対米追随一辺倒で自滅した安倍首相
自衛隊はインド洋から撤退し民生部門での国際貢献を
9月10日に開会した秋の臨時国会の最大の焦点は、11月1日に期限切れとなるテロ対策特別措置法の延長問題だ。ところが国会開会直後の12日、本会議での代表質問を前に安倍首相は突然辞意を表明した。
首相は辞任の主な理由を、「このままでは自衛隊の給油活動が中断する」「テロとの戦いにおける責任を果たせない」と語ったが、直前に開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)での記者会見では、「国際公約となった以上、職を賭して取り組む」「あらゆる力を振り絞って職責を果たしていく」と明言していた。まさに舌の根も乾かぬうちに前言を翻したのだ。
そもそも参議院では野党が過半数を占め、第1党となった民主党はあくまで特措法延長に反対する構えだ。そこで政府は現行の特措法延長は不可能だと判断し、多国籍軍への協力支援や捜索救助、被災民救援などは削除し、自衛隊の活動を給油・給水に限定する新法を準備していた。この新法を衆議院で可決して参議院へ送り、たとえ否決されても衆議院の3分の2の賛成で再可決することで成立を狙っていたはずだ。
しかしこのプロセスでは、今後の日本の外交や安全保障戦略のビジョンを巡って激しい議論が巻き起こるのは避けられない。対米追随で思考停止している安倍首相は、こうした議論に晒されることを恐れて責任を放棄したのだ。
<安保理の授権なき強制措置は違法だ>
民主党の小沢代表は、自衛隊による国際的な平和維持活動は国連主体のものに限定すべきだとする「国連中心主義」を主張してきた。
小沢民主党がテロ特措法に反対する理由は以下の通りだ。9・11テロ直後の2001年10月に開始されたアフガニスタン戦争は、国連決議を経ずにアメリカが自衛権を行使したものに過ぎない。ゆえに「不朽の自由作戦」(Operation Enduring Freedom)の後方支援としてインド洋で自衛隊が行っている給油活動は、集団的自衛権の行使であり憲法違反だ。
こうした小沢氏の主張は、国連憲章及び日本国憲法に則ったものだ。そもそも国連憲章第2条4項では、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使をいかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と記し、武力行使を禁止している。
但し第7章には例外規定がある。安保理は「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために」、いわゆる経済制裁から軍事的措置までを含む強制措置を採ることができる。
さらに第51条では、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と記されており、緊急時の自衛権を認めている。
ここで重要なポイントは、国連は加盟国の武力行使を原則的に認めないこと。但し安保理が「必要な措置をとるまでの間」は、国連による強制措置を授権することによってはじめて加盟国の武力行使は合法化される。
言うまでもなく9・11テロの報復として開始されたアフガニスタン戦争は、国連から授権されたものではない。それどころか、本来国連が禁じている「国の領土保全又は政治的独立に対する」武力行使そのものだ。ゆえにアフガニスタン戦争には協力できないとする小沢氏の主張は、ブッシュ政権の暴走に追随しただけの自民党よりもはるかに筋が通っている。
小沢氏の説得のために会談したシーファー駐日大使は、今年3月に採択された安保理決議1746を根拠に給油活動継続を要請した。シーファー氏はこの国連決議のなかで「不朽の自由作戦」(OEF)が明記されている事を指摘したが、実際の決議の内容は以下の通りだ。
「アフガニスタン政府に対し、国際治安支援部隊(the International Security Assistance Force)及び『不朽の自由』作戦同盟(Operation Enduring Freedom coalition)を含む国際社会の支援の下、それぞれに果たすべき責任に従い、タリバン・アルカイダその他過激派組織への脅威及び犯罪活動に対する対処の継続を要請し、同国全土に対するISAFの展開終了を歓迎し、あらゆる勢力に対し国際人道法及び人権法の尊重と、文民の人命の保護を要請する」
原文を読めば一目瞭然だが、この決議ではOEFの活動について「国際社会の支援」の一つとして触れただけで、国連の活動として認定などしていない。これを根拠に小沢氏を説得することなど無理なのだ。
ゆえに小沢民主党は、安保理の授権なき強制措置には一切参加せず、日本が自衛権を行使するのは唯一国土が侵略された場合に限るとする現在の主張を貫き通し、インド洋からの自衛隊の撤退を実現すべきだ。
各種世論調査でも、国民の半数以上はテロ特措法延長に反対している。民主党は7月参院選で示された有権者の声を決して裏切ってはならない。
<国連中心主義には国連改革が不可欠>
ただし、小沢民主党が掲げる国連中心主義は大きな問題もはらんでいる。
シーファー氏に対して小沢氏は、01年12月の安保理決議1386に基づいて設立されたアフガニスタン治安維持のための国際治安支援部隊(ISAF)への参加の意向を示した。「国連平和維持活動(PKO)と同じ性格を付与され、オーソライズされている」、「国連に認められた活動に参加したい。これは米国にマイナスの話ではない」と語ったのだ。
ISAFへは現在NATO(北大西洋条約機構)を中心に37カ国約3万9000人が派遣されている。当初はタリバンやアルカイダ、地元の軍閥勢力に対抗してカブール近郊の治安維持を支援するために発足したが、2003年10月13日の安保理決議1510以降アフガン全土に展開している。特に治安が悪化している南部では、事実上戦闘活動を行っている。
例えばタリバンの拠点の一つ南部・カンダハル州を担当しているカナダ軍は2900人を派遣し、朝鮮戦争以来の本格的な軍事作戦を行っている。既にカナダ兵の死者は66人に達し、国内でも派遣に反対する世論が強まっている。
こうしたISAFの活動に対して、長年アフガニスタンでの医療・支援活動を続けているペシャワール会の中村哲医師は、現地から厳しい批判を行っている。
昨年12月に発行された「ペシャワール会報」90号には次のように記されている。
「ここ東部アフガンでも、民心は日一日と外国軍に対する敵意があらわになっているようです」「モスクや学校の爆撃で『テロリスト』が掃討できるはずがありません。それに、報道される『タリバーン兵』とは、たいていが農民そのものです。4万人の外国兵は、公称1万人の『タリバーン兵』と戦っているのではなく、『4万人の外国兵対2千万人アフガン農民』と考えた方が正確でしょう」
さらに今年6月の「ペシャワール会報」92号では、「現在、我々にとって最も危険なのはカーブル市内で、欧米軍に近寄るのは危険である。最近の傾向は、欧米軍および(その協力者と取られ得る)諸外国NGOに反政府側の攻撃が集中しており、組織化された動きが目立つようになった。権力闘争だけでなく、麻薬に絡む犯罪、急激な欧化政策に反発する勢力、貧困層の急増に伴う強盗、部族間の反目、これらが一体となって治安は悪化の一途をたどっている」と指摘している。
ISAFが国連にオーソライズされているからといって、それがアフガンの平和構築のために有効に機能しているわけではない。現地住民と最も近い立場で支援活動を続ける中村医師の警告に、民主党は耳を傾けるべきだ。
そもそも日本の外交・安全保障戦略を国連中心主義にシフトしていくためには、国連のより民主的な改革が不可欠だ。国連総会で選出されたわけでもないわずか5カ国の安保理常任理事国は、拒否権に象徴される絶大な権限を有している。安保理は総会以上の意志決定機関となっており、国連は事実上5大国の恣意的な運営に委ねられている。
例えばわずか10週間ほどで100万人近いジェノサイドが行われたルワンダに対して、国連はほとんど支援を行えなかった。当時ルワンダには平和維持軍として2500人程度の国連ルワンダ監視団(UNAMIR)が展開していた。司令官は「もう5000人増派してくれれば治安は維持できる」と要請したにも関わらず、安保理は虐殺が本格化している最中に要員を270人に激減させる決議を採択したのだ。
石油の安定確保のために中東地域には強い関心を示しても、アフリカ辺境の大虐殺を阻止するためには何も動こうとしない。残念ながらこれが一握りの大国の都合に左右される現在の国連の姿だ。ゆえに国連中心主義は、国連の民主的改革と一体のものとして提起されない限り大きな限界を有している。
<格差や貧困の解消こそが平和につながる>
1994年国連開発計画(UNDP)は『人間開発報告書』において、はじめて体系的に「人間の安全保障」の重要性を打ち出した。「こんにち、人間が『安全でない』と感じる原因は、世界の破滅に対する恐怖よりも、日々の生活に関わる不安のほうが大きい」と指摘したのだ。
当時世界の軍事支出は約8000億ドル。UNDPはこの1%に相当する80億ドルあれば、世界の5歳未満の幼児死亡率を大幅に下げるための追加支出(50億ドルから70億ドル)を十分に賄うことができると訴えた。しかし未だ世界では毎年1200万人の子どもが5歳未満で死亡している。「テロとの戦い」が叫ばれ、ますます莫大な軍事費が戦車やミサイル、クラスター爆弾に費やされていくなか、今一度平和の意味について深く問い直すことが必要だ。
国際基督教大学平和研究所所長の最上敏樹氏は、著書『いま平和とは』(岩波新書)で次のように問いかけている。
「たとえば、一つの社会の中で、一方には巨額の富を占め、飽食している人がいる。もう一方にはいくら働いても十分な収入が得られず、あるいは職さえも得られず、十分な食糧さえ得られない人がいる。それが当人たちの能力ややる気の問題ではなく、富の分配の仕組みが不適切であることの結果であるとしたら、また、特定の人種や性が原因でなかば自動的に貧困や飢餓の中に閉じ込められているとしたなら――それは社会構造が原因で生み出されている暴力と呼ぶほかはないのではないか」
最上氏によれば、戦争などの直接的な暴力が消滅した状態は「消極的平和」を意味する。これに対し、社会的平等などが実現することで構造的暴力のなくなった状態は「積極的平和」だ。最上氏は、これからの平和活動は「消極的平和」だけでなく、「積極的平和」にも目を向けていくことが大切だと提起している。
実際に国連のPKO活動も、徐々にこうした内容を組み込んだものに変化してきた。当初は紛争当事者の間に割って入る停戦監視が主な任務だったが、近年は兵士や武装集団の社会復帰や武装解除、人道支援、選挙支援、人権保障支援、文民警察育成や地雷除去など多様な活動を内包させている。国連は今後、より民生部門を強化することが問われている。
同様に社会運動を担うNGOは、戦争や直接的な暴力だけでなく、格差や貧困、差別などの構造的暴力と対峙し、それを具体的に解決していくことが問われている。その際に忘れてならないことは、そもそも自国内の構造的暴力を改善しようとしない政府は、国際社会においても「積極的平和」創造には無頓着なことだ。
ブッシュ政権の「対テロ戦争」に忠実に従った小泉政権は、同時に「弱肉強食」の市場原理主義、アメリカン・グローバリズムを国内に浸透させた。これは単なる偶然ではない。中村哲医師は、「対テロ戦争」の最前線に凝縮されている矛盾を、まさに日本の国内問題にオーバーラップさせて次のように指摘している。
「『テロとの戦い』に拳を振り上げ、殺戮を繰り返すことが『進歩』だとは思わない。景気回復で貧富の差を増し、華美と精神の貧困が蔓延することが『改革』だとは信じない。この進歩改革の妖怪が、普遍的な真理のごとく、『世界の骨董国・アフガニスタン』に来襲して多くの血を流し、人々を追い詰めたのである」
テロ特措法を巡る議論は、今後日本がどのような社会を目指すのかにも深く関わってくる。改革と進歩の名において弱者を切り捨て、力と暴力で世界を支配しようとすることは間違いだ。
格差が深刻化するからこそ狭隘なナショナリズムにからめとられることなく、国内外で「積極的平和」を創造する社会運動が問われている。
