チェチェン紛争を口実に民主化を阻むプーチン政権 林克明さんに聞く
経済は成長しても民主主義は後退するロシア
チェチェン戦争後、ロシアでは報道の自由が抑圧された。近年はプーチン大統領を批判する反体制派や人権団体への弾圧が目立つ。チェチェン、ロシアの現状はどうなっているのか。ジャーナリストの林克明さんに聞いた。
<無差別攻撃をしたロシア軍>
◆1995年からチェチェンの取材をされてきましたが、今でも現地の戦闘は続いていますか
私がチェチェンに行ったのは2005年の1月が最後です。16回目の取材でした。今はメールで現地と連絡をとりあっています。
チェチェン戦争の経緯を簡単に述べますと、1994年12月にロシア軍が侵攻して第1次チェチェン戦争がはじまります。1996年に停戦が結ばれますが、1999年にロシア軍による空爆で第2次チェチェン戦争が再びはじまります。
2000年の2月頃、ロシア軍がチェチェン全土を占領します。2003年3月には、ロシア側の主導で国民投票が行われ、親ロシア派の行政府が起案した憲法が制定されます。その後、10月に大統領選挙が行われロシア側が指名したアフメッド・カディーロフが大統領に就任しました。つまり傀儡政権です。今はロシア占領軍の直接支配とチェチェン人の傀儡政権による間接統治が行われている状況です。
現在はミサイルが飛ぶような大規模な戦闘は減りましたが、チェチェンの独立派がロシアの軍事車両を待ち伏せして攻撃する、あるいは遠隔地雷などを用いた攻撃など小規模な戦闘が続いています。
かつてのチェチェン戦争は本当に大戦争でした。期間を限定すればイラク戦争以上ではないでしょうか。チェチェンの面積は岩手県ぐらいで人口は約100万人です。そこで大規模な戦争がおこなわれ、20万人から25万人が殺されたのです。
あまりにも人的被害が大きすぎるのは、ロシア軍の攻撃方法に原因があります。チェチェン戦争の特徴は大きく言って2つあり、ひとつは第2次世界大戦型の攻撃が行われていることです。
例えばアメリカは東京大空襲で攻撃目標地域を全て焼き払いました。民間地域であろうと軍事工場であろうと関係なく焼夷弾で焼きつくしたわけです。第2次世界大戦型の攻撃では、人的・物的被害が非常に大きくなります。
アメリカ軍はベトナム戦争の終結以降、政治的にも技術的にも戦術を変えました。敵となる武装勢力に対して、精密誘導弾などを用いてピンポイント攻撃をするようになったのです。しかしロシア軍はピンポイント攻撃をせず、かつてのように攻撃地域の中を全部抹殺する方法をとっています。だからチェチェンの場合は人的被害が非常に大きいのです。
チェチェンは隅から隅まで爆撃と地上攻撃で破壊されました。大都市、特に首都のグロズヌイは徹底的な攻撃を受け、瓦礫の山となりました。
ロシア軍は村をまるごと抹殺する掃討作戦も行っています。まず軍が攻撃対象となる村を取り囲んで交通を封鎖し、国際赤十字や様々なボランティア団体を全部締め出します。もちろんジャーナリストも締め出します。その後、軍が突入。家を片っ端から捜索し、パスポート・チェックをして、住人を連行したり、その場で射殺します。こうしてチェチェンは、ベトナム戦争終結以降、一定地域における大量虐殺では世界で屈指の地域となりました。
<深刻な人権侵害が起きている>
チェチェン戦争のもうひとつの特徴は人権侵害問題です。
第1次チェチェン戦争以後、ロシア軍は占領とともにフィルターラーゲリを作り始めました。住民を戦闘員と非戦闘員とに分けるため、フィルターにかける強制収容所です。フィルターとは拷問のことです。住民を逮捕・拉致し、監禁・拷問することがシステムとなっているのです。
最初のころはゲリラをあぶり出すことが目的でしたが、だんだん身代金目的で住民を逮捕するようになります。片っ端から家宅捜索して連行する。道路上で、軍事検問所で連れ去る。そして家族に身代金を要求します。少ないものだったら袖の下レベル。アメリカドルで5ドルとか10ドルで返してもらえる。しかし中には5000ドル〜6000ドルといった無謀な額を要求する場合もあります。
指定した期日までに払わないと暴行が始まります。殺された場合でも遺体引取料を払わなければ遺体を返してもらえない。イスラム教徒は死んだら必ずその日のうちに葬らなければいけない決まりがあります。そうしたチェチェンの習慣を悪用してお金を要求する。まるでビジネスのような感覚です。
現在、民衆にとって過酷なのは、チェチェンの政府がロシアの傀儡政権化していることです。2003年頃から、ロシア政府は現地の政権に一部の権限を移譲するようになりました。しかしチェチェン人の警察はロシア軍のやり方をそっくり真似て、同じチェチェン人を逮捕・投獄しています。チェチェンの人々はふたつの敵を相手にしなければならなくなったのです。現在、チェチェンは親ロシア派と抵抗する側とに分裂させられた厳しい状況にあります。
<民主化が遅れるロシア>
◆ロシアでは報道や反体制派に対する締め付けが強まっています
チェチェン問題はロシアの民主化と密接な関係にあります。旧ソ連時代末期、ロシアでは民主化の動きが高まっていました。ゴルバチョフのペレストロイカ以降、91年にソ連が崩壊してロシア連邦になってから民主化の流れはさらに進みます。しかしこうした民主化の流れを阻んだのがチェチェン戦争でした。特に報道統制が強まるのは第1次チェチェン戦争以後です。
第1次チェチェン戦争の時は、一時的に民主化されていたためマスコミもかなり自由に報道しました。ソ連時代、帝政ロシア時代も含めて、ロシアで最もメディアが自由だった時期です。
モスクワに住んでいても、メディアを通じてある程度は、チェチェンでどんなひどいことが起こっているか分かりました。労働団体、野党、市民団体もデモをしたり、ピケを張ったり、ビラまきを行ったりするなど反戦運動を行っていました。次第に市民の間で反政府・反戦の空気が広まり、ロシア政府は窮地に立たされます。軍事的にもチェチェンのゲリラに首都を奪還されて、完膚無きまでに叩かれ敗北したわけです。
第2次チェチェン戦争はプーチン大統領が首相の時に始まりました。プーチン政権が出した教訓は、「戦争遂行のためにはメディアを締め付けろ」ということです。今、ロシアでは真実を書こうとするジャーナリストが殺されたり、人権活動家が弾圧されています。ロシア・ジャーナリスト同盟の話では、ロシア連邦になってから200人以上ものジャーナリストが失踪、あるいは殺されています。その中でも一番多く殺されているのがチェチェンがらみの人々なのです。
昨年10月に殺されたアンナ・ポリトコフスカヤは、チェチェン問題を長年に渡って取材していました。翌月に殺されたアレクサンドル・リトビネンコは、モスクワ劇場占拠事件の疑問点を指摘し、第2次チェチェン戦争のきっかけとなった連続アパート爆弾テロや04年9月の学校人質事件は、ロシアの特殊部隊の仕業だと断定していました。
こうしたロシア政府の強硬手段は、いきなり始まったのではなく段階的に強まってきたものです。最初はロシアの政府系企業が、大手メディアの株を買い占めました。経済的に政府統制下に入れてしまうのです。株を取得すると今度は人事にも介入する。ガスプロムによって買収された新聞イズベスチアの編集長は解任されてしまいました。政府の言うことを聞かない独立系のテレビ局に対しては、筆頭株主を脱税で家宅捜索しています。
政府の管轄下にメディアを置いたといっても、いきなりプロパガンダを流すわけではありません。ただ、どのチャンネルを見てもプーチン大統領が映っている。プーチン大統領が笑いました、プーチン大統領がこうしましたということを延々と流しているだけです。日本のテレビの小泉劇場と同じ構造です。
一方で、インターネットや少部数の新聞で人権問題を流すのは容認します。殺されたポリトコフスカヤがいた「ノーバヤ・ガゼータ」など少部数の新聞などは残しておく。言論の自由があるという「民主主義国家」の体裁をつくるわけです。それがつい最近までの状況でした。
ところが、去年の暗殺事件の前あたりからロシア政府のやり方が凶暴化しています。メディアだけではなく、一般の市民団体などへの締め付けも強まっています。去年の夏にはNGO規制法が施行されました。国内の全ての市民団体に対し、政府当局に再登録を命じたのです。登録にあたっては膨大な書類と監査が必要とされます。全国規模の大きな組織で公認会計士や顧問弁護士を擁する団体だったらなんとかなるかもしれません。しかし普通の小さな人権団体には無理な話です。しかもわずか1ヶ月ぐらいで受付は締め切りとなりました。再登録されなければ正式な団体と認められず活動はできません。
再登録されなかった団体にはアムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなど国際的なNGOもあります。今のロシアではアムネスティですら自由に活動したら、非合法活動になってしまいます。
このような状況の最中にアンナ・ポリトコフスカヤが殺されてしまったのです。殺された翌月の11月、モスクワでは約4900人の大規模な抗議集会が街頭でおこなわれましたが、600人ぐらいが逮捕されました。
<スターリン時代に逆戻り>
◆最近、モスクワで反体制派のデモが弾圧されました
今年の4月に民主的なグループ「もうひとつのロシア」が政権批判の集会を開こうとしました。しかしプーチン政権は、モスクワのプーシキン広場に9000人の機動隊と内務省軍を導入。広場を封鎖し、それでも広場に入ろうとした人たちを片っ端から逮捕しました。政権批判を絶対に許さない、集会さえ認めないのです。
選挙運動に関しても大幅な制限を野党に加えています。例えばリベラル改革派の野党勢力ヤブロコがいます。グリゴリー・ヤブリンスキーが代表ですが、こうした伝統あるリベラル派の政党でも、サンクト・ペテルブルグ地区では選挙登録ができませんでした。日本で言えば共産党が今度の参議院選で選挙登録できないようなものです。
今、プーチン政権の支持率は80%以上です。それだけ高い政権支持率があれば、ひと昔前のロシアだったら反体制派が何を言っても無視していたはずです。にも関わらずプーチン政権が反体制派を弾圧する理由は、おそらく水面下では反政府的な空気があるからでしょう。そもそも80%以上の支持率という数字はどのような調査に基づくものかは分かりません。いずれにせよ、プーチン政権は何らかの危機感を感じるから弾圧を強めていると思います。
ただ、高い支持率は全くのデタラメでもない。人々がプーチン政権を支持する理由は二つあります。ひとつは経済が好況だからです。ロシアは石油や天然ガスなどのエネルギー資源が豊富です。今は石油価格が高値で続いているから外貨が入ってくるわけです。その結果、上層部と中流ぐらいの人までは潤っています。誰しもソ連崩壊後の一番生活が苦しかった時には戻りたくないと思っている。だから今の政権を支持するわけです。
もうひとつの理由は、やはりメディア・コントロールです。政府の管理の下で民衆は真実を知らされていないのです。
<排外的民族主義の高まり>
◆ロシアでは排外的民族主義が強まっています
ロシアには昔からウルトラ国粋主義がありました。帝政ロシアからソ連時代を経てロシアになってからも連綿と続いています。ソ連が崩壊した後、国粋主義的傾向が強まりました。かつての超大国が貧乏になってしまった喪失感から国家にすがろうとしたのです。ナーシというプーチン信奉者の青年団体も組織されています。アジア人を襲うなど、かつてのヒトラー・ユーゲントのような働きをしています。
こうした国粋主義・排外的民族主義の動きとチェチェン戦争とは繋がっています。
昔、ソ連の人権問題を告発していた有名な反体制の物理学者はアンドレイ・サハロフです。彼の奥さんのエレーナ・ボンネルはボストンに住んでおり、第2次チェチェン戦争が始まった時に、アメリカの上院外交委員会で発言しています。
彼女は第2次チェチェン戦争は「ロシアの軍部、KGB、秘密警察、政権中枢部が復讐のためにやっている」と語っていました。
小さなチェチェンに負けたことはロシアにとって屈辱だった。その第1次チェチェン戦争の敗北をもたらしたのは民主主義と自由のせいだとロシアの権力層は考えている。だから民主派・自由民権派に対する憎悪は非常に強いわけです。
昨年は旧ソ連時代の密告法も復活しました。ブレジネフ時代にできた法律ですが、隣人が何か良からぬことを画策している情報をつかんだら、当局に届けなければいけないのです。場合によっては密告しなかった人が罰せられる法律です。
チェチェン紛争とロシアでの民主化勢力への弾圧は続くと思います。プーチンは元々KGBの親玉で、彼が有名になって大統領にまでなれたのはチェチェン戦争のおかげです。彼にとってはチェチェン問題は解決せずに続いていた方がいいはずです。戦争が大規模になることは望ましいことではないが、小規模な紛争状態と占領状態が続いているのは政権にとって都合がいいのでしょう。
しかし歴史上の様々な権力者を見ますと、得意分野で失敗する場合も少なくありません。プーチン政権もチェチェン関連の問題で足をすくわれる可能性があります。日本の安倍政権は北朝鮮問題で足をすくわれるかもしれない。安倍首相も拉致問題以外に何も取り柄がありません。そうした点で二人は似ていますね。
PROFILE▼はやし・まさあき
1960年生まれ。ノンフィクション・ライター。95年から1年10ヶ月、モスクワに住みチェチェン戦争を取材。2001年「ジャーナリストの誕生」で第9回週刊金曜日ルポルタージュ賞受賞。著書『カフカスの小さな国 チェチェン独立運動始末』、共著『チェチェンで何が起こっているのか』など。ブログ「平成暗黒日記」「チェチェン未来日記」
