被災住民に喜んでもらえて本当に良かった 埼玉県ふじみ野市市会議員 小川愛子
私たちが7月25、26の2日間ボランティアに訪れた刈羽村は、柏崎市に隣接する人口約5千人余りの小さな村だ。海側のほとんどを原発サイトが占めている。
今回ボランティア受入れをお願いした村議の近藤容人さんのお宅も被災し、「危険」を示す赤色の紙が貼ってあった。余震が続く中、「夜はとても恐ろしくてこの家で寝る事は出来ません」と語る近藤さん。毎晩避難所で寝泊りしているそうだ。
それでも近藤さんは、防災ヘルメットを被って毎朝4時ごろから村内をパトロールしている。その後災害対策本部の会議に出席し、議員間で情報交換する。さらに自宅の片付けもそこそこに、「ばあちゃん、大丈夫か?」と一日中村内を軽自動車で走り回る多忙な日々を送っていた。
刈羽村でも高齢化が進み、今回の地震で亡くなった方のほとんどは高齢者だった。家が壊れて途方に暮れているお年寄りもたくさんいる。お年寄りに力仕事など出来るわけもないから、ボランティアが切実に求められているのだ。
近藤さんの紹介で最初に支援に入ったお宅でも、おじいちゃんが申し訳なさそうに「若ければ、俺がやるんだが」と語っていた。このお宅では、地震で瓦が剥がれ落ちていた。ボランティアスタッフは屋根に登り、ブルーシートを掛けて雨漏り対策を行った。
余震が続く中、足場のない壊れた屋根に登る作業は危険を伴う。ボランティアセンターは、こんな危険な現場には決して人を派遣しない。だからボランティアを希望する人は大勢いても、本当に必要な所にはなかなか派遣できないのだ。
こんな現状に対して近藤さんは、「仕方ないけど、変な話だね」と語っていた。そこで私たちは、多少のリスクを覚悟で本当に必要とされる現場に入って作業をした。
屋根にブルーシートを掛けた日の夜、叩きつけるような集中豪雨が朝まで続いた。翌朝近藤さんは、昨日のおじいちゃんが「地獄に仏とはこのことだ」と喜んでいたと教えてくれた。これを聞いて私たちも本当にうれしくなった。
村中がいたわり合いながら暮らしているこの村も、原発問題では二分している。村長をはじめ村議会の主流は推進派だ。しかし近藤さんたちは、プルサーマル計画の是非を問う住民投票で明確に反対の意志を示した。この勝利から少しずつ流れが変わったという。
そんななかで起きた今回の地震では、次から次へと重大なトラブルが明らかとなっている。既に刈羽原発は、最低1年間の運転停止は避けられない状況だ。
近藤さんの連れ合いのゆき子さんは、「“すべての原発を廃炉に!”刈羽村生命を守る女性の会」を続けている。「この地震で原発が止まるなら、震災も我慢するかな。万一原発事故が起きていたら、本当に取り返しがつかなかったからね」との言葉が心に残った。
震災の苦労のなかでも、近藤さん夫妻はとても元気だった。近藤さんはとても明るく愉快な人で、「今までずっと、負けてばっかりさ」とあっけらかんと笑っていたが、これまで地道に指摘してきた地震の危険性が、今ほど強い説得力を持つ時はない。
「ボランティアを受け入れたのは初めてなんだけど、良いもんだね。全然知らない人がこうしてやってきて、力になってくれるなんて」
別れ際に近藤さんが語ってくれた言葉に、逆に元気をもらった私たちだった。
