郵貯・簡保は安全、安心な国民の財産だった
民営化でまた一つ地域社会の温もりが消える
いよいよ10月から郵政民営化が実施される。現在の郵政公社は持ち株会社と、郵便事業会社、郵便局(窓口)会社、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の4事業会社に分割される。
選挙直後の8月9日、民主党、社民党、国民新党は共同で参議院に郵政民営化凍結法案を提出した。簡易郵便局員の私はかすかな望みを抱いたが、残念ながら廃案になってしまった。既定の方針は変わりそうもない。
<セーフティネットが破壊される>
民営化論者が問題にするように、莫大な郵貯・簡保の資金は政府・自民党による利権ばら撒きの原資だった。340兆円を超える国民の資産は、財政投融資制度を通じて非効率な特殊法人に流れ、道路公団や政府系金融機関は採算性のない事業に湯水のように投資してきた。
この甘い汁を求めて、高度経済成長時には毎年新たに300もの郵便局がつくられ、国民の金がかき集められた。莫大な利権と全国規模の集票力を背景に、自民党内では郵政族が跋扈した。郵政事業のこうした負の側面は、郵政民営化の議論のなかで散々報道された。その多くは事実だったと私は思う。
しかし今にして思えば、利用者である国民にしてみれば、郵便局が提供してきたサービスは大切なセーフティネットの一つだったと思うのだ。
例えば少し前までは、郵便局に貯金する際の利率は民間よりもはるかに高かった。一時は100万円預けておけば、10年で170万円になったのだ。現在は廃止されているが、利息計算についても「1円未満の端数は切り上げ」る方式も採用されていた。
4、5年前までは預金を引き出しにくるお客さんによく言われたものだ。「郵便局に預けておいて本当に良かった」。利益優先の企業の論理ではあり得ないサービスがあったからこそ、郵便局は国民の信頼に応えてこれたのである。
貯金ばかりではなく、簡保も同様だ。保険金殺人事件で、1億円の保険金がかかっていたとよく聞くが、郵便局の簡保は1000万円までしかかけられない。ただし、国民の誰もが同じ条件で同じ額を受け取れる。サラリーマンも、農家も、スタントマンも同じ入院保障だ。
何より最近民間保険会社で問題になっている不払いなどはありえない。掛け捨てではなく、満期になればほぼ元本と同額が受け取れる。万一家族が不慮の事故で死亡しても、死亡診断書などの簡単な手続きで即座に保険金は支払われる。民間なら面倒な書類の手続きを含めて何ヶ月もかかるが、簡保なら一番困った時にすぐに必要なお金が手に入るのだ。
まさに郵便局は、国民の安全と安心を一手に引き受けてきたといっても過言ではないのだ。こんな有利な条件を国が保障してきたのだから、国民が利用しないわけがない。しかしこの簡保も10月から民営化される。郵政事業の問題点を改善することは必要だが、このままでは産湯を流すのに赤子まで流してしまうことになる。
では誰が一番喜んでいるのか? 郵貯・簡保に市場を奪われてきた民間の銀行や生命保険業界は、積年の恨みを晴らすのかもしれない。さらに外資系ファンドはまさにハゲタカのように、郵貯に眠る国民のお金に群がってくるはずだ。
<郵便局は地域の交流場だった>
郵便局では今、民営化の準備に大わらわだ。土日をつぶして毎月1回講習会が開催され、合間には地域での打ち合わせなどがある。
準備業務では、会社準備室からのシステム変更、様式変更に即座に対応することが求められる。この対応をお客さんと接する日常業務と並行して進めなくてはならず多忙な毎日だ。大好きなマラソンの練習もままならない。
問題は、何がどこまで変更になるのかをおそらく関係者の誰一人として把握していないことだ。だから朝令暮改がまかり通り、混乱に拍車をかけている。例えば、単なるシステム変更のはずが実際に機械を立ち上げると、操作方法まで変わっていたりする。どうなっているのかと問い合わせると、業務照会の担当者も即答できない。
郵便貯金銀行では、民間の銀行並みの「間違いの絶対ない」システムが目指されているが、日常業務を抱えながらの準備業務には自ずと限界がある。「甘えるんじゃない。それが民営化だ」とお叱りを受けるかもしれないが、仕事の混乱とバッシングのなかで、多くの郵便局員は自信を失いつつある。
私自身、130年間国民の信頼に応えてきた郵政業務に対する自負をもっていたが、それは大きく崩れつつある。本来簡易郵便局に勤める私は郵便局長を名乗ってもいいのだが、職業欄には自由業と記してしまうのだ。
こうしたなかで、民営化によりこれまで通りのサービスを維持できるのかは疑問だ。言葉としては、お客様意見箱の設置、顧客満足、コンプライアンス、内部統制などが叫ばれるが、実際には現場の声はフィードバックされていない。ここまで来れば最早民営化は避けられないが、お客様が本当に満足できる郵便局とは何だろうかと考えざるを得ない。
地方の簡易郵便局で働く私は、これから高齢化がますます進む中でお年寄りにとって最高のサービスは「待ってあげられること」だと考えている。これまで郵便局には、お年寄りとゆっくりと対話するゆとりの空間が存在した。こうしたサービスは、仕事の効率やスピードだけでははかれないから、まさに国営であるがゆえに可能だった。
民営化によってこうしたゆとりはどんどんなくなっていくだろう。
『民営化という虚妄―「国営=悪」の感情論が国を滅ぼす』の著者、東谷暁氏はブログで次のように書いている。
「おじいちゃん、おばあちゃん、いまの郵便局は悪辣で因習に満ち、世襲制でサービスも古いから、民営化してコンビニエンス化したほうがいいですよ――これが、郵政民営化論者が提示している『地方の時代』というものなのだ。都会の殺伐とした生活を洒落たものと勘違いした田舎出身者が、かろうじて残っている地域社会のぬくもりの痕跡までも、因習だの世襲だのと難癖をつけて、すべて消し去りたいのである」
まさに東谷氏の指摘する通りだ。このままだとおじいちゃん、おばあちゃんの居場所はますますなくなってしまう。地域に根ざした信頼は、抽象的な顧客満足からは生まれない。
シルバーカーを押して毎日窓口を訪れる松子さん、竹子さん、梅子さん・・・。私はこうした人々との結びつきを大切にし、一人一人の生活を受けとめる気持ちで仕事をしてきた。
間もなくそれは、遠い昔の懐かしい記憶になってしまうのだろうか。またひとつ温かな日本の風景が消える。やりきれない日々は続く。
松田隆(50代 簡易郵便局員)
