保科湘子

大手介護事業者コムスンの不正保険請求が発覚した。これまで親会社グッドウィルやコムスン幹部は、介護現場に過大な営業ノルマを課してきた。福祉を金儲けの手段のように考えているコムスンの経営体質は徹底して批判されるべきだ。

 しかし、問題はコムスンに限らない。日本の介護保険制度自体が揺らいでいる。

 私は、介護保険制度が開始された年から介護保険業務に関わった。現在はボランティアの相談業務に従事している。福祉の現場から感じたことを書いてみたい。

<コムスンだけが悪いわけじゃない>

 コムスンの介護事業撤退で一番困るのは利用者だ。私は以前、介護保険ケアマネジメントとヘルパー派遣に携わっていたが、夜間早朝のヘルパー派遣はほとんどコムスンに依頼していた。

 コムスン撤退後、それらのサービスが継続される保障はない。夜間早朝時間帯や過疎地での介護サービスは、中小の事業者では採算がとれないからだ。これに対しコムスンは、24時間・365日、どんな過疎地や離島でも展開してきた。

 さらにコムスンの介護現場で働いてきた人たちは、皆とても真面目に働いていた。彼、彼女たちは、通常では考えられない月80時間から100時間のサービス残業を担っていた。依頼を絶対に断らないコムスンは、「困った時の神頼み」的存在だったのだ。厚生労働省自身、折口会長率いるコムスンを新しいビジネスモデルとしてさんざん持ち上げてきたはずだ。

 にも関わらずどうしてこんなことになってしまったのか? それは、介護保険制度自体が破綻しかかっているからだと思う。コムスンだけでなくニチイ学館など他の大手も不正請求が明らかになっており、制度自体への不信が広がっている。

 現在の介護制度は、「民間活力の導入」を謳い文句に始まった。市場原理に任せた結果、事業者はコムスンほど強引でなくても、新規利用者の掘り起こしを図った。

 本来介護予防のためには、早めにサービスを利用した方が効果は高い。しかし、必要性がないのにデイサービスに通う高齢者も増加した。介護保険利用は急増し、保険財源は逼迫。1カ月の保険料が5000円以上上昇した地域もあり、自治体は悲鳴を上げた。

 そこで厚労省は昨年、介護保険制度を改定した。「質より量」から「量より質」へ転換したと主張するが、実際は介護予防の枠を広げて介護保険の報酬単価を引き下げたのだ。その結果、低い人件費はさらに抑えられることになった。

 現在介護ヘルパーの平均年収は300万円以下だ。「やりがい」だけではとても生活していけない。介護を担う人材は次々と現場を去って行き、多くの事業所は深刻な人手不足に悩んでいる。

 厚労省は介護事業者に対して、「副業としてフィットネスジム等を経営」するよう指導し、安価な外国人ヘルパーの受け入れを準備しているが、まさに付け焼刃的な対応だ。

 今や介護事業者の多くは、赤字覚悟で慈善事業としてやるか、さもなくば水増し不正請求でもしないとやっていけないのが現状だ。

<ボランティアは地域から>

 こうしたなか4月29日付毎日新聞・読売新聞は、「(厚生労働省は)介護保険と連動させた高齢者ボランティア制度を全国の市町村に普及させていく方針を決めた」と報道した。

 「高齢者に積極的に社会参加してもらうことでいつまでも元気でいてもらい、介護給付費の抑制につなげる」「対象は原則65歳以上の高齢者で、高齢者施設で食器を並べたり、高齢者の話し相手をしたりするなど、様々なボランティア活動に参加してもらう。参加を促すため活動実績に応じてポイントが獲得できるようにし、介護保険料や介護サービス利用料の支払いのほか、自分が頼んだボランティアへの謝礼として使えるようにする」

 このボランティア制度は、東京都稲城市で特区申請された制度を参考にしたものだ。稲城市に限らず多くの地域では、「住民参加型福祉」「コミュニティビジネスの一形態」として、ワーカーズコレクティブや地域通貨などの実施例がある。地域の活性化と結びつけて、新しい互助システムや人と人とのつながりを創り出していこうとしている。こうした試みは、自主的に参加しているコミュニティのなかで合意形成しながら、あるいは小さい自治体で協議しながらすすめていくならば面白いし意義があると思う。

 しかし大きな自治体や政府の制度としてトップダウンで実施する場合はどうか。最悪の場合、低所得層が将来の介護保険利用を確保するために、やりたくもないボランティアに嫌々参加する恐れがある。これではとてもボランティア(自由意志)とは呼べない。

 しかも私は、ボランティアの要請と参加希望を調整する業務に関わっている。「今まで会社人間だったので、これからは地域貢献したい」と語る退職前後の男性。「子育てが一段落したので、空いた時間に誰かの役に立ちたい」と希望する主婦。こうした人たちと接して感じるのは、多くの人たちが「見返りを求めない活動」を望んでいることだ。

 なかには学生ボランティア義務化により、「宿題をやるため・単位を取るために仕方なく」相談に訪れる学生もいる。私は当初、こうした相談には強い抵抗感があったが、最近は「これもまたひとつの機会かな」と思っている。

 動機はどうあれ、学生のうちに普段出会うことのない高齢者や障がい者や乳幼児と触れあい、様々な体験をすることは決して無駄ではない。評価や数値や見返りを気にしない人間関係を通じて、最初は死んだ魚のような目をしていた学生が生き生きし始め、自信を取り戻すこともある。こんな出会いをコーディネイトする仕事にやりがいも感じる。

 しかし、「介護ポイント」が導入されれば、市場的価値では割り切れないこうした人と人との関係は後景化してしまう。厚労省の計画では、介護ポイントの管理は社会福祉協議会が行うようだが、私はとても気が進まない。

 そもそも政府は、「公費支出が無理だから」と介護保険を導入し、それでも金がかかると矛盾を介護事業者と現場に押し付けてきた。そして最後は、なし崩し的にボランティアやNPOに丸投げするのでは、政府の責任放棄でしかない。

 本来「官民協働」とは、政府は自らの役割を明確にして責任を果たした上に、住民自身の創意工夫や企業の自助努力が重なり合うことを意味する。

 まず政府は、場当たり的な政策で介護制度の混乱を拡大した責任をとるべきだ。その上で解決する方途を示さなければ、「社会で支える介護」は絵に描いた餅でしかない。

              (30代 社会福祉協議会職員)

(1247号 2007年7月10日発行)