映評『俺は、君のためにこそ死ににいく』(新城卓監督作品)
特攻に至る歴史的経緯は何一つ語られていなかった
石原慎太郎東京都知事が総指揮を執って製作した作品だ。「どんな映画だろう?」と思って見に行った。
事前にネット上の映画評判を読んでみたら、「泣けた」「感動した」と語る人もかなりいた。それなりに日本人の心に訴えかける内容がある映画なのだろうと、ある意味期待していた。
だが、昨年話題となった映画『硫黄島からの手紙』(クリント・イーストウッド監督作品)で示された戦争の悲惨な現実への洞察と比較すると、この映画は期待外れでガッカリした。
監督は『オキナワの少年』などで知られる新城卓だ。沖縄出身でこんな重いテーマを扱いながら、なぜ特攻についてもっと深い見方ができなかったのか疑問だ。
この作品は、特攻隊に志願した若者たちが出撃を前に鹿児島県知覧航空基地で繰り広げる人間模様を描いている。実在した人物、鳥濱トメさんの伝聞を元に作られた。
特攻隊の若者たちは、軍指定の食堂を仕切る彼女を母のように慕っていた。映画では岸恵子が演じている。いつ出撃命令が下るかも分からない不安と恐怖のなかで、若い隊員たちが心から彼女を慕い、彼女も本当の母親のように彼らに愛情を注いだ。それは紛れもない真実だろう。
しかし私は、愛する家族や恋人、戦友ために命を捧げていった若者たちの死を無駄にしないためにも、硫黄島作戦や特攻などの無謀な作戦を命じた戦争指導者の責任を明確にする必要があると思う。
その際、近衛上奏文(1945年2月14日)を無視することはできない。当時近衛文麿は、軍部を抑え早急にアメリカとの講和を実現すべきと昭和天皇に上奏した。もっともその理由は、「軍(統制派)上層部や国民の間に共産革命を許容する動きがあり、このままでは国体(天皇制)が護持できない」というもので、国民のことを考えてのことではない。
これに対して昭和天皇は、「(軍部の人事の問題については)もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と答え、講和を先延ばしにした。昭和天皇には戦争を止める権限があった(彼は1945年8月15日にその権限を行使した)にも関わらず、天皇制の維持のために少しでも戦果を挙げる必要があると考えたからだ。
この近衛上奏の後、硫黄島玉砕、沖縄戦、特攻が行われ、各都市空襲、広島・長崎の原爆投下で何十万の国民が犠牲となった。近衛上奏を蹴った天皇の責任は重大なのだ。
この映画では、特攻隊の生みの親は大西瀧次郎海軍中将のように描かれているが、彼にそんな権限はなかった。実際は、天皇直属の機関である大本営が1944年7月21日「大海指第431号」で特攻作戦を発表し、それ以降実行に移された。部隊の再編も武器の改造も、すべて天皇直属の軍令部が御璽御名裕仁の下強制したのだ。
「特攻」や「硫黄島の戦い」で当時の若者たちが示した自己犠牲の精神は、「国体護持」のために利用されたのである。もう少し早く昭和天皇が講和を決断していれば避けることができた死なのだ。
私は、こうした歴史的コンテクストを無視してこの映画に感情移入することはできなかった。「愛国心教育」が叫ばれ、自民党が国家主義的な改憲案を提起している今、単に「特攻」を美化するだけでは危険だと思う。
(山咲唯一)
