書評『会社の品格』(小笹芳央・著 幻冬舎新書)
「会社あっての社員」から「社員あっての会社」の時代
内外の円滑なコミュニケーションが組織に品格をもたらす
従来の会社評価は、主に経営者の側に立った経営論として語られてきた。ホンダ技研の本多宗一郎、ナショナル電気の松下幸之助など、戦後日本を代表する企業を起こした人々のユニークな経営にスポットが当てられたのだ。
鉛筆1本まで徹底的に経費削減にこだわった「経営の神様」松下に象徴されるのは、大衆消費財をできるだけ安く、なおかつ高い品質で大量に生産する企業の姿だ。豊かになることはモノが満たされていくことと同義だった高度成長期までの日本では、それが最も必要とされた。
しかし地球環境問題が深刻化する現在、企業は安く大量に生産してとにかく金儲けをすれば良いという時代は終わりに近づいている。同時に耐震偽装や食品偽装など、「会社の品格」が問い直される事件が相次いでいる。問題発覚の背景には、自分の会社業務に疑問を感じて内部告発する社員が存在する。
社員をないがしろにする会社は、同時に内部に大きな矛盾を抱えているわけだ。ゆえに、今や社員の視点に立った経営論が必要とされている。本書はまさに、社員の人間関係とモチベーションに定位した興味深い視点を提起している。
<会社は株主だけのものじゃない>
組織人事分野のコンサルタントとして注目を集めている著者の小笹氏は、会社は何よりもまず「法人格」であると強調する。「法人」とは本来「人」でないものを法律上は「人」として扱う考え方だが、そこに二重の所有関係が生まれる。株主から見れば会社は「モノ」だが、会社に保有されている資産から見れば、会社は「ヒト」だ。
その上で、「会社はいったい誰のものか」を考えてみよう。株主は「会社は株主のものだ」と主張するだろうが、会社の資産は実際にそれを運用している経営者や社員のものだという議論も起こる。
小笹氏は、「会社は株主のものでもあるけれど、経営者や社員のものでもある」と提起する。したがって配当や株価上昇により、単に株主が満足すれば良いのではなく、会社における経営者と社員の関係性こそが重要になる。「社員による会社統制」を提案するのだ。
実際にバブル崩壊後、会社をめぐる関係は「相互拘束」から「相互選択」に変わった。「相互拘束」とは、会社と株主では「お互いに株式を持ち合ったり」、会社と顧客は「系列取引が中心だったり」、会社と社員では「年功序列・終身雇用が当たり前」のような「お互いの固定化」が図られる関係を指す。
逆に「相互選択」とは、そうした関係が相互の自由な選択によって成立しているあり方だ。年功序列・終身雇用という日本企業の特色が崩れ、経営者がリストラを断行する一方で、社員の側も主体的に会社を選択することが常態となった。
優秀な人材に選んでもらえない会社に未来はない。会社にとって社員こそが最大のリソースとなり、イニシアティブが会社から社員に移ったのだ。
<世間の常識から外れた会社は没落する>
では、「相互選択」による会社組織はどのようにすれば発展するのか? 著者は「(会社は)複数の人が集まっている共同体であり〝協働体〟」だと定義している。そして組織の問題は「人」ではなく「間」(人間関係)に起こるのだと指摘する。
ゆえに組織の内外・上下・左右にコミュニケーションが開いているかどうかが非常に重要なポイントになる。外部の世界との関係を無視して、自分たちだけに都合の良い閉ざされた世界を作るような会社では、世間の常識からかけ離れたことが横行する。そんな会社は品格を保てずに没落する運命にある。
組織の人数が多くなればなるほど、コミュニケーションを機能させるためのチーム制の導入や、管理職の役割が重要になる。上司は「課長」や「部長」といった「肩書き」ではなく、職場と経営、職場と外部環境をつなぐ結節点として「機能」しなけらばならない。そのことで常に外部、上下、左右をつなぐコミュニケーションを円滑にすることが求められるのだ。
「相互拘束」の際には機能し得たヒエラルキー的な権力は有効に働かない。「相互選択」の会社では、単に金やポストを与えるだけでは社員は力を発揮しないのだ。会社の未来構想を示し、前向きなメッセージを発し、ワークモチベーションを高める上司のリーダーシップが核心となる。
もとより会社組織は利潤追求という経済合理性の下に縛られているが、人間は常に働くことの意味や社会的良識を考える。社員と上司の人間関係や会社の育むカルチャーの度合いを重視し、何より人的資源に投資するスタンスこそが「会社の品格」を決すると小笹氏は結論付けている。
<社員を大事にしてこそ会社は伸びる>
私は地元の市民運動の仲間と共に水道衛生関係の会社を設立して15年になる。最初の5年は自分たちの食い扶持をかけて必死に働き、次ぎの5年で右肩上がりの成長を実現、後の5年は福利厚生関係を整えて安定期に入ったというところだろう。
こんな私の経験からしても、小笹氏が主張する人間関係とモチベーションに依拠した会社組織論は大いにうなずけるものがある。例えば、「『法人』という呼び方について、面白いと思ったことはありませんか?」と著者は問いかけている。私は地元のNPO法人の役員でもあるが、「法人」は「個人」に較べてはるかに人間の協働を公正に組織する力があると実感している。
個人商店は社長個人の力量に大きく左右されるため、カリスマ依存になりがちだ。しかし法人の場合、様々な人々の関わりのなかではじめて会社や組織が運営されるため、多様性に開かれる。財務諸表など多くの書類を対外的に公表することも義務付けられる。こうした情報開示により、常に社会的責任が迫られ、恣意的な運営ができなくなる。
小笹氏はさらに、社員に対しても上司の給料額などの情報開示を広げていく必要があると訴えているが、私も同感だ。「できるだけ秘密でない組織」に人は信頼と共感をおぼえるものだ。私たちの会社は小さいが、創立以来共同経営の観点から、重要なことはすべて情報を開示し、社員の合議で事を進めてきた。そうした観点は社会運動体にも適用すべきだろう。
私が大学に入った35年程前、サークルの先輩たちはマルクスの『賃労働と資本』をテキストに学習していた。マルクスは賃労働者を、労働力商品として自己を切り売りする存在として概念化し、そこから資本家と労働者の階級闘争を導き出した。当時私はこうした考え方にはまり、社会運動に参加した。
しかし社会的経験を積むにつれ、人間存在を労働者と資本家の区別だけで語ることに無理を感じるようになった。共同経営の会社を立ち上げた時も、自分は資本家なのか労働者なのか区別などつけられなかった。実際には仲間たちと協働しているわけで、それ以上の概念的区別は会社経営の現場では何の意味もなかったのである。
問われるのはリアルな役割分担だけだ。誰かが社長の役を務めなければならないし、投資家の役割を引き受けることもあるだろう。勿論、現場の労働者になることもある。これらの役割を現場の必要に応じていかに担いきれるのかが問題なのだ。抽象的で単純な資本家―労働者図式よりはるかに複雑な現実適応力が問われる。
小笹氏は「社員こそ最大の投資家」と記している。私も経営者としての経験から人間の労働力は「商品」ではなく、最大の「資本」と考えるに至った。
本書の内容は社会運動体にも多くの示唆を与えてくれるはずだ。ぜひ会社の経営と関係ない人も読んでみて欲しい。
(佐久間芳雄 50代・会社経営)
