演劇『藪原検校』(作:井上ひさし 演出:蜷川幸雄)
善と悪が交差するなかで生きる
井上ひさし作『藪原検校』は1973年に初演されて以降、日本だけでなく世界各地で上演されてきた。今回蜷川幸雄が初めて演出した舞台を観に行った。
時は江戸時代。舞台は、雨戸を何段にも積み重ねた壁で囲まれていた。上から赤と白の細長い布が垂れ下がっている。照明が暗くなり、ギターの演奏で開幕。音楽は宇崎竜童、ギター生演奏は赤崎郁洋だ。
赤崎は何種類ものギターをとっかえひっかえ演奏する。場面に合わせてギターの裏を叩く。闇の中にスポットライトが浮かび上がり、語り手役の盲太夫(壤晴彦)が登場する。歌舞伎の義太夫狂言における太夫と三味線の役を、この舞台では盲太夫とギターが担っている。
「検校(けんぎょう)」は、中世・近世における盲官の最高位の名称だ。江戸時代、「検校」の地位は多くの場合金で買われた。
物語りでは、盲目に生まれた杉の市(古田新太)が殺しを繰り返しながら他人の金を奪い、検校の地位を得る。しかし最後には処刑されてしまう。まさに悪人一代記だ。
話は杉の市が生まれる前から始まる。父親は杉の市の懐妊を祝うために座頭を殺して金を奪う。その因果で杉の市は盲目に生まれ、塩釜座頭の琴の市(山本龍二)に弟子入りする。
わずか13歳で女を知った杉の市は、師匠の女房・お市(田中裕子)ともいい仲になる。しかしある日、難癖をつけて金を奪おうとする結解(けっけ、検校の目明きの秘書)を殺してしまう。駆け落ちしようとお市と共謀で師匠を殺すが、お市は瀕死の師匠の返り討ちに。
さらに、これが最後と別れを告げに立ち寄った母(梅沢昌代)を誤って刺し殺す。江戸に逃げていく杉の市は、その途中でも旅人を殺して金を奪う。もがけばもがくほど泥沼にはまっていくのだ。
しかしなんとか江戸にたどり着き、藪原検校に弟子入りする。そこで杉の市は、借金の取り立てで頭角を顕わす。ついには藪原検校を謀殺し、検校の地位を得る。
ところが、返り討ちで死んだはずのお市は生きていた。杉の市は復縁を迫るお市を殺すが、それが発覚し公開の場で斬殺の刑を受ける。
こんな杉の市の対極に位置するのは、同じく検校へと登りつめる塙保己市(はなわ・ほきいち、段田安則)だ。塙は実在の人物で、古書を集輯・編纂した群書類従で有名だ。この芝居で塙は、晴眼者以上に品性を磨き盲人社会の位置を高めようと努力する人物として描かれている。
実は杉の市は江戸に出た直後、塙の評判を聞いて弟子入りしようと訪ねた。しかし、人殺しを繰り返してきた杉の市と塙が相容れるはずはない。
その後、金の力を駆使して杉の市は検校に就任する。そして、披露目の席に出席できないことを謝りに来た塙と再び対面し、「やはり金の力の方が優れている」と語る。
この場面は一番の見どころだ。差別のなか、盲人がのし上がるには金しかないと考える杉の市。盲人の地位向上を願っている点では、実は塙と同じなのだ。それを理解し合う両者は笑みをかわしあう。盲人同士が交わしあう深い笑みだ。
しかしその直後、お市殺しが発覚して杉の市は捕まってしまう。折りしも将軍補佐役に就任した松平定信(松田洋治)は、世の中を引き締めるためにはどうしたらいいかと塙に尋ねる。塙は、杉の市を公開で、かつ残酷に処刑することを進言する。同時に塙は、杉の市は同志であると断言もするのだ。
勧善懲悪からはほど遠い、深いテーマが流れている。舞台は、殺しやセックスを描写する言葉が飛び交い、猥雑で淫靡で活力に満ちている。テレビでは決して見られない魅力だ。
善と悪は常に交差し、そこからこそ本物のエネルギーが湧き出してくるのかもしれない。
(中村正明)
