迫られたのだ。

 当時JCO転換試験棟内の沈殿槽では、作業員が手作業でウラン溶液を混合し均一化する作業を行っていた。法令に違反した作業の最中、沈殿槽のなかに突然青い光が走った。臨界が起きた瞬間だった。

 2名の作業員は急性放射性障害によりその場に倒れたが、臨界を停止する装置は勿論、中性子線の測定機も設置されていなかった。JCO自身何が起きたのかはすぐに把握できず、現場に駆けつけた救急隊員は中性子を浴びて被曝。

 ようやく臨界が起きていることを把握したJCOは、真っ先に社員の避難を開始した。しかし肝心の東海村役場に事故を通報したのは正午過ぎ。国や県の対応が遅れるなかで、村長は午後2時前に半径350メートル圏内の住民へ避難勧告を発令。しかしこの間も試験棟のコンクリート壁を貫いた中性子線は周囲何百メートルにわたって照射され、換気口からは放射性物質が漏れ続けた。

事故によりJCOそばを通る国道6号線は通行禁止となった(1999年・東海村)

 事故当日、健康被害裁判の原告である大泉昭一さん、恵子さん夫妻は、試験棟の目の前にあった自分の会社で何も知らずに仕事を続けていた。村の避難勧告を受けて会社を離れる夕方近くまで、夫妻は長時間に渡り被曝してしまった。

 その結果恵子さんは、翌朝から突然激しい下痢に襲われ、5日間寝たきりとなった。病院で検査を受け、胃に大きな穴が3箇所も空いていることが分り即入院。東邦医大の精神科ではPTSDの診断を下された。

 実際恵子さんは事故後しばらく、JCOの建物を見ただけでパニック症状になり、会社に通勤できなかった。テレビのニュース番組で「臨界」や「JOC(日本オリンピック委員会)」の文字を見るだけで、動悸が激しくなる。典型的なPTSDを患ったのだ。

 夫の昭一さんも、事故以前には沈静化していた皮膚病や糖尿病が急に悪化し、仕事もできなくなった。その結果、長年苦労して経営してきた工場を閉鎖せざるをえなかった。

 事故によって耐えがたい苦しみを受けた大泉さんたちは、「臨界事故被害者の会」を結成してJCOと再三にわたって交渉した。しかしJCOは、住民の健康被害については一切認めようとしなかった。大泉さんたちは泣き寝入りを拒否し、2002年秋、JCOと親会社の住友金属鉱山を相手に訴訟を起こした。

<原告側に圧倒された被告弁護団>

 2002年11月の第1回公判から5年を経過して迎えた結審の日、法廷に立った恵子さんはJCO側に語りかけるように意見陳述を行った。

 「JCOはあくまで事故と健康被害の因果関係を認めたくないようですね。でも、あの事故の前までは普通に生活していたんですよ。何よりも辛かったのは、仕事をしなくてはならないのに会社に行けなかったことです。焦っても焦っても、体に鉛が入っているようなだるさを感じ、毎晩悪夢をみました。あの当時はもういつ死んでもいいと思い、途方に暮れていました。この私たちの虚しさとやりきれない思い、くやしさや辛さを、あなたがたはまともに聞こうとすらしませんでしたね」

 裁判でもJCOは、住民の健康被害については一貫して否定しており、もちろん補償など一切行っていない。一方で風評被害を受けたと訴えた業者には、その真偽すらほとんど確かめずに気前良く147億円もの補償金を支払った。

 第1回公判で昭一さんは、「自分たちは(風評被害の補償の対象となった)野菜以下の存在なのか?」「物よりも人を大切にするのが人道ではないか」と訴えたが、結局JCOも住友金属鉱山も人の道を踏みにじり続けている。

 最終意見陳述で昭一さんは、あらためて「この苦しみは当事者でなければわからない」と気迫を込めて訴えると共に、事故を生み出した背景も鋭く批判した。原子力を国策としてきた政府、それゆえに厳しい安全管理を怠ってきた関係機関にも責任がある。しかも、同様の事故は無くなるどころが増えている。各電力会社による情報隠し、そして昨年の新潟県中越沖地震では、活断層を意図的に軽視してきた柏崎刈羽原発が、あわやの重大トラブルに見舞われた。

 「けっきょくJCO臨界事故の経験から何ひとつ学びとっていないではないか。住民の健康や安全を軽視し、経済優先の体質は変わっていない」との昭一さんの訴えが法廷に響き渡った。

大泉昭一さん

 そして原告側弁護団の海渡雄一弁護士は、次のように締め括った。

 「原告は大泉夫妻の2人だけですが、潜在的な原告は付近住民に多数います。下痢や口内炎など原告と同じ症状で苦しみながら、諸般の事情で提訴には至らなかった方を多数知っています。JCOは公式の場で健康被害の事実を認め、謝罪してほしい」

 原告側の圧倒的な迫力に狼狽した被告弁護団は、まるで逃げるように小さな声で早口に陳述。ほとんど傍聴席では聞き取れない。彼らは従来通り、「原告はたった2人しかいないではないか」「事故と病気との因果関係は科学的に証明できない」と繰り返すだけだった。

<裁判のおかげで元気になれた>

 結審の後に行った反省会にも、多くの支援者とマスコミが参加した。ここであらためて大泉夫妻が挨拶。

 「事故から8年、裁判が5年、皆様の支援のおかげでここまで来られました。もっともっと言いたいこと、怒りたいことはいっぱいありますが、今日まで5年間、皆さん忙しいなか足を運んで下さってありがとうございました」と昭一さん。

 恵子さんは、「当初は体の具合も悪いのに、市民運動や裁判なんてどうかと思っていたのですが、段々に『これは黙っていられない、ぶちまけよう』という気持ちになりました。この裁判がなければ暗くポシャッてしまっていたかもしれません。裁判のおかげで元気になれました」と感慨深げに語った。

 東海村の7割近い住民は、仕事など何らかの形で原子力産業と利害関係をもっている。健康被害を受けた多くの住民が泣き寝入りを強いられているなかで、大泉夫妻が勇気をもって裁判に立ち上がったことには大きな意義がある。

 「大泉さんたちが裁判を起こしてくれたおかげで、地域住民は救われます。歴史に住民の存在が残ります。これで臨界事故の際の住民の存在を消すことはできなくなったのです」と支援者の一人は語っていた。

 間もなく水戸地裁は判決を下す。それが公正と正義にかなったものであることを願いたい。2月27日午前10時、ぜひ多くの方が傍聴に訪れていただきたい。 

(1260号 2008年1月25日発行)