格差は広がっているが労働組合運動は簡単じゃない
古澤俊雄
<「偽装請負」に抗して組合を立ち上げた>
私は人材派遣会社で働いている。2002年に半官半民の研究機関に派遣された。
ところがそこでの雇用形態は、最近問題となっている「偽装請負」だった。
労働者派遣契約の場合、派遣先会社が負うべき労働基準法上の義務は重くなる。「偽装請負」は、それを逃れるために行われる。
私は派遣先の研究機関に常駐し、その管理下、指揮命令の下に業務を行った。勤務実態は明らかに派遣労働と見なされるべきものだから、本来は研究機関との雇用関係が成立しなければいけない。
しかし私は請負労働者としてしか扱われなかった。有給休暇は認められず、就業規則も配布されなかった。私を請負労働者として扱うのなら、業務請負元である私の会社は、研究機関に作業責任者を配置し、私はその指示の下で働かなければ法律違反だ。
結局私は派遣労働者としての権利を得られないまま、派遣労働と同様の扱いを受けることになった。私のような存在は、派遣先にとってはいつでも首を切れる「調整弁」となり、社会保険などの福利厚生費を節減できる。派遣元にとっては、指揮命令権を派遣先に丸投げして作業責任者の人件費を削減しつつ、関係業務に実績とコネを築いていける。両者にとって好都合なのだ。
しかし、そのしわ寄せはすべて現場の労働者に押し付けられる。そこで私は、同じ派遣先の安全管理部門で働いていた同僚と共に、会社に組合を立ち上げた。
組合を発足した途端、さまざまな弾圧、組合潰しが始まった。会社側はすぐに、年配の副委員長を解雇した。これに抗議して要求した団体交渉を拒否したため、私たちは東京都労働委員会(都労委)へ提訴した。
会社側は都労委の斡旋(あっせん員が、労使双方から事情を聴いて、団体交渉のとりもち、双方の主張のとりなしを行う)を拒否し、都労委出席のため組合員が申請した有休休暇も拒否した。さらに組合員への減給、始末書強要、配置転換などの組合潰しが続いた。
これに対し私たちは、社前集会、ビラ配り、社長宅抗議闘争、会社取引銀行申し入れ、客先組合申し入れ、加盟している地域労組全体での本社包囲集会などで反撃した。
都労委の勧告では、私たちの主張は全面的に認められた。これにより会社側の歩み寄りを引き出し、副委員長の解雇撤回とバックペイ(和解や判決に基づき解雇や不採用の期間の給与や正当な賃金との差額を支払うこと)、職場復帰、協定書の遵守、労使双方の希望場所と日時での団交の開催、一方的な労働条件変更の禁止など、一定の成果を獲得した。
それでも会社側は行政処分を要求したため、ストライキ、謝罪要求などの攻防が延々と続くことになった。会社の不当な攻撃には、意地でも屈服出来ないと思ったのだ。
<会社は労働者の分断を狙ってきた>
組合を潰せないと考えた会社側は、個々の組合員への嫌がらせ、過酷な労働現場への配転を開始した。
私も研究所の安全管理の仕事から外され、ゴミ拾いやトイレ掃除、清掃工場での肉体労働などへ配置替えされた。
組合員に組合員を管理監督させ、ちょっとしたミスにつけこみ執拗に責任が追及されるようになった。こうして会社は労働者間の対立を煽り、組合組織を分断することを狙ったのだ。
間もなくこうした攻防に疲弊して体調を崩し、組合を脱退する者が増えはじめた。後退する仲間をフォローする側も疲弊していく悪循環のなか、今では組合を維持できる最低限の組合員を残すだけとなった。
思えば結成当初は、どんな嫌がらせや弾圧が降りかかろうが、それを跳ね返す団結があり、解雇された仲間を守るという活動の目的は鮮明だった。矢継ぎ早に繰り出される会社の労務担当による組合への攻撃は、むしろ私たちの結束を固めてくれた。
しかし、私たちの闘いは内容的な限界も抱えていた。労働組合は本来、憲法や各種労働法によって保障された労働者の権利を会社に守らせ、自分たちの働く職場を改善していくのが目的だ。そのためには、組織の団結を育成すると共に、組合員が労使問題を主体的に考えていかなければならない。
さらに組合のプレゼンスを高め、経営者にさらなる要求を認めさせるには、非組合員の信頼を勝ち取ることも欠かせない。地道な日常活動が問われるのである。
こうした日常活動の積み重ねの点で、私たちのスタンスは甘かった。それを会社側は見透かし、労働者を分断する様々な労務管理を駆使したのだ。
私たちは未だに、会社側からの正式な謝罪と和解文書すら勝ちとっていない。今後組合活動への敵対を禁止させ、社内民主化を実現し、組合員の昇給や一時金支払いを実施させるにはまだまだ時間がかかるだろう。
<労働者が人間らしく生きるために>
私たちの会社に限らず、労働者間の分断は格差社会のなかでより深刻化している。
派遣労働者は正社員に比べて労働者的権利が定まっておらず、会社の不当な労務管理に対抗する基盤を得にくい。
私の職場でも、組合活動を続けることがマイナスになることを恐れて多くの仲間が組合を辞めていった。せっかく勝ち取った労働条件すら、いつ奪われるか分らないからだ。
最悪の場合には派遣会社から仕事を紹介されずに職を失い、より条件の悪い仕事にしか就けなくなり、ワーキングプアになるかもしれない。不安定な立場からくるこうした危機感から、仲間に対する連帯心も薄れてしまうのだ。
しかし私は、現状の雇用関係を維持しようとする余り、「とりあえず労使関係は安定しているから、自分の仕事はうまくスムーズにこなしたい。組合活動は二の次だ」と考えていては、いつまでたっても本当の問題は解決しないと思う。
今の日本では、公務員や大手労働組合に組織されているごく一握りの正社員だけが権利を守られている。それ以外の派遣労働者や請負労働者、パートやアルバイトの権利はほとんど保障されていない。こんな状況をこのまま放置していいはずがない。
勿論、問題は単純ではない。例えば、正規雇用の社員は同じ職場で働く非正規雇用の社員の待遇改善のために、自らの労働条件を切り下げるだろうか。あえて自分の給料を下げてまで、他の労働者の権利を守ろうとするだろうか。
ワークシェアリングにより格差を縮小するのが正義なのか否か、それは決まった答えがあるわけではなく、ケースバイケースで考えるしかない問題だ。
いずれにしても、労働組合に組織されている労働者も、未組織の労働者も、こうした問題をきちんと議論していくことが必要だと思う。派遣労働問題は、実は正社員の待遇にもつながっている。派遣労働者の劣悪な労働条件を認めてしまえば、それとの競争にさらされる正社員の給与引き下げなどに直結するからだ。
アメリカの組合活動家と交流した仲間は、「資本主義社会のただ中で、マルクス主義とは何の関係もないアメリカの労働者は、貧富の格差は正義に反すると訴えていた。懸命に闘う姿に感動した」と語っていた。
誰もがみな、自分の将来に不安を感じ、家族への責任を負っている。だからこそ、労働者が人間らしく生きる権利を求めて闘うことが求められている。
私は、アメリカの組合活動で行われているような議論を、今後の組合活動のなかで活かしていきたい。
(40代 安全管理派遣社員)
