ふるさと読谷村で模索するウチナーとヤマトの未来
読谷飛行場と「象の檻」を米軍から取り返した
沖縄県読谷村在住 仲宗根盛秀(文・写真)
<「新たな戦前」を垣間見る沖縄の現実>
沖縄では「慰霊の月」の6月に入った。
地元新聞の投書欄には、過去の戦争を振り返る投書が増える。毎年この時期になると、「二度と戦争を起こしてはならない」との思いを語るのだ。私もこれらの投書を読み、自分の思いを新たにしている。
さらに今年は、「新たな戦前を見ているようだ」と危機感を露わにする投書もあった。10年前ならば想像すらできなかった事態が次々と進行しているからだ。
アメリカは世界中に戦争の惨禍を拡大し、イラク戦争は多大な犠牲を強いながら現在も進行中だ。アメリカに追従する日本政府は、自衛隊の海外派兵を常態化し、防衛庁を「省」に格上げした。憲法改悪を目指して国民投票法を作り、教科書検定ではついに沖縄戦における「集団自決」の記述が削除された。
今から40年前にこんなことが行われたら、間違いなく反政府の大闘争がわき起こっただろう。残念ながら現在、日本の民衆は大きな対抗運動を創り出せていない。痛苦な歴史を負う沖縄でさえ、政治への関心は弱まりつつある。嘉手納基地包囲行動も、今年は参加者が予想を下回り、全員の手がつながらなかった。
沖縄戦を体験した人々は、「気がついたらどうしようもない状況になっていたんだよ」と語る。「もしかしたら、今私たちが置かれているのも同じ状況なのだろうか」と不安になる。
例えば普天間基地の移設をめぐり、政府は辺野古沿岸案を強引に進めようとしている。政府に歩み寄る県知事と名護市長ですら、政府案は住宅地に近すぎると批判して沖合移転を主張しているが、政府は聞く耳を持たない。辺野古では、粘り強い反対運動により沖合建設を阻止してきた。これを恐れる政府は、反対運動の手が届きにくい沿岸案に固執しているのだ。
そしてこの5月には、前代未聞の暴挙を行った。なんと海上自衛隊を動員して事前調査活動を強行したのだ。自衛隊の動員には、反対派の海上阻止行動を牽制する意図もあるようだが、沖縄の県民感情を無視した暴挙だ。
沖縄は過去の戦争を通じて沢山の命を失い、筆舌に尽くしがたい体験をした。それを通じて県民が学んだのは、「軍隊は住民を守らない」ことだ。沖縄戦は、国体を護持するために戦われたのであり、沖縄を守るために戦われたのではない。むしろ沖縄は「捨て石」にされ、住民は日本軍によって集団自決を強制された。
安倍政権は、こうした沖縄の歴史、沖縄県民の痛みを無視して海上自衛隊を出動させた。沖縄県民がかつての日本軍を想起したとしても不思議はない。
「何とかしなければ」と焦りばかりが募る。しかし私は、絶望しているわけではない。一縷の希望を持っている。
<「敵」の心に訴え、自分を見つめ直す>
自衛隊動員にもひるむことなく、地元住民は海上でカヌーなどを駆使して事前調査活動を阻止する行動を続けている。貴重な珊瑚や絶滅危惧種のジュゴンを保護するため、地元以外でも各地で事前調査を中止するように要請したり、抗議する行動が行われている。
私は仲間と共に5月11日から6月24日まで、地元読谷村で「100m彫刻『戦争と人間』大展示会」を開催している。彫刻家金城実さんが10年の歳月をかけて創作してきた彫刻を、昨年返還されたばかりの読谷飛行場の滑走路脇にずらりと並べて展示。まさに戦中から現在に至るまで、軍隊と基地に翻弄されてきた沖縄の歴史を表現した作品だ。
約2ヶ月に及ぶ長期展示会だから、当初はどうなる事かと心配した。しかし時がたつにつれ県内のマスコミでも紹介され、人も集まるようになった。最近では修学旅行のバスまで回ってくる。
彫刻を展示するだけでなく、沖縄、部落、在日、女性、ハンセン病など様々な問題をテーマに講演会や上映会、音楽イベントなどを行なっている。「金武湾を守る会」の安里清信さんをはじめ、「沖縄のレジスタンス」とも呼ぶべき人たちの思想や精神を学ぶ学習会もあり、今後の沖縄の闘いを考えて行く上で貴重なイベントだ。
様々な講演が盛りだくさんだが、私は特に元読谷村長の山内徳信さんの講演に惹かれた。山内さんは村長時代、読谷飛行場での米軍のパラシュート降下訓練の実力阻止闘争の先頭に立って闘い、訓練をやめさせた。山内さんはさらに、アメリカ大統領への直訴状を書いたり、返還前の飛行場の中に村役場を作ったりと、創意工夫に溢れた闘いを継続した。こうした「村民を守る」闘いは、ついに昨年7月読谷補助飛行場の返還として実を結んだ。
私が特に感銘を受けたのは、「敵」に対しても人間として訴えかける山内さんのスタンスだ。「あいつは敵だ、敵は殺せ、粉砕せよ」と考えるのではなく、相手の心に訴える努力を続ける。例えばパラシュート訓練阻止闘争でピケを張っている村民に、機動隊が襲いかかろうとする。その際、村長自らがマイクを握り機動隊の心に訴えかける。
アメリカ大統領に直訴状を書いたのは、大統領の心に直接訴えるためだ。米軍と交渉しても、最高指揮官は大統領だ。その大統領の心に沖縄の叫びを届かせるにはどうすれば良いのか。アメリカ人の価値観を徹底的に研究し、彼らの良心に訴える努力をする。
こうした闘いを進めるためには、しっかりと学ばなければいけない。どうすれば敵を物理的に粉砕できるのかではなく、どうすれば敵の心に訴えられるのかを学ぶのだ。敵は何のために、何故こんな事をするのか。逆に自分たちは何のために何故こんな事をしているのか。その上で、両者の接点はどこにあるのかを考える。
山内さんは、自分たちの事を考える際には、読谷という立場を離れてできるだけ客観的に見つめ直すように努力するそうだ。当事者意識だけでは見えないものがある。そうやって学び、自分を見つめ直して、やっと実現したのが読谷補助飛行場の返還なのだ。
<沖縄の歴史が育む強固な反戦の意志>
読谷にはもう一つ米軍から返還された施設がある。昨年暮れに全面返還された「象の檻」(米軍楚辺通信所)だ。
既に取り壊されているが、「象の檻」返還にもっとも貢献したのは知花昌一さんだ。知花さんの闘い方は、山内さんとは少し異なる。
私をはじめ知花さんの周りにいる人は、「俺はこうしたいんだ」という彼の強烈な意志に突き動かされる。言うまでもなく、「象の檻」の返還は彼一人で勝ち取ったものではない。彼の意志に共鳴し、サポートした無数の人達がいてはじめて勝ち取ったものだ。
しかしその求心力を生み出したのは、沖縄の歴史、そしてチビチリガマの戦争体験者から学んだ知花さんの強烈な意志力だったと思う。
今回の金城さんの彫刻展も、知花さんのリーダーシップ抜きにはあり得なかった。彼は金城さんの彫刻を目の当たりにして湧き上がった感動から、「これを読谷飛行場で展示したい」との強烈な意志を持った。
そして友人の会社社長に「もし返せなかったら半分払ってくれ」と頼み込んだ上で銀行から金を借り、知人・友人に手当たり次第に協力を訴えてイベントを実現させた。彼の意志に振り回される周囲は大変でもあるが、歴史的に意義のあるイベントだから皆協力を惜しまない。
大きな事業を成し遂げるには、知花さんのような粘り強く、かつ強烈な意志力が必要だとあらためて感じる。
<モアイで語る9条のオルタナティブ>
沖縄にはモアイと呼ばれる独特の相互扶助コミュニティが存在する。
モアイには地縁や血縁、職場仲間、飲み仲間など様々な単位があり、参加者はお金を出し合って共同の基金を作る。たいていは貯まったお金を使って定期的に食事会や飲み会を開き、その会合自体もモアイと呼ばれる。
私は、知花昌一さんの選挙を契機に作られたモアイに参加している。読谷村内の知花さん支持者を中心に月一度モアイを開き、その時々にテーマを決めて学習会を行う。
先日、本紙第1243号で国民投票法について語った今井一さんを講演に招いた。講演後の討論会で、自分たちの立場から国民投票にどのような発議を行うのかが話題となった。その際私を含めて何人かは、「自衛隊を災害救助隊に再編する」と提案した。
自衛隊はどう見ても軍隊であり、ゆえに自民党は憲法9条を改悪して正規軍として位置づけようとしている。これに対し従来の左翼の主張は、そもそも憲法9条に違反する自衛隊は解体すべきだとなる。
だが自衛隊は沖縄でも、既に生活圏・経済圏の中に組み込まれており、親子親戚、友人、知人の中に自衛隊員がいるのは当たり前となった。従来通り解体を主張するだけでは、あまりにも非現実的だ。
その上で、現在日本の民衆にとって最大の脅威は自然災害だ。人々は地震や津波、洪水、雪害など大規模災害の脅威に日常的にさらされている。しかし現状では、災害救助のために出動する自衛隊は単なる力仕事に終始し、十分に能力を発揮していない。これでは、迫り来る東海地震や東南海地震などの大災害にはとても対応できないだろう。
「自衛隊」を「災害救助隊」に再編し、保有機材も武器・弾薬ではなく災害復旧の即戦力となるものに改め、そのために日常訓練を行えば良いのだ。どこかで災害が起これば、その日のうちにヘリコプターで先遣隊が現地に駆けつけて初期救助を行う。翌日には本隊が到着し、仮設テントやトイレ、病院などが瞬く間に設置される。自衛隊は改組し、こんな能力こそ備えるべきだと思う。
海外で同様な事が起こった時も、要請があれば何処の国よりも早く、そして装備も充実した日本の災害救助隊が救助活動を行う。こうして国際貢献している日本を、一体どんな国が攻撃してくるだろうか。
私はこの構想をあちこちで話している。沖縄でも、「そんな救助隊なら自分の息子に入って欲しい」との答えが帰ってくる。
<ウチナーから希望を発信したい>
私たちはもっと、未来へ向けてポジティブな提起をすべきではないだろうか。
沖縄、そして日本では、既成の反戦運動は衰退している。だが、どうして民衆は立ち上がってくれないのかと嘆く前に、私たちには考えるべきことがあるのではと思う。
私たちははたして、多くの人々にとって魅力ある運動を創り出せているのかを検証しなければならない。それを見つめながら歩むことが大切だ。「戦争と人間」展示会がそのささやかな一歩となればと願っている。
かつて60年、70年の安保闘争の高揚期には、社会主義という明確な未来への目標があり、それが高揚の基盤となった。社会主義が崩壊した今、政府の政策に対して「阻止、反対」を叫ぶだけではポジティブな提起にはならない。
選挙公約で自民党は「改革」を主張し、左翼は「反対」を叫ぶだけなら、「保守」と「革新」の区別はつかない。多くの民衆は政治に失望し、国会では自公連立政権が多数派を占めている。結果として安倍政権はやりたい放題だ。
最早「反対」の一点張りでは埒があかないのだ。ウチナーはヤマトのやることに何でも反対ばかりしていると思われるのは心外だし、そうあってはならないと思う。ウチナーからこそ、ヤマトを変える新しい展望を提示することが問われている。
かつて琉球王朝の下で独立国であったウチナーは、今こそ積極的なオルタナティブ提言を行い、日本の未来を大胆に作り出す時なのだと思う。私は今、そんなことを考え、地域の仲間とともに語り合い、社会運動に参加している。
勿論、一番必要なことは大言壮語ではなく、地に足のついた日々の活動だ。
最後に、山内さんの講演で印象に残った言葉を紹介したい。
「私たちは何も富士山に縄をつけて東京湾まで移動しようという話をしているわけではない。人間が作ったシステムを、人間の力で作りかえようとしているのだ。できるはずだ」
