ひとかけらの良心が変えた社会

 1989年、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁は崩壊した。

 それまで旧東ドイツでは、シュタージ(国家保安省)が社会の隅々に監視体制を張り巡らし、独裁体制を支えていた。統一後のドイツでは、ナチのゲシュタポと同様にその恐怖が語り継がれている組織だ。

 物語りは、シュタージのエージェントを務める一人の男を中心として展開する。弱冠33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマーク監督は、4年にも及ぶ徹底した歴史検証の上にこの作品を完成させた。07年アカデミー・外国語映画賞を受賞し、本国ドイツでは1年以上に及ぶ空前のロングランを続けている。

 ヴィースラー大尉は、劇作家ドライマンを監視するミッションを命じられる。早速ドライマンの屋根裏に盗聴装置を運び込み、監視を始めた。大尉は筋金入りの共産主義者であり、「人民の敵」の撲滅は天職だと考えている。

 ドライマンは恋人クリスタと同棲していた。ヴィースラーは、舞台女優である彼女とドライマンとの性生活まで克明に記録する。ところがすべてのプライバシーを覗き続けるうちに、次第にドライマンの生活から吹き出ている「自由の息吹」に魅せられていくのだ。

 一方で、党官僚が自らの権力を利用してクリスタに肉体関係を強要していることを知り、ヴィースラーはジレンマに突き落とされる。ひたすら自由を希求するドライマンたち。その一方で、正義を語りながら腐敗する共産党。それに付き従って生きている自分の世界とのあまりのコントラスト。ヴィースラーはやるせなさに包まれ、コールガールで紛らわそうとするがますます空しくなるばかりだ。

 そんなある日、シュタージによって創作活動の自由を奪われた劇作家が自殺する。彼は死の直前、『善き人のためのソナタ』と題された楽譜をドライマンに手渡していた。

 親友の悲報を受け、ドライマンは打ちひしがれながら遺書代わりのソナタを弾き始める。屋根裏では、いつものように無表情でヴィースラーが盗聴していた。だが彼の頬には、一筋の涙が流れていた。

 月並みのアクション映画なら、ヴィースラーは変身し「自由の戦士」となり大活躍するかもしれない。だが彼は、あくまでも保身する。しかし、なんとかドライマンたちだけは救おうと盗聴記録のねつ造を図るのだ。

 ドライマンたちは西側の新聞に、東ドイツの異常な自殺者数をリークする計画を立てていた。ここからストーリーは、一気にスリリングな展開になっていく。悲劇的な結末を迎えようとした瞬間、突然ベルリンの壁は崩壊する。統一ドイツでのラストシーンは、観る者に感動を与えずにはおかないが、詳細は観てからのお楽しみだ。

 この映画に、正義のヒーローは一人も出てこない。「正義」を口にするのは、自由を圧殺する共産主義者だけだ。それ以外の登場人物はみな、日々保身に汲々とする。勿論、正義を口にする共産主義者も、本当のところは自己保身に駆られているだけだ。

 その意味では、全員悪への加担者だ。「人、一人として義人なし」。
 しかし、同時に誰もが良心の最後のひとかけらを持っている。一つ一つは小さく無力に見えた良心のかけらがいくつも絡み合って、最後には壁が崩れていく。

 この映画は実は、特別な時代の、特別な社会を描いたのではないと思う。深刻化する環境問題や南北問題には、すべての人間が責任を負っているが、状況はかつての東ドイツ以上に暗い。壁の向こうはまったく見えないが、かと言って正義のヒーローや正義の言説など、誰も最初から信じてはいない。

 それでも粉々にうち砕かれ、散らばってしまった良心のかけらをつないでいけば、もしかしたら…。そう希望を抱かせてくれる映画だ。

                     (虎田五郎)

(1246号 2007年6月25日発行)