自立的な「活動」と「創設」の可能性を探る

幻冬舎から小説『神聖喜劇』の漫画版が出版された。大西文学と向き合い続け、インタビュー集『未完結の問い』(作品社)の聞き手も務めた批評家の鎌田哲哉さんに、その魅力を語ってもらった。 

 
鎌田哲哉さん

 この春、小説家で批評家の大西巨人さんのインタビュー集、『未完結の問い』が作品社から刊行されました。私はこの本の聞き手を務めています。

 また少し前には、大西さんの長編小説『神聖喜劇』をのぞゑのぶひささんと岩田和博さんが漫画化した作品が、幻冬舎から全六巻で刊行されました。

 そこで今日は、大西さんの文学が我々に現在何を問い、何を促しているのか。この問題を、特に『神聖喜劇』を手がかりとして考えたいと思います。

変革を志す人にこそ読んでほしい

 『神聖喜劇』は、日本語で書かれた近代以後の長編小説の中で一番すぐれている、少なくとも絶えずその地位を争う作品である。私はそう考えます。

 だがそれ以上に、この作品がまぎれもなく「文学」でありながら、同時に「非文学的」な、狭義の文学を無視して「活動」する人々の間に多数の読者を持っている事実、今なお広範な衝撃を与えている事実。私はこれが一層重要だと思うのです。

 今日の日本には、街頭や職場、あるいは学校や家庭で、「このままでいいのか」と自問し、やり方はどうあれ自分の異議を実践的に表現している人々が沢山います。少なくとも、誰もが窒息させられそうな苦しい状況にいて、その状況自体が一人一人にある「覚悟」を迫りつつある。それだけは確かです。そうした「覚悟」を抱く人々に、いわゆる「文学チック」な文学が届かないのは当然です。無関心どころか、端的な侮蔑すらそこでは正当な扱いかもしれません。

 しかし、『神聖喜劇』はそれらと質的に違うのです。それは狭義の文学を逸脱し、その外にでることで自らを生かそうとする「文学」、社会変革を目指す人々にこそ送り届けられる小説だからです。

 逆に言えば、私達がもし「文学」を狭義の似非文学に切り縮め、心を閉ざして『神聖喜劇』まで素通りするなら、それは極めて不幸なことです。それではかえって、私達の方が「外気」を、変革のための大切なヒントを見失いかねないからです。

 しかし、そもそも「すぐれた小説」とは何でしょう。あるいは「すぐれた文学」の試金石、判断基準を私達はどこに求めるべきでしょう。

 さしあたりそれを、私達の大多数がそうである、「読者」の視点で考えましょう。この点について、私は長年、自分勝手だが通用力ある定義を心の中で温めています。すなわち、すぐれた小説とは読者「が」読むのではなく、逆に読者「を」読んでしまう小説のことである、と。

 もちろん、小説は読者が読むに決まっています。しかし、いい小説の場合はそれで終らない、かえって読者自身のこれまでの生き方や考え方全てが試される、徹底的に問い返される、時には躓くことさえあるわけです。

 優れた小説が出現する時、私達にはそれに対応する余裕や準備が殆どありません。もしあれば、そもそも何かが「出現」したことになりません。読者はその時、いわばその小説に「値しない」状態を強いられて、時には全てを理解した、という滑稽な自己欺瞞にさえ陥りながら、時間の試練を通して自分を変える、変えさせられてゆく。その時、「読み方」自体も初めて深化し成長できるのです。

「権利のための闘争」から「創設」へ

 そして、この観点から『神聖喜劇』を見る場合、私達の読み方は三つの段階、ステージを通過しつつある。それらは、同時的に交響し錯綜はするが質的に区別さるべき複数の水準としてある。私はそう思います。

 たとえば第一の読み方、特に小説の刊行直後に流通した読み方は、東堂太郎の超人的な記憶力に魅了され、彼がそれを武器に上官達や帝国陸軍に一人で闘争を続ける。そういう場面を中心に読解を試みています。私はこうした読解を機械的には退けません。「一人の闘争」を「なれあうことのない闘争」、と解する限り、その強調がかえって重要である、とも思います。

 にもかかわらず、東堂の東堂たる所以を、記憶力の強度や気質的な強情張りに切り縮めている点で、この読解にはやはり何かが欠けているのです。小説には超人や悪漢が付き物かもしれないが、だからといって彼らが小説の「全体」ではありません。

 そこで、その制約を越えるものとして第二の読み方が生じます。この読解は、東堂の記憶力ではなく、その戦術である「実定法主義」=合法闘争の可能性に注目します。たとえば、東堂太郎が「知りません禁止、忘れました強制」について異議を申し立てる時、彼は「軍隊内務書」のどの条文が「忘れました」を具体的に規定しているのか、そう上官に問い続けるわけです。

 この時、東堂が戦い勝ちとる事柄は東堂だけに与えられるものではありません。「知りません」と口にする自由の奪回は万人に開かれた権利であり、記憶力その他の個体的属性を問うものではありません。彼はその時、既存の法体系の内部ではあれ不当な権力の行使を制限し、限界はあるが一定の人権を確保して、体系内部に属する全ての人に、行動の予測可能性を確保することに成功したのです。

 のみならず、東堂の「権利のための闘争」が軍隊内部をいかに多事争論の空間に変えるか、戦友達はもちろん、大前田や上官達までがいかに東堂の闘争スタイルに感染してしまうか。読者はその変容の光景を決して忘れることはできないのです。

 しかし、私達は第二の読みを絶対化できるでしょうか。それは作品理解として正当です。さらに、私達が東堂とともに「実定法主義」レベルの読解を続けなければ、第三のレベルの読解をも軽薄で観念的な、現実との闘争の労苦を欠いたものにしてしまうでしょう。

 にもかかわらず、次の事柄に注視すべきです。それは、東堂自身が自らの合法闘争に満足していないことです。めざましい成果をあげながら、彼が自分の闘争は結局、「責任不存在の体系」(=帝国憲法)における「ごまめの歯軋り」にすぎないのではないか、究極的には負け戦の中の闘いではないか。何度もそう自問し、「恐怖」していることです。

 第三の読み方が出現するのはこの時です。それは合法闘争を貶めるためでなく、真に活気づけ生かすために必要なのです。その手がかりは、たとえば「剣ざや事件」において、東堂を含む「食卓末席組」の人々が文字通り末席で顔を突き合せ、真相究明のための共同討議を行う光景のうちにあります。

 ここで生じる多事争論は、第二のレベルに似通ってはいますが、それと質的に違います。それはもう、「軍隊内務書」に依存していないからです。より正確には、吉原その他の敵対者を叩こうとしてかえって相手の手法に染まることをも拒絶した、彼ら自身の「法」に基くものだからです。「食卓末席」はすでに、「人民」が自ら新たに「創設」した法の下での、陪審裁判の空間としてあるのです。

 あるいは、『神聖喜劇』の最も有名な場面の一つ、「模擬死刑の午後」の光景はどうでしょう。そこでは、冬木が「鉄砲は天に向けて撃つ」と主張し、東堂が衝撃を受けつつ冬木を断固支持し、友人達や村崎による連帯の呼びかけが後続し、「非戦」という新しい「法」の波動が全ての新兵に広がるわけです。村上少尉の介入がそれを鎮圧したにせよ、彼らがあの時、既存の秩序内部の闘争とは別個の、妥協の余地なくそれと激突する「創設」の渦中にいたことは確実です。そこでは、事件自体の精神的刻印こそ最も貴重であり、一度それを通過した者は殆ど後戻りができません。それは東堂に限らない。あの空間に立ち会った新兵一人一人が、自分自身の「新しい物語」を抱えて、復員後の生を生きたに違いないのです。

 要するに、『神聖喜劇』には記憶力の闘争や合法闘争に還元できない、私達を新しく生きさせる「活動」=「創設」(アレント)の光景があります。評議会革命の自生的な露頭です。それは、大西さんの他の小説でも同じです。たとえば、「牛返せ」という小説を見て下さい(講談社文芸文庫『五里霧』所収)。この短編の素材は、部落の農民達が戦後すぐ福岡で起こしたユーモラスなデモですが、私達はまず題名そのものに立ち止まるべきです。

 言うまでもなく、「牛返せ」デモは当時の主流ではありえません。シュプレヒコールは全国各地で、「米よこせ」として大規模に、頻発的に叫ばれていたのです。それは五十年代に至っても騒然と続きます。

 しかし、大西さんは「米よこせ」を小説にしなかった。状況的には、そこからの差異として「牛返せ」を発見したはずです。この事実は今なお重大です。たとえば、今日のフリーターが「生きさせろ」と叫ぶ時、それは「米よこせ」デモにとどまるのか、それとも「牛返せ」という剰余を含むでしょうか。

 問題はフリーターだけに限りません。また私は、敗戦直後の餓死の切迫を絶対に馬鹿にしません。何より現状では、「米よこせ」であれ「牛返せ」であれ、一人一人が気軽にデモに飛びこむ習慣をまず身に付けるべきです。――にもかかわらず、「米」は食ってしまえば直ちになくなるのです。私達の自主自律的な生産と再生産が可能になるのは「牛」を返させる時だけであり、その時初めて「米」を作り、新たな「法」をも創設する可能性が開けてくるのです。

 私達は「モッブ」で終るか、それとも「人民」たりうるのか。「騒動」や「暴動」をそれだけで終らせるのか、立体的で奥行きある「内乱」や「創設」に高めることができるのか。『神聖喜劇』は、読者に絶えずそう問いかける小説です。

 大西巨人の問題提起を今日受け止めるとは、あの新しい「法」の波動を促し、逆にそれに促されることで、私達の誰もが自分を一人の「食卓末席組」へと変貌させることである。私は現在、そう考えています。

付記 本稿は、07年5月17日に西南学院大学で行なわれた講演を大幅に加筆の上、抜粋したものです。

PROFILE▼かまだ・てつや
批評家。1963年、北海道生まれ。「丸山眞男論」で第41回群像新人文学賞を受賞。「重力」編集会議参加者。

(1245号 2007年6月10日発行)