世代を超えてヒロシマを語り継ぐ
原作同様「想像力」をかき立てる作品だ

 映画と同名の原作漫画は、2004年に単行本となって以降25万部以上発行されているベストセラーだ。イギリス、フランス、韓国、台湾など海外でも翻訳本が発行されている。

 監督は『半落ち』を撮った佐々部清。被曝という重いテーマを扱った作品だが、これまでの原爆映画とは一線を画している。「原爆投下を批判する姿勢が弱い」と批判する人もいるようだが、私はそうは思わなかった。

<夕凪の街の原爆被害は続いている>

 ストーリー前半の「夕凪の街」は、被爆後13年目昭和33年の広島が舞台だ。広島名物の夕凪は、海岸地方で夕方、海風から陸風に替わる際に起きる無風状態をさす。

 原爆で妹を亡くした平野皆実(麻生久美子)は、「原爆スラム」と呼ばれるバラックの密集する地域で母親と二人つつましく暮らしている。街は徐々に復興しつつあり皆実も一見明るく暮らしているが、ふとした瞬間に亡くなった妹の声が聞こえ、自分が生き残っていることに後ろめたさを感じている。

 皆実も母のフジミにも、体には原爆による火傷の跡が残っている。それを隠すために皆実は半袖を着ないが、銭湯に行けば誰もが同じような傷を負っている。だが、誰もそのことについて触れようとしない。

 皆実は、「自分の身に何が起こったのか未だにわからないからだ」と嘆く。余りにも辛い体験は、それを受け入れ認めること自体が大変だ。ましてやそれを他人に話せるようになるには、長い時間と苦しい努力が必要だ。私は皆実の苦悩に、「慰安婦」のおばあさん達の苦しみを重ねてしまった。

 そんな皆実だが、ある日思いを寄せている同僚打越に愛を告白される。涙を流す皆実を、「生きとってくれて、ありがとうな」と抱きしめる打越。皆実はこの言葉によって初めて、自分の存在を受け入れられるようになる。

 しかしやっと幸せを手に入れたかに見えたその途端、皆実は原爆症を発症する。日毎に衰弱し、ついに弟の旭と打越に看取られて逝く。「なんで原爆は広島に落ちたんだろう」と嘆く旭にたいし、皆実は「原爆は落ちたんじゃないんよ。落とされたんじゃよ」と諭し、空を仰ぎながら最後の力をふりしぼって問いかける。

 「なあ、うれしい? 13年も経ったけれど、原爆を落とした人は私を見て『やったぁ、また一人殺せた!』って、ちゃんと思うてくれとる?」

 後半の「桜の国」は、それから50年後の現代を生きる若き女性七波(田中麗奈)を中心にストーリーは展開する。七波は旭の娘で、旭とともに東京で暮らしている。

 ある日家族に黙って広島へ向かう父を追い、七波も広島へ。そこで被爆者である母や祖母、亡くなった叔母皆実の人生を追体験し、被爆2世である自分自身を見つめ直していく。

 母は若くしてある日突然吐血して亡くなり、喘息を患う弟は恋人の親から「被爆2世」を理由に交際を断られていた。七波は、50年前に夕凪の街を襲った原爆の被害は今も続いていると初めて痛感する。

<被曝問題を他人事にしないために>

 この作品の原作者で広島出身のこうの史代は、原作漫画のあとがきで、「『原爆』にかんするものは避け続けてきた」「怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた」と述懐している。

 そのこうのは、映画のパンフレットに掲載されたインタビューで次のように答えている。

 「知らない時代に起こった知らないことなので他人事でしかない。だからこそ漫画にしたときに、これは他人事でないということを感じさせるにはどうしたらいいのか最優先に考えました」

 今年も広島では8月6日に平和祈念式典が開催された。年々被爆者は高齢化し、防衛大臣は「原爆しょうがない」発言を行うなど、被爆問題の風化が懸念される。そんななか、被爆体験者だけでなく私たち戦争を知らない戦後世代が、これから生まれてくる次の世代にどう原爆の悲惨さと被爆の苦しみを伝えていくのかが問われている。

 その意味で私は、原作漫画もこの映画も画期的な作品だと感じた。注目すべき点は、目を覆うような悲惨な場面は一切出てこないことだ。皆実のトラウマを表現するために、被爆者が描いた原爆投下直後の絵が数枚挿入されるだけだ。あくまで主人公達の平凡な日常生活を描きながら、心身ともに影を落としている被爆の恐怖と苦しみを浮かび上がらせている。

 原爆をテーマにした映画となれば、焼け野原や肌が焼け爛れた人々の地獄絵図を思い浮かべると思う。もちろん、それは原爆の生み出した真実の姿であり、そうした被害の実態を知ることは必要だ。

 しかし皆実を演じた麻生久美子は、8月21日付東京新聞で語っている。「今の時代は『知るきっかけ』があまりない」上に、原爆の悲惨な話だけでは、「もう二度と聞きたくない」で終わってしまう。この映画は、若い世代が「過去の恐ろしいことだからなるべく触れないようにしよう」とタブー視しないで戦争や被爆を考えるきっかけを作り出す意欲的作品だ。

 ネット上に記されている様々な映評を読んで、この映画の製作意図は成功しているように感じた。麻生久美子や田中麗奈と同世代の人たちが、「初めて被爆2世のことを知った」、「被爆についてもっと知りたい」と書き込んでいる。

 原爆がどんな歴史的脈絡と政治的意図で落とされたのか、どんな深刻な被害が生じたのかを知識として学ぶことは大切だが、その気になればいくらでもできる。大切なのは、普通に恋をして生きたいと願う皆実や七波の姿を通して被爆問題を他人事にせず、なぜこんな悲劇が生まれたのか考えるきっかけなのだ。

 そのためには、「戦争は悪いことです」、「原爆はひどい」と「正解」を覚えるのではなく、自分自身のこととして考える想像力が必要だ。この映画は、そうした想像力を育む力に満ちている。映画の制作にかかわった人たちは皆、「あらゆる人に観てみてもらいたい」「この話を一人でも多くの人に伝えなければ」と使命感に燃えたという。

 私自身、沖縄の米軍基地問題やイラクの劣化ウラン弾、レバノンのクラスター爆弾など、日常生活からは「遠くにある」問題をどうやって多くの人たちに伝えられるのか日々悩んでいる。そんな私にとって、学ぶべきものがたくさんあった。

 ぜひ多くの人に観てもらいたい。

                     (星野 歩)

(1251号 2007年9月10日発行)

原爆の日 灯篭流し