社会変革をめざすNGOこそが必要だ 藤岡美恵子さんに聞く
NGOは1992年リオでの地球サミット以降、発言力を増し、国際政治の表舞台に登場した。しかし今日、グローバリゼーションの進展と共にNGOの進むべき道が再考されている。80年代後半から国際的なNGO活動を担っている藤岡美恵子さんに聞いた。
<多くのNGOはイラク戦争に反対できなかった>
◆最近藤岡さんが共著で出版された『国家・社会変革・NGO』(新評論)は「NGOが危機にある」という言葉で始まります
日本では八〇年代から九〇年代にかけてNGOに対する社会的認知が高まりました。NGOへの公的資金助成も増え、政府や自治体がNGOとの「パートナーシップ」を謳うようになっています。これらは一見するとNGOにとって歓迎すべきことのように思えますが、実際はNGOの存在意義に関わる危機が進行しています。
その一つは、政府の政策に明確な批判や、反対の意思を表明することを避ける傾向です。たとえば、日本ではイラク戦争に反対の声をはっきりと上げるNGOや反戦デモに参加するNGOはきわめて少数です。その一方で、二〇〇一年、政府や経済界の資金援助を得て緊急人道支援活動を行うNGOの集まりである「ジャパン・プラットフォーム」が設立されました。NGOが政府・自衛隊と「パートナーシップ」を組んで、対テロ戦争下のイランやアフガニスタンで「復興支援」を行なうなど、数年前までは考えられないことでした。
もう一つ、ここ数年とみに強くなっている批判は、NGOは現状の変革よりも、現状の固定化に手を貸してしまっているというものです。たとえば、NGOは新自由主義的グローバル化の中心的機関である世界銀行やIMFの政策を変えるべく、政策提言を行ってきましたが、反グローバル化運動を担う社会運動体の多くは、必要なのはこうした機関の解体であってNGOが主張するような「改良」ではないと考えています。さらに、NGO活動の柱の一つである海外でのプロジェクトも、本来政府が担うべき役割の一部を下請けしているに過ぎないという指摘もあります。
一言で言えば、NGOは政府に「取り込まれる」ことなく、また政府の補完物になるのではなく、国益や国家間の関係から独立して自律的な活動を維持できるのか、つまりその存在意義そのものが問われるようになっているということです。
日本ではこれまでこうした問題についての議論がほとんど行われてきませんでした。これに危機感をもった私たちは、二〇〇四年からNGO関係者の非公式の討論会と公開シンポジウムを開きました。本書はそうした一連の議論から生まれたものです。
<専門性・現場性が売りだったが>
◆NGOの存在意義が問われているわけですね
NGOの危機を語る場合に重要なのは、NGOの可能性と限界がどこにあるのかを見極めることだと思います。それは存在意義を問い直すことにもつながります。かつて、NGOが紛争や環境破壊などの地球規模で起こる難問の解決に寄与しうる存在だと脚光を浴びたのは、理由がないわけではありません。注目を集めた最大の理由は、それが「非政府」団体であるがゆえに従来の国家間政治や国益にとらわれずに行動できると期待されたこと、そしてNGOがもつ高い専門性が、具体的な問題解決につながるのではないかと期待されたことにありました。
専門性とは、人権NGOや環境NGOなら、人権侵害や環境破壊の調査能力、国際法や国内法の起草能力、各国政府や国際機関へのロビー活動能力などです。国際協力NGOなら現場でのプロジェクトの遂行能力が真っ先に挙げられるでしょう。こうした専門性を基礎とするからこそ、たとえば京都議定書など国際条約の起草過程に関わったり、国連機関が出す人権侵害報告に情報を提供したりといった政策提言活動(アドボカシー)が可能になります。それまで原則として国家だけに許されてきた国際レベルの政策決定(それは国内政策にも波及します)に、NGOが影響力を行使できるようになったこと、これがNGOへの期待が高まった最大の理由でした。
NGOの可能性は政策決定への影響力という面だけにあるのではありません。NGOの最大の強みの一つは「現場」をもっていることです。NGOは実際に第三世界の農漁村や都市のスラムなどで、そこに暮らす人々と直接関わりともに活動することで、その地で抱えるさまざまな具体的問題を知り、そうした問題が日本の企業活動や政府開発援助(ODA)と、また日本をはじめとする北の国々が押し付ける「発展」モデルとどう関わっているのかを学んだのです。NGOはこうした問題を日本の人々に伝え、それを通じて日本の援助や経済のあり方を逆に照らし出す役割も果たしたのです。
こうした「そこに生きる人びとの苦しみや希望を伝える」活動は、国境を越えた民衆同士の連帯を築く可能性を孕むものだったと思います。たんに議論するだけでなく、政治的意思表示をするだけなく、実際に国境を越えて人と人のつながりをつくり、新しい考え方やオルタナティブを実践するところにこそ、多くの人びとをひきつけるNGOの魅力があったのです。また、「現場」をもち、援助や開発事業がそこでどんな具体的影響を及ぼしているかを理解しているからこそ、NGOの政策提言は現実に根ざしたものになり、説得力をもったのです。
この「専門性」と「現場性」が、NGOを社会運動体や民衆運動体から分かつ最大の特徴といえるでしょう。
◆それがいま限界に突き当たっているのですか
はい、政策提言についても現場でのプロジェクトについても、ここ数年NGOはその存在意義の問い直しを迫るような大きな壁にぶつかっています。
政策提言については、たとえば一九九七年の地雷廃絶条約の成立にNGOが大きな役割を果たしたことが注目を浴びましたが、そんな事例から一般にはNGOの影響力が強まったという印象があるかもしれません。実際、多くのNGOは、NGOが意思決定に参加できればよりよい政策が生まれると考え、国連機関、世銀・IMF、各種世界会議に参加の場を求め実現してきました。
しかし仔細に検討すれば、NGOが国際的な意思決定にある程度の影響力をもちえるのは人権や環境などごく少数の分野、それも一部の問題に限られ、国家がもっとも重視する経済と軍事(安全保障)という二大領域では、NGOはほとんど意思決定に関与できていません。実際、九〇年代、NGOの政策への影響力が一見急速に拡大したその同じ時期に、新自由主義的なグローバル化が世界中に浸透し、深化していったのです。なぜなのか。これをNGOは真剣に受け止め考えるべきだと思います。
日本でもODA政策をめぐってNGOが政府に対して意見表明する場はできましたが、ここ最近では、こうした協議の場とは無関係に作られる首相や外務大臣の「私的諮問機関」の答申が実質的にODA政策の基本政策を決めるようになっています。
こうした政策「対話」の場に参加することでNGOの一部の意見は取り入れられたものの、全体的にはこうした場は、政府や国際機関がNGOのもつ専門知識や情報を上手く活用しつつ、肝心のところではNGOの意見を取り入れることなく、それでいて少数意見にも耳を傾けたという民主的装いを施すのに好都合な手段となっています。つまりNGOは政府の政策を根本的に変えるのではなく、それを補完する役回りをもたされてしまっています。NGOがこの方向性に突き進めば、場合によってはNGOが社会運動の利益を損なう存在になる可能性さえあります。
だからといって政策提言が必要ないというわけではありません。しかし、NGOの間には、もしかすると政府とNGOの代表というエリート同士の政策協議で社会を変えることができるかのような錯覚があった(ある)のかもしれません。そのために、期せずしてNGOは、自身の活動の対象である人びと、人権侵害を受けている人々や生活を破壊されている人々を「啓蒙」し、「救済する」存在であるかのように振る舞ってきたのかもしれません。実際、社会運動や民衆運動との接点をもたないNGOは、そうした運動に関わる人びととは生活体験も違えば活動の優先順位の置き方も異なり、民衆運動をただ利用しているだけだという批判が、世界社会フォーラムなどで指摘されています。
<組織とスタッフの維持が自己目的化される>
◆プロジェクトの実現を目指すNGOはどうですか
具体的プロジェクトの実施を中心とするNGOも、いま、大きな転機を迎えています。
一つの問題は、プロジェクト実施は手段であったはずが、いまやそれ自体が目的と化しており、本来めざしていた活動目標――日本の国際協力NGOの場合は、日本のODAのあり方を変えること、発展のモデルそのものを問い直し、オルタナティブな社会像を提示することなど――がなおざりにされている問題です。このことが、国際協力に携わるNGOの中で政治性が希薄になっている要因の一つではないかと思います。
プロジェクトの自己目的化は、NGOのように明確な組織形態、活動目標・手法、活動を実施する事務局とスタッフをもつ組織にとっては避けがたい傾向かもしれません。プロジェクトはNGOのスタッフにとっては「仕事」でもあるため、組織の維持とスタッフの生活の維持のために永久的にプロジェクトが必要であり、たとえば貧困根絶といった目標のためにプロジェクトを実施するというよりも、プロジェクトを続けるためにそれを正当化するスローガンを掲げる(と言えば少し厳しい言い方ですが)という転倒した状況が生まれるからです。そして、資金を集めるために、各団体の固有の考え方や組織的力量にもとづいて長期的に資金調達計画を立てるのではなく、資金の得やすい「開発トレンド」(たとえば「持続可能な開発」「女性と開発(GAD)」など)を追いかけ、結果としてプロジェクトの持続性を損なうといった事態が生まれています。
もう一つの問題は、こうしたプロジェクト中心の活動では資金調達の力が決定的になるため、資金を提供する側の北のNGOと受け取る側の南のNGOの力関係が不平等なまま固定化されることです。もともと南北問題の解決をめざしていたはずの北のNGOが、その活動によって実はNGOの世界で南北の不平等を生んでいます。いま、北のNGOの中から、こうした関係を変えるために南のNGOとの新たなパートナーシップを模索する動きが出ていますが、日本ではまだまだ議論が不十分です。
<NGOの魅力は社会をかえること>
◆今後のNGOにとって何が必要でしょうか
NGOに未来があるとすれば、「社会を変える」ことをめざす方向性のうちにしか見出せないのではないかと考えています。社会変革という目標を掲げなくなれば、NGOは客観的には政府や国際機関や自治体の補完物や安価な下請け機関の位置にとどまってしまうでしょう。そうなれば、NGOがNGOであることで人をひきつけていた魅力は失われ、日本のように非営利セクターの財政基盤全体が脆弱な国では、組織維持のための資金獲得さえ覚束なくなるかもしれません。
そこで必要なのは、NGOの特性である「専門性」と「現場性」の意味と位置付けをもう一度問い直すことだと思います。「専門性」はNGOの専売特許ではありません。社会運動にも「専門性」は必要です。たとえば原発に反対するために原発について学習し、専門知識を蓄積するなど、住民運動や社会運動の中でもこうした形の「専門性」の蓄積や活用は行われてきました。問題は、NGOの場合、その「専門性」が一握りのエリートススタッフに蓄積され、社会運動との連携がないために広く運動体に共有されないことにあります。これではNGOは強化されても、社会変革を担う存在である社会運動の強化にはつながりません。
NGOはこれまで個々の団体をいかに強化するか(組織、資金、会員数等)ばかりを考えてきました。NGOも企業同様、同じ「業界」の中でいかに他団体との競争に打ち勝つかに腐心してきたわけです。「NGO業界」全体の利益を考えることはあっても、自分たちのもつ「専門性」や組織、人、資金を、広く社会変革のための運動全体にどう位置付けるか、という視点で考えたことのあるNGOはほとんどいないのではないでしょうか。そして自分たちを「プロ」と称し、「専門性」をもたない個人の集まりや組織を「アマチュア」と呼んで、アマチュアには役割はないと言い切るNGOも存在します。いまそういう「プロ化」の傾向が高まっています。その企業的、エリート的なメンタリティからいかに脱するか、自分たちの「専門性」を社会の中でどう活かすのか。それが課題だと思います。
◆新しい動きはありますか
私はNGOの最大の魅力は「現場」をもっていることだと思います。そこには人と人とのあらたな形の協働や連帯の関係を作り出す可能性の芽があるからです。しかし、これまでのようなプロジェクト実施に依存した活動はさまざまな歪を生んでいます。NGOのプロジェクト管理の手法はすでに確立されていて、そこからは社会変革や価値の転換につながるような新しい動きや面白いことは起きそうにありません。社会変革に関わろうとするNGOは、そのプロジェクトを通じて何を実現したいのかをもっと議論することから始めなければならないと思います。そのとき、組織=仕事の維持が優先課題になってしまうと、やはりどんなプロジェクトにも歪みが生じます。
国際協力NGOで長年プロジェクトの経験のある人が、固定的な組織を作らず「現場」と関わる方法を模索し始めるといった動きも出ています。何か新しいものが生まれるとすれば、そうやって模索している人たち同士の交流や議論からではないでしょうか。
NGOにいま何よりも必要なのは、たとえば「援助の軍事化」に対して「否」といい、異議をきちんと表明する、そういうスタンスです。NGOは異議申し立てを「単に反対しているだけ」と否定的に受け止める傾向がありますが、「否」を表明し続けなければ、自分たちがいつのまにか政府に取り込まれ、言いたいことも言えない状況に追い込まれてしまいます。日本のNGOの問題はその危機感が決定的に薄いことです。
NGOが国家の外交戦略や「国益」から独立した活動をいかに取り戻していくかという課題を考える上で、朝鮮民主主義人民共和国への人道支援をめぐる問題は避けて通れない問題ですが、本書では扱うことができませんでした。そこで本書の執筆者のうち四人が参加して、急遽『制裁を超えて――朝鮮半島と日本の〈平和〉を紡ぐ』(新評論刊)という本を出版することにしました。こちらもぜひあわせて読んでいただければと思います。
本書の出版後、NGOが直面する課題を社会の問題としても考えていこうと、「NGOと社会」という有志の集まりを作り、ニュースレターの発行やシンポジウムの開催を行っています。第一回シンポジウム(五月一三日)は「危機にあるNGO」と題して行いました。第二回シンポジウムは人道支援をテーマに十二月頃行う予定です。詳細については新評論のホームページ(http://www.shinhyoron.co.jp/)を見てください。Actio読者のみなさんにも是非討論に参加していただきたいと思っています。
PROFILE▼ふじおか・みえこ
反差別国際運動(IMADR)事務局次長を経て、現在、グァテマラの先住民族のコミュニティ・プロジェクトに携わりながら法政大学・同大学院で非常勤講師(国際協力論・国際人権論)。共著に『環境平和学―サブシステンスの危機にどう立ち向かうか』(法律文化社、2005)、『グローバル時代の先住民族―「先住民族の一〇年」とは何だったのか』、『脱「開発」へのサブシステンス論―環境を平和学する―2』(法律文化社、2004)など。
