日本の援助はジュマ民族を苦しめている

 シシコ・チャクマさんの故郷は、バングラデシュの南東部に位置するチッタゴン丘陵地帯(Chittagong Hill Tracts)だ。

 インド、ビルマと国境を接するCHTには、15世紀から19世紀にかけて様々な民族が移住してきた。現在では言語、文化、宗教が異なる13の民族集団、約60万人の先住民族が暮らしている。ジュマはこうした先住民族の総称で、モンゴロイド系で非イスラム教徒、ジュム耕作(焼き畑耕作)を行う人々だ。

 シシコさんは1971年、CHTのランガマティ県でジュマ民族の一つであるチャクマ族として生まれた。

<「アジアのパレスチナ」から日本へ亡命>

 ジュマ民族は今、存亡の危機に立たされている。バングラデシュ政府は、国民の90%を占めるイスラム系ベンガル人を次々とCHTへ入植させ、ジュマ人の土地を略奪している。

 CHTに進駐している軍は、抵抗するジュマ人を誘拐・投獄し、虐殺することもある。そのためCHTを追われ国際・地域避難民として彷徨うジュマ人は十数万人にも及ぶ。1947年には98%を占めていたCHTのジュマ人の人口比は、95年には51%にまで低下した。ゆえにCHT問題は、「アジアのパレスチナ」と指摘されている。

 とりわけシシコさんの青年時代、1980年代後半には連続して虐殺事件が起きた。ダッカ大学の学生だったシシコさんは、ジュマ民族の権利を守るために活動し、1989年には仏教徒の僧侶が行ったデモンストレーションの首謀者として逮捕された。

 さらに虐殺現場の写真を持っていると公安警察に疑われ、生命の危機に晒された。シシコさんはやむなくインドに逃亡し、1992年9月に来日した。同じモンゴロイドで仏教徒である日本ならば、きっと保護してくれると考えたからだ。

 最初の何年かは、日本語と日本文化を学び、生活の糧を得るだけで精一杯だった。徐々に日本社会になじみ、日本人の友人もできた。日本に暮らすジュマの仲間と共に、ジュマ・ピープルズ・ネットワーク・ジャパンを立ち上げ、ジュマ民族の窮状を訴える活動にも取り組んだ。

 シシコさんは99年、法務省に難民申請を行った。申請は許可されず係争を続けた結果、2003年3月にやっと在留特別許可が下りた。これによりシシコさんははじめて国民健康保険に加入できた。それまでは病院へ行っても保険がなく、ちょっとした病気の治療にもたくさんのお金がかかった。

 シシコさんの在留特別許可は、1年毎に更新される。万一更新日を忘れて入国管理局に出頭しないと、許可は取り消されてしまう。そうなれば最悪の場合収監され、良くても仮放免だ。

 難民申請をしている他の外国人のなかには、突然本国に送還される人もいる。長い間日本に住みついた高齢者でも容赦ない。シシコさんは既に36歳、来日して15年が過ぎた。万一バングラデシュに送還されても生きていく術はないし、迫害が待っているだけだ。それを考えると夜も眠れないほど不安になる。

<国連先住民族フォーラムでアピール>

 昨年年5月15日〜26日までの2週間、ニューヨーク国連本部において、先住民族問題に関する常設フォーラムが開催された。

 シシコさんは日本に亡命したジュマ民族を代表してこのフォーラムに参加し、スピーチを行った。フォーラムでは、10 年以上かけて議論してきた先住民族の権利宣言草案など、国連人権理事会への提言について活発な議論が行われた。

 シシコさんは仕事を休み、自費で渡航費用を賄った。世界各地で同じような境遇にさらされている他の先住民族の活動家たちと交流し、学びたかったからだ。同時に先住民族問題に関して、国連は本当に力になれるのかを見極めたかった。

 5月24日に行ったスピーチのなかで、シシコさんは次のように訴えた。

 「バングラデシュ政府は、CHTにおいて暴力的な民族浄化政策を行っています。この政府を直接、間接に支えてきたのは日本のODAです。日本の援助は、私たちジュマ民族の土地や家屋を奪うために使われているのです。しかも、バングラデシュ政府の迫害から逃れ、日本で難民申請をしている私たちに対して、日本政府が門戸を開こうとしないことは二重の苦しみです」

 フォーラムには日本政府の担当者も参加しており、彼にもペーパーを手渡し挨拶した。「彼はすごくいい人で、私のスピーチに怒ったりしませんでしたよ」と笑うシシコさん。日本からは沖縄やアイヌ民族の代表も参加してアピールを行った。

 日本政府は1981年に、「難民の地位に関する条約」を批准した。この条約で定められた難民とは、「人種、宗教、国籍、政治的意見、または特定の社会的集団に属することなどを理由に、迫害を受けたり、その恐れがあるために、国籍国あるいは居住国から逃れ、帰国できないあるいは帰国を望まない人」を指す。

 難民条約を批准しながら、日本は固く門戸を閉ざしている。2005年における主な先進国の難民認定状況は以下の通りだ。

 フランス―2万2145人、アメリカ―1万9766人、カナダ―1万2061人、イギリス―8435人、ドイツ―2464人、イタリア―907人。これに比して日本はわずか46人だ。昨年の難民認定者はさらに減少して34人しかいない。日本は際立って「難民鎖国」状態なのだ。

 6月20日は、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)が定めた「世界難民の日」だ。現在世界には1500万人の難民が存在するといわれる。シシコさんをはじめ、世界中に存在する難民に思いを馳せ、難民の人権を確立していくための日だ。

 あなたの身近にも、故国を追われ、日本での庇護を求めて暮らしている難民がいるかもしれない。そんな人たちを「不法入国」「不法滞在」と罪人扱いする国に、人権や民主主義が確立するはずはない。

                            (長田武)

2005年12月渋谷で人権パレードに参加

(1246号 2007年6月25日発行)