相沢一正さん
 

 1月20日茨城県東海村議会選挙が行われ、元議員の相沢一正さんが返り咲き当選を果たした。企業や労組、政党などの組織基盤がないなかで、候補者22名、定員20名中16位、699票を獲得。

 昨年新潟中越沖地震では、柏崎刈羽原発が重大なダメージを受けた。東海第2原発を抱え原子力産業が密集する東海村では、9年前にJCO臨界事故が起きている。しかし今回の選挙では、ほとんどの候補がそうした問題に触れなかった。

 こうしたなかで相沢さんは、原子力事故の再発防止、JCO事故被害者支援を正面から取り上げた。同時に原子力に依存せず、農業と自然環境を大切にする新しい村づくりを訴えて村民の支持をかちとったのだ。

 地元で市民運動を共にしてきた仲間として、私たちも全力で応援した。当選して本当に嬉しい。

<脱原発の地道な活動が評価された>

 思えば8年前、日本の原子力史上最悪のJCO臨界事故が起きた。作業員2名が死亡し、近隣住民も中性子被曝などの甚大な被害を受けた。私自身事故現場から10キロ圏内で屋内退避勧告の対象となり、会社からは休めと電話がかかってきたことを覚えている。

 相沢さんはこの事故に抗議する村民の声を代表して、翌2000年1月の村議会選挙に県立歴史館研究員の職を辞して立候補。「安全、安心の村づくり」を掲げた相沢さんは、原子力事故に不安を抱える村民の声を背に811票を獲得し、見事定員22人中8位の上位当選を果たした。

 それから4年後の前回選挙では458票、わずか12票差で落選。今回はそのリベンジをかけた取り組みだった。事前に予測した当選ラインは700票で、前回の得票からしても困難な選挙戦が予想された。

 しかし前回落選後も相沢さんは、JCO事故被害者の健康被害裁判を支え続けてきた。また原子力に頼らない村の未来を模索するために、菜の花プロジェクトにも取り組んできた。休耕田に菜の花を植えて菜種油を地元の学校給食で使い、廃食油でバイオディーゼル燃料を作りゴミ収集車や公営バスを走らせる。環境と農業を大切にし、地産地消の循環型経済を目指してきたのだ。

 こんな相沢さんの地道な活動を、村民はしっかりと評価していた。選挙期間中、「相沢さんはまじめだ、よくやっている」という声を何度も何度も耳にした。他の候補はみな、地縁、血縁、組織票たのみの選挙。これに対して相沢さんは、何よりも日頃の地道な活動によって支持を拡大したと思う。

<原子力に依存しない村づくりを>

 「相沢さんをぜひもう一度村議会に送りだしたい」。そんな熱い想いで相沢陣営はフル稼働した。私自身も今までの選挙戦の中でもっとも力を注ぎ、貴重な体験と教訓を得ることができた。

 相沢さんが最初に当選したJCO事故直後の選挙。その時電話で話した日本原子力研究所(現在は日本原子力研究開発機構)の職員は、「村議会が推進派ばかりだったら原子力の安全操業はできない。厳しい目でチェックする議員が必要なんだ」と語っていた。

 利害関係者だけで原子力を推進しているから、トラブル隠しやデータ改ざんが繰り返される。相沢さんのように原子力に批判的な厳しい眼が村議会になければ、再び重大な事故が起きるかもしれない。今回も「私は原子力推進派です」とか「原子力には依存せざるを得ないと思います」と語る村民にも、こうした点では理解を得ることができたと思う。

 確かに原子力は東海村にお金を落とし、就職先をもたらして過疎を防いだかもしれない。実際に東海村は、普通交付税が国から交付されない数少ない「不交付団体」の一つで、原子力によって財政基盤が支えられている。豪華な公共施設もたくさんある。

 しかし原子力に依存するだけでいいのか? 子どもたち、孫たちが住み続けたいと思えるような「安全、安心」な村の未来こそ考えるべきではないのか? 選挙期間中の電話かけでも、私たちはこう問いかけながら村民と対話し、討論することを心がけた。そんななかで「わかりました、支持します」「投票します」との手応えが確実に増えていった。

 地道な活動を続け、多くの人たちと対話を積み重ねていけば、原子力に依存した東海村を少しずつでも変えていくことができるかもしれない。あらためてそう実感できた選挙戦だった。

 相沢さん、そしてともに選挙を担ったみなさん、本当にごくろうさまでした。

   (市民講座ハチドリの会 勢川雅彦)

(1261号 2008年2月10日発行)