産廃銀座に「武蔵野の雑木林」を復活させたい グリーンアクションさいたま くぬぎやま再生ワーク
落ち葉堆肥で作る作物は美味しくて安全
くぬぎ山は埼玉県西部に位置する広大な雑木林だ。川越・狭山・所沢・三芳の3市1町150ヘクタールに広がる日本最大級の平地林だが、地元では「ヤマ」と呼んでいる。
ここは10年ほど前まで、「産廃銀座」と呼ばれた。密集する産業廃棄物処分場から連日のように吐き出される黒い煙は、周辺の農作物に被害を与え、地域住民の健康を脅かした。
マスコミ報道などでダイオキシン汚染は全国的な問題になり、各地で住民運動が巻き起こった。グリーンアクションさいたまもその一翼を担い、くぬぎ山では2002年12月に最後の焼却炉が廃止された。
<農業林の再生を目指して>
違法な産廃業者は撤退したが、跡地には荒れ果てたボサヤマ(薮)が残った。
かって国木田独歩は「武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことによって始めて得られる」(『武蔵野』)と語った。しかし独歩が愛した昔日の「武蔵野の雑木林」は見る影もなかった。
そもそもくぬぎ山に産廃業者が目を付けたのは、手付かずのヤマが荒れ果てていたからだ。それがダイオキシン問題の出発点だった。このままではまた別の業者がヤマに入ってくるかもしれない。
危機感を持ったグリーンアクションのメンバーは、林を手入れして景観を良くし、豊かな自然を再生するプロジェクトを立ち上げた。住民運動を通じて知り合った地元農家から土地を借り、最後の焼却炉がなくなる半年前からくぬぎ山再生ワークを開始した。2002年6月のことだ。
くぬぎ山は元々、農業林として利用されていた。およそ300年前に川越藩主柳沢吉保によって開墾されたこの地域は三富新田と呼ばれる。くぬぎ山にはクヌギの木は少なくコナラが主体だが、新田開発に苦労をした人々の「苦を抜く」という願いから名付けられたらしい。
ここでは長らく、林から薪を切り出し落ち葉を堆肥に作物を育てる「三富農法」が継承されてきた。住民の生活と密着していたから人の手が入り、保全されてきたのだ。
しかし戦後高度経済成長期以降、燃料としての薪の需要は減少し、化学肥料が普及。林に人手が入らなくなりヤマは荒廃していった。グリーンアクションのプロジェクトは、ヤマが農業林として利用されていた状態にできる限り近づけることを目指している。
ワークでは毎年、落葉樹以外の樹木を伐採している。中心メンバーの熊野純さんは、「放っておくとサカキやエノキなどの常緑樹や照葉樹に覆われてしまい、コナラやクヌギなどの落葉樹が育たなくなってしまうから木を切ることも林を守ることにつながるのです」と解説してくれた。
最も間伐しているのは、立ち枯れたアカマツだ。「300年前この地を開拓した際、アカマツは土壌改良のためにたくさん植えられました。松は空気中の窒素を集めるからです」。熊野さんはこの話を地元農家のおやじさんから聞いた。そのアカマツは、マツノザイセンチュウに喰われてほとんどが枯れてしまったから、伐採して薪として利用している。
今でこそメンバーの多くはチェーンソーを扱えるようになり、ロープワークも達者になったが、ヤマの手入れをはじめたころは大変だった。そもそも何がクヌギで何がコナラか、残す木の見分けもつかなかったそうだ。
10メートル以上もあるアカマツをロープもかけずにノコギリで伐採しようとし、通りがかりの住民から「おまえら下敷きになって死んでしまうぞ」と注意されたこともある。また本来間伐は、樹木の成長が停滞する秋から冬にかけて行うものだ。それを知らずに一番切り難い真夏の盛りに汗だくで悪戦苦闘したこともある。
「いきあたりばったりで足掛け5年、ようやく50メートル四方の林には手が行き届くようになりました」と熊野さんは振り返った。
<落ち葉堆肥と間伐材を利用する>
ワークでは毎年秋、コナラやクヌギの枯葉を大量に集め、堆肥場で1年間寝かせる。土の中の昆虫や微生物によって分解された落ち葉堆肥は、畑の土に栄養を与えるだけでなく、土の粒と粒の間に隙間をつくり空気や水を適度に溜める効果もある。
グリーンアクションでは当初この堆肥を、林を借してくれている地元農家に使ってもらった。その後地主の好意でヤマに隣接する畑の一角を借り、自ら野菜作りに取り組んでいる。勿論毎年欠かさず落ち葉堆肥をすき込み、フカフカの畑でサツマイモや枝豆、大根、ムギなどを栽培。
間伐したコナラは、シイタケのホダ木にも利用している。ドリルで等間隔に穴を開け、ホームセンターで買ってきたシイタケのタネを打ち込む。その後日陰で湿らせたまま菌が木全体にいきわたるまで置き、収穫をじっと待つ。
何年にもわたる間伐により、ヤマには材木が段々積みあがってきた。これをどう利用するのかも課題となった。ワークの際には現場で昼食会を持つ。そばの畑では自家製の野菜が収穫できるようになったので、採れたて野菜のバーベキューに利用できるレンガ窯を作り、燃料として間伐材を活用するプランが出た。
借りている土地だから窯を固定することはできないので、耐火レンガとブロックを積み上げただけの簡単な窯を作ってみた。最初は空気の取り入れを考えなかったため、薪をどんどん焚いて無駄にしてしまった。そのうち下方のレンガを抜いて通気口をつくり、空気の流入を良くしてみた。燃焼効率が上がり、ピザやとれたて野菜を焼くのには充分の窯となった。
「昔はこんな手間をかけて煮炊きをしていたのだなと思いながら作業をすると感慨深いものがあります。何でも便利になった時代、あえて窯で火をおこすことに没頭してみるのもいいものです」。ピザを美味しそうに頬ばりながら、熊野さんは満足そうだ。
今年7月ヤマでは、近郊ふじみ野市の障がい者グループと一緒に学習会と交流会が開かれた。学習会では、あらためてダイオキシン問題以降の住民運動の歴史を振り返り、今後の保全活動への意欲が語られた。
林のなかでの交流会では、自慢のレンガ窯はコンロに早変わりし、30名近い参加者の焼そばをつくるのに活躍した。ワークをはじめて以来初めての音楽会も行われた。緑のなかで合唱し、リコーダーが奏でられ、地元の人々も加わって賑やかなイベントとなった。
熊野さんたちは今後もワークだけでなく、音楽会やカブトムシ狩りなど、くぬぎ山の自然を満喫できる企画を予定している。ささやかではあるけれど、地産地消の三富農法の歴史を引き継ぎながら、同時に緑のなかで遊ぶ楽しさを感じて多くの人々が交流できる場にしたい。
そんな里山の再生が熊野さんたちの夢だ。
グリーンアクションさいたま
http://www.green-act-saitama.org/
