環境税で雇用や社会福祉を充実させるヨーロッパ

年金問題は日本の社会保障政策を根底から揺るがしている。格差は拡大しているが、地球環境の危機が切迫するなかで、もはや経済成長を前提とした処方箋は無力だ。環境と福祉を一体に考え、「持続可能な福祉社会」を提唱する千葉大学法経学部教授の広井良典さんに聞いた。

広井良典さん

<世代間格差に支えられた年金制度>

◆年金記録消失が大きな問題になっています

 現在「消えた年金」問題が大騒ぎになっています。オンライン化の過程で過去の手書き台帳を全て処分してしまい、5000万件以上の記録は誰のものか分からなくなり宙に浮いています。この問題は、7月参院選で大きな争点になるでしょう。

 私自身これは大問題だと思いますが、現在の年金制度そのものをどう改革していくのかはより根本的な問題です。今こそ、年金制度についてのきちんとした議論を行うべきです。

 そもそも現在の年金制度は非常に複雑です。歴史的に様々な制度改正を積み重ねてきたこともあり、一般の国民には将来自分のもらえる年金額を算定することはほとんど不可能な仕組みになっています。

 私は大学で社会保障論を教えていますから、授業で年金の計算式を説明します。以前は加入期間と給与水準と定数(給付乗率)をかけ合わせる計算式がありました。この計算式は一応公表されていましたが、ほとんどの国民はその存在すら知らなかったと思います。

 さらに3年前の年金改正で、その時々の人口構成や経済状況によって年金の給付額が変化するマクロスライド制度が導入されました。その結果、従来の計算式では正確な年金額が出せなくなりました。私も授業でどう教えるのか困っています。

 日本の年金制度では、記録台帳の有無以前にそもそも将来自分がもらえる年金額が分からないのです。

◆年金財政は大丈夫なんでしょうか

  報道ステーションで度々「年金の鉄人」として紹介されている一橋大学の高山憲之さんは、年金問題をバランスシートで論じるべきだと訴えています。貸借対照表、つまりプラス、マイナスがどうなっているのかを考える必要があります。

 一言で言えば、これまでの給付で既に大変な額の赤字=負債が生じていて、それをこれからの世代が返済する構造にあります。私と同世代の現在45歳前後の人たちはほぼ境目となり、それより若い人が受け取れる給付額は、自分が支払った年金保険料よりも少なくなります。逆に言えば、上の世代ほど支払った保険料より多くの年金を受け取れます。今にして思えば、余りにも過剰な給付を約束してきたわけです。

 よくマスコミは、年金財源により無駄な施設をたくさん造ったと批判していますが、これらに使われた額は年金の給付額に比べればほんの僅かです。今年の年金給付額は約45兆円で、今後ますます増加していきます。国の予算にも匹敵するような莫大な給付額そのものが、一番大きな問題なのです。

 世間では、団塊の世代は「年金喰い逃げ世代」だと批判されています。彼らが自ら莫大な年金を要求したわけではないでしょうが、上の世代の人たちの莫大な年金を若い世代が負担していく歪んだ構造であることは間違いありません。

<再分配メカニズムの再構築を>

◆日本の社会保障政策の特徴はなんでしょう

 日本の社会保障の特徴は、次の3点にあると思います。

 第①に、給付規模が非常に小さいことです。ヨーロッパ・グループは非常に高い給付水準にあり、日本とアメリカは先進諸国のなかでは最も低い水準です。

社会保障給付費の国際比較

 第②に社会保障給付のうち、年金の比重が非常に大きいことです。年金は53%前後を占めているのに比して、医療や、特に福祉サービスの比重が小さいのが日本の特徴です。福祉サービスのなかでも、子どもや障がい、失業に関連するサービスが特に手薄です。

 第③に、財源に保険と税金が複雑に使われていて制度が分かりにくいことです。

 この3つの特徴のうち一番のポイントは、なんと言っても社会保障の規模が小さいことです。これほど社会保障が少ないのに、日本は最近までアメリカほど格差が広がることはありませんでした。その理由は2つほど考えられます。

 一つは、「インフォーマルな社会保障」、「見えない社会保障」が存在したことです。終身雇用してくれる会社、子育てや介護を一手に担う家族は、社会保障を補完する機能を果たしてきましたが、これは現在流動化しています。

 もう一つは、生産部門を通じた社会保障です。戦後日本の政策を分析すると、社会保障以外の部分が非常に強い再分配機能を果たしてきたことが分かります。ですから日本は、福祉国家と言うよりも、極めて社会主義的な国家だったのです。

 私は、戦後日本の再分配政策は次の4段階を経てきたと思います。

 第1段階は意外に忘れられているのですが、終戦直後の強力な「機会の平等」の確保です。具体的にはまず、農地改革による土地の再分配が行われました。これは当時のソ連が強い意向を示したようで、平時ではあり得ないラディカルなものでした。政府は地主から土地を安く買い取り、それを小作農に配分したわけです。

 もう一つは中学校までの義務教育制度の確立により、教育における「機会の平等」が保障されました。
 土地にしても教育にしても、人生のスタート時における資産、ストックを強力に再分配するこれらの政策は、戦後日本の経済成長の大きな基盤となりました。

 第2段階は、70年代ぐらいまで行われていた生産部門を通じての再分配です。
 例えば地方交付税交付金により、中央から地方への再分配が行われました。所得の低い県に対して優先的に公共事業を振り分けたのは、公共事業型社会保障です。かって通産省は、中小企業や衰退産業に補助金を出していましたし、農業補助金もかなりの額が支出されました。

 まさに日本は、生産部門の内部において「成長の果実」を出来るだけ均等に分配してきたのです。少なくとも70年代ぐらいまでは、こうした社会保障以外の再分配のほうが圧倒的に大きかったのは間違いありません。だからこそ社会保障のレベルが低くても、なんとか所得の平等性が維持されていました。

 この段階ぐらいまでは、再分配メカニズムは比較的上手く機能していたと思いますが、第3段階になると公共事業は本来の役目から離脱していきます。「成長の果実」の再分配ではなく、既得権益を守るための無駄な補助金や事業が横行し、環境破壊が深刻化していきます。私はこれを「公共事業型社会保障」と呼んでいます。

 こうしたなかで第4段階として、小泉改革が登場します。小泉構造改革は「小さな政府」を掲げ、交付金や補助金、公共事業の縮小を行いました。しかし日本はもともと、社会保障部門は「小さな政府」です。それを補完していた生産部門における再分配を止めるのなら、本来の社会保障を充実させなければ格差は拡大する一方です。

 ゆえに格差問題の核心は、構造改革により従来の再分配メカニズムを破壊しながら、政府はこれに替わるものを何も用意していないことです。むしろ社会保障費の削減すら行われています。これにより多くの国民は、再分配も社会保障もない状況に放り出されてしまいました。

 今こそ社会保障による再分配の重要性について、きちんと議論する必要があると思います。

<人生前半の社会保障が必要>
 
◆格差を是正する社会保障政策の方向は

 まず前提的に踏まえるべきことは、現代社会は恒常的に生産過剰、供給過剰に陥っていることです。かってマルクスが指摘したことが形を変えて生起しているのです。

 労働力は余剰なので、先進諸国は慢性的に高い失業率を抱えることになります。そうなると既得権からあぶれた人、新規参入組みの多くはアウトサイダーになります。現在若者の失業やワーキング・プアの問題は、構造的な余剰労働力を背景にしています。

 20代の若者の失業率は一番高いわけですが、まさにリスクは人生の前半から生じています。だから私は、「人生前半の社会保障」が必要だと思います。

 従来生活のリスクは、主に退職以降に集中していました。ゆえに社会保障の対象は主に高齢者でした。現在の社会保障の約70%は年金、介護、高齢者医療などに当てられています。これでは、人生の前半期のリスクを十分にカバーすることはできません。

 しかも、日本は戦後60年に渡ってほぼ同じ社会構造を保ってきました。そのため、家庭や出身地域などによる格差は累積しています。戦後の出発点においては、人生をほぼ同じスタートラインから始めることができましたが、それが現在は根本的に崩れています。したがって人生前半の子どもから青年、さらに30代、40代に至る社会保障が非常に重要なのです。

 今後の社会保障の方向としては、年金は全体として縮小し再分配機能に特化したほうが良いでしょう。現在基礎年金の給付額は40年加入満額で約6万6千円ですが、それを7〜8万前後に高めに設定して税金で賄います。基礎年金以外の報酬比例部分、つまり高い給料の人は高い給付を受けられる部分は民間に委ねます。こうして年金は所得再分配機能、平等な生活保障のための制度にします。報酬比例部分を民間に委ねれば、全体の規模は縮小できます。

 この削減分を、人生前半の社会保障に振り分けるのです。児童手当や、とりわけ低い水準にある教育関連の社会保障を厚くします。さらに私は、30歳ぐらいまでは所得保障を行う「若者年金」も必要だと考えています。

 相続税や土地課税、環境税なども強化し、人生のスタート時における再分配に回すことが必要でしょう。
 人生の出発点において出来るだけ同じスタートラインに立てるようにしなければ、格差は固定化し、若者は希望を失ってしまいます。

年齢別貧困率

左側から年齢0~5/6~18/19~24/25~34/35~44/45~54/55~64/65~74/75~/総数                 19〜24歳の貧困率が急激に上昇しているのが分かる                  

<環境と福祉を一体に考える>

◆一方で環境問題も深刻化しています

 これまで環境政策と福祉政策は別々の文脈で議論されてきましたが、これからはトータルに考えることが必要です。

 そもそも福祉政策は、富の分配に関わる問題です。分配の平等、公平とは何かを議論します。これにたいして環境政策は、人間の経済活動の総量が資源や環境制約との関係で持続可能であるか、つまり富の総量の在り方を問題にします。

 富の総量の問題と分配の問題は、不可分一体の関係にあります。さらに経済、つまり富の生産の問題を含めて、今後はこれら三つを一体のものとして考えていく必要があります。

 その際、経済の限りない成長を前提とするこれまでの福祉政策は、抜本的に見直されるべきです。社会主義もこの点で資本主義、市場主義と同じで、限りない経済成長のなかで福祉を向上させようとしてきました。

 しかし70年代以降環境問題が浮上し、資源や環境の有限性が自覚されるようになりました。同時に脱物質主義、つまり単に物が豊かになることでは幸せになれないと感じる人が増えています。こうしたなか、経済成長を前提としない福祉の在り方、豊かさの中味が問われるようになっています。

 勿論、経済成長を前提にしなければ、労働者の賃金上昇も望めません。ここで議論が起きると思いますが、一番分かりやすい例は、ドイツにおける社民主義と緑のグループとの論争です。

 当初社民党は、限りない賃金上昇があってはじめて福祉が成立すると主張しました。これに対し緑の党は、限りない経済成長や賃金上昇を前提としない豊かさや福祉は可能だと批判し、一端社民党の左派グループから分離したのです。

 しかし議論を経る中で98年に再度、社民党と緑の党の連立政権が実現し、環境と福祉を両立させる政策や社会ビジョンを提示しました。

 日本でも、経済成長を前提にしない持続可能な政策を掲げる政党なり政治グループが、もっと出てきても良いと思います。

◆ヨーロッパでは環境税が普及しています

 ドイツをはじめヨーロッパの多くの国は90年代以降環境税を導入し、その税収を社会保障、福祉に充てる政策を採用してきました。

 ドイツでは98年に社民党と緑の党の連立政権が誕生し、99年にエコロジカル税制改革が行われました。環境税を導入することで、環境負荷を抑制して環境を保全する。その税収を年金に充て、福祉の水準も維持する政策です。実際にドイツの年金保険料は引き下げられました。

 年金保険料を引き下げれば、保険料負担が軽減する企業の国際競争力は高まります。また企業は人を雇い易くなり、失業率も改善します。まさに環境、福祉、経済、雇用を複合させた政策なのです。

 何よりこの政策の興味深いところは、労働生産性から環境効率性へのパラダイム・シフトをコンセプトにしていることです。

 高度経済成長期は、人は足りなくて資源は余っていました。その場合、資源は浪費しても人手はできるだけ少なくしたい、つまり労働生産性が重要でした。ゆえに労働に税をかけ、できるだけ少ない人手で生産するインセンティブを企業に与えたのです。

 現在はまるで逆の状況で、人は余っているのに自然資源は足りません。この状況では、人手はいくらかけてもよいから自然資源をできるだけ浪費しない生産が求められます。つまり労働にではなく自然資源消費に税をかけることが、環境効率性を高めるインセンティブになるのです。

 私はこうした税制改革を、日本でもぜひ導入すべきだと思います。そうすれば、これまで所得税、法人税中心だった社会保障の財源は、今後消費税や環境税で賄えます。土地への課税も、環境や再分配を考える上で重要になってくるでしょう。

 総じて、税制や社会保障を含めた財政政策全般は、フロー中心からストック中心へパラダイム・シフトすることが求められているのです。

<コミュニティの再生を目指して>

◆政策を支えるコミュニティーも必要ですね

 現在の日本社会では、自殺者が年間3万人を超え、過労死やいじめなどが後を絶ちません。これは従来の「人と人との関係性」が、今や完全に行き詰まりつつあることを示しています。

 日本社会の問題点として以前から指摘されてきたことでもありますが、集団の内と外を区別し、内側に向かって閉じようとする日本人の「人と人との関係性」を変えていくことが問われていると思います。

 戦後日本では、人々が農村から都市へ大移動しました。しかし、都市で作られた「人と人との関係性」は、それまでの「農村型の関係性」と同じものでした。会社や家族が典型ですが、都市の中にかなり自己完結的で閉鎖的なムラを作ったのです。

 経済成長期には、それぞれの閉じたムラは競争し合いながらも、全体としてはパイが大きくなりました。そのためそれぞれのムラは、ある種のセーフティネットになり得たと思います。

 しかしこれだけ経済が飽和しているなかで、これ以上「農村型の関係性」を維持することは困難だと思います。本来、農村から都市に移ってきた際に向かい合うべきだった課題に、現在の日本人は直面しているわけです。

 この問題を解決していくためには、個人がしっかり自立した上で新しいネットワークを作っていくことが必要です。その際に作られるネットワークは、集団の内と外をはっきり区別して集団思考するようなあり方ではなく、他者に対して開かれていることが肝心です。

 個人が共同体のなかに埋没することなく、新しいコミュニティをいかにして創造していくのか。私はそれを、「農村型の関係性」から「都市型の関係性」への「人と人との関係性の組替え」と呼んでいます。

 マルクスではありませんが、人と人との関係性は社会構造の変化のなかで自ずと変わっていくものです。つまり従来の日本人の関係性は、稲作を中心とした社会や生産に適した関係性として定着してきたものです。

 しかしほとんどの人たちが都市に住み、経済成長も行き詰まるなかで、従来の関係性は持続不可能です。その矛盾の大きさにやっと多くの人たちが気づきはじめています。おそらくこの問題は10年から20年ぐらいのスパンで考えていくべき問題だと思います。

<グローバル定常型社会を展望しよう>

◆グローバリゼーション化する世界経済も無視できません

 定常型社会は一国では完結しません。グローバルレベルで定常型社会を展望していくことが問われています。

 既に述べたように、現在の先進資本主義諸国は基本的に生産過剰、供給過剰に陥っています。これを解決するには二つの方法しかありません。

 一つはアメリカが典型ですが、海外に市場を求めることです。BRICs(ブリックス)などの経済成長に寄生する、便乗してそこから利潤を得る方法です。

 これとは別に、内部で循環する経済をつくる方法があります。ヨーロッパは比較的後者の道を選択しています。内部で経済を循環させるためには、そもそも生産過剰なわけですから何らかの意味で労働時間の削減を行わなければいけません。賃金労働時間を削減し、それによって生まれた時間をコミュニティでのボランティアなど、非市場経済的な部分に再分配していくわけです。当然私としては、日本も後者のモデルを追求していくべきだと思います。

 グローバル定常型社会を構想する上では同時に、かって従属理論などで問題とされた不等価交換論についても研究する必要があると考えています。たとえグローバルレベルで世界が定常化しても、分配の問題は残ります。

 先進国から途上国への再分配を議論する際、現在の市場経済の問題点、とりわけ不等価交換について議論することが必要です。かってフランクやアミン、エマニュエルなどが論じ、最近では世界システム論のウォーラーステインが問題にしています。

 これまでの不等価交換論は、どちらかといえば先進国と途上国の賃金格差に着目してきました。私はこの問題の根本には、自然資源の価格に関する不等価、不平等が存在すると考えています。現在の市場経済は、「自然の価格」を本来の価格よりも不当に低く評価する構造を持っているのではないかと考えています。

 社会構造のピラミッドを下から〈自然―コミュニティ―市場経済〉として考えた場合、時間のスパンはそれぞれの階層で異なります。市場経済は極めて短期のスパンであり、コミュニティは少なくとも何十年スパン、自然は何百年スパンです。市場経済の時間では、コミュニティや自然に関わる長期の時間を十分に評価できず、当然にも何世代に渡る持続可能性を展望することはできません。

 既にCO2排出による地球温暖化を防止するために、炭素税が導入されています。何十年というスパンでしか現れない気候変動のリスクは、市場経済で正しく評価することはできないからです。

 ゆえに私は、不等価交換の問題を賃金や労働の問題としてではなく、もっとベースにある自然に結びつけていくことで、今後グローバルなレベルでも福祉と環境の統合を展望していきたいと思います。     

PROFILE▼ひろい・よしのり
1961年岡山県生まれ。東京大学大学院修士課程終了後、厚生省勤務を経て96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。著書は『ケアを問いなおす』『死生観を問いなおす』(ちくま新書)、『生命の政治学』『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』(岩波書店)、『日本の社会保障』『定常型社会』(岩波新書)など多数。

(1247号 2007年7月10日発行)