世界が笑ったジャパニーズ選挙スタイル 『選挙』監督想田和弘さんに聞く
自民党の「勝利の方程式」にもほころびが見えている
今年のベルリン映画祭で絶賛されたドキュメンタリー映画『選挙』。話題沸騰のなか、日本各地でも上映が開始されている。監督・製作・撮影・録音・編集を手がけた想田和弘さんに聞いた。
<民主主義の基本は選挙>
◆なぜ「選挙」をテーマにしたドキュメンタリーを
現アメリカ大統領ジョージ・ブッシュとアル・ゴアが争った2000年のアメリカ大統領選挙がきっかけです。
僕はニューヨークで暮らしていますが、当時フロリダでの再集計をリアルタイムで見ていて疑問が湧きました。それまでは、有権者が一票を投じたら正確に集計され、結果が自動的に出てくるのが選挙だと素朴に信じていたからです。
しかし民主主義の土台となる選挙システムそのものが、政治とは無縁ではないと痛感しました。そこから選挙を題材にしたドキュメンタリーを撮りたいと考えはじめました。
5年後取材で日本を訪れようとしていたところ、大学時代の同級生である山さん(山内和彦さん)が自民党から立候補すると聞き、「これだ!」とピンときました。自民党は戦後50年間、ほぼ絶え間なく日本を支配してきました。いわば選挙で勝ち続けてきた政党です。その勝利の方程式を明らかにすることで、日本の民主主義のありさまも見えてくるはずだと考えたのです。
そもそも議会制民主主義では、有権者は選挙権を行使することで間接的に政治に参加します。逆に言えば、一般の人にとって選挙以外で政治に参加する機会はなかなかありません。
現在日本では、自民党、公明党の連立与党が議会内で多数派を占めていますから、安倍政権は国会で重要法案を次々と成立させています。教育関連3法や国民投票法などです。
これに対して様々なかたちで反対運動が起きていますが、僕はこうした闘いはすでに決着がついていると考えています。反対派がいくら「教育基本法改悪反対!」と叫んだところで空しいのではないかと思うのです。
なぜなら、現国会の多数派は前回の選挙によって形成されました。選挙で国民に選ばれた人たちが多数決によって法案を議決しているのです。ですから、反対派の人たちは勝負がついた後に叫んでいるようなものです。
僕は、民主主義システムの一番重要な場面は〝選挙〟だと考えています。だからこそ、このドキュメンタリーを通じて日本の民主主義の姿を炙り出したかったのです。
<地縁・血縁を重視する自民党>
◆映画の主人公「山さん」は自民党組織と全くかみ合いません
山さんは、2005年10月に市議会議員選挙に立候補しました。
この映画は、10月7日から投票日の23日までのわずか2週間で撮影しました。監督・撮影・録音を兼ねてすべて僕一人で作業しました。移動用の車もなく、度々山さんの車に同乗させてもらいました。
山さんは学生の頃から自分のことを「山さん」と一人称で呼んでいました。自由人で変わった人なんです。僕は山さんが主人公でなければ、この映画は撮らなかったでしょう。
山さんが自民党公認候補として出馬するのはあまりにもミスマッチでした。僕自身、一体全体どうなるのかと興味があったからこそ撮影したのです。
最初から自民党に順応している人だったら、何の問題も起こらずスムーズに選挙運動が行われるだけです。山さんと自民党の人たちがかみ合わず、互いに違和感があるからこそ様々な出来事が起きるわけです。
自民党にとっては、山さんは異邦人・宇宙人です。突然宇宙人が入ってくることで、その組織の特徴が浮き彫りになります。山さんが怒られれば怒られるほど、怒る側の自民党の戦略や、彼らが大切にしている価値観が表出します。
その典型は、山さんに妻を「家内」と呼ばせ、なおかつ妻に仕事を辞めるよう促したことです。「家内」なんて私たちの世代では使わない言葉です。
しかし自民党内では、「家内」と呼ばせた方が有権者に支持されると考えられています。自民党は保守政党ですから、当然支持する人たちも日本の伝統的な考え方・価値観を大事にする人たちです。彼等にアピールするためにあえて保守的な言葉を使うのは、考えてみれば当然の戦略です。
こうした点を含めて、映画では自民党の支持基盤が見えるように心を砕きました。支持基盤は老人会、町内会、近所づきあいの延長線上にある地域共同体です。自民党は、こうした地縁・血縁を組織票として固めることを重視しています。いつも自民党を支援してくれる人をコアターゲットにし、そこをきちんと掌握する戦略です。外に向けてアピールするよりも、組織内部の人心の取りまとめや調整が大切なのです。
自民党の支持基盤の強さを見る一方で、支持層は高齢化していると感じました。その意味で「家内」は、高齢化による一般社会とのズレを象徴するキーワードです。永らく組織票に頼ってきた自民党は、大きな転換期を迎えているのかもしれません。
◆ベルリン映画祭で日本型「選挙」が話題となりました
白い手袋してたすきをかけ、選挙カーで回りながらウグイス嬢が連呼する。こうした〝選挙〟の風景は、欧米にはありません。ビジュアル的にも、演説の内容にしても欧米の人にとってはカルチャー・ショックです。
例えば山さんが「私は政治の素人ですが」と演説する。この場面でどっと笑いが起きます。欧米で候補者が自分のことを「政治の素人です」なんて言えば、政治的な自殺行為です。ところが日本では「謙譲の美徳」という考え方もあり、むしろそれが好ましく聞こえたりするわけです。
あるいは、聴衆が誰もいないのに、昼間の閑散とした団地の建物に向かって演説する山さん。誰も聞いていないのに、一体全体誰に向かって演説しているんだと、欧米人には理解できない行為です。日本には「誰も聞いてなくても一生懸命演説する姿が胸を打つ」という精神主義的な価値観があるわけですが、異文化の人間にはそれが滑稽に見えるわけです。
ただし、そんな山さんをあざ笑う感じではありませんでした。一旦は笑うけれども、「自分達の民主主義の程度はどれほど日本と違うのだ」と内省的に振りかえる論調もありました。
ですから、「私たちは民主主義のありがたさや価値を忘れがちだが、改めてそれを思い起こさせる映画だ」との評価も受けました。皮肉もあるでしょうが、「人の振り観て我が振り直せ」といったニュアンスが込められています。
<思いがけない事が起きるから面白い>
◆これまでの作品は主にNHKのドキュメンタリーですね
僕はこれまでにNHKの番組を40本以上撮ってきましたが、『選挙』をNHKの番組として製作するのは無理だったでしょう。NHKは不偏不党・中立性を掲げており、それに抵触しそうな恐れのあるテーマは徹底して回避します。「君子危うきに近寄らず」です。
僕は「虎穴に入らずんば虎児を得ず」がポリシーですから、難しいテーマは自己資金でやるしかないと決意し、作品を発表する場も劇場を目指しました。
テレビと劇場は発想が違います。劇場で公開する場合、わざわざお金を払うお客さんを呼ばなくてはならない。だから少しとんがった話題の方が興行的な成功を見込めるわけです。
一方テレビは、特に公共放送は、とんがっている題材はなにかと問題になります。だから何事も当り障りのないことが大事なんです。そういう意味でテレビは保守的ですね。
幸い『選挙』は短縮版を世界26カ国で放送する予定で、イギリスのBBC、アメリカのPBS、アルジャジーラでも放送します。そのうちNHKでも放送するかもしれませんね。
◆『選挙』撮影で特に重視したことは
僕はドキュメンタリーにおいては、撮影者が水か空気のような存在になるのが理想だと考えています。そのためにはできるだけ少人数で撮ることが必要です。
通常ドキュメンタリーを撮る際、4〜5人のスタッフが付きます。カメラマンがいて、サウンド担当がマイクをかざし、照明担当もいる。けっこうな大所帯で被写体を取り囲んで、「さあ自然に振る舞ってください」と要求しても無理な話です。ですから今回は僕一人で撮りました。被写体がこちらを意識しないように、質問もしませんでした。
加えて、あえて長回しで撮りました。普通のドキュメンタリーではたくさんのスタッフを使うので撮影に時間がかけられません。必要なシーンをなるべく短時間で撮って、あとはナレーションで説明します。
また、普通ドキュメンタリーでも、シナリオがあり、一つ一つのシーンをどう撮るか、誰が何を言うか、エンディングまで全部決まっています。「こういう理由からこのシーンが必要だ。だからこういう会話を狙って欲しい」と身構えます。
しかし僕は、長回しするなかでどんな会話、事件が起きるか分からないのが面白いと思います。勿論、2時間撮っても全然面白くないこともありますが、思いがけない事が起きる可能性もあるからです。だから今回、シナリオは一切用意しませんでした。
<激動期だからドキュメンタリー>
◆だから『選挙』は観察映画なのですね
「観察」には二重の意味があります。一つは、僕自身が先入観抜きに虚心坦懐に現実を見つめ観察し、それを映像として構成すること。二つ目は、できあがった映像を観客が能動的にあれこれ考え観察しながら観ることです。
テレビにしろ映画にしろ、最近巷に溢れている映像は、作る側は懇切丁寧すぎるし、観る人は受け身すぎると思います。作り手はテロップや音楽、グラフィックなどで映像を飾り立て、ギフトラッピングのようにして差し出す。観る方はただそれを消費するだけ。そんな状況に不満を感じていました。
受け身として消費するのではなく、もっと能動的に経験して欲しい。だから説明的要素は一切省きました。『選挙』ではナレーション、テロップ、音楽はありません。観る人自身が体験し、能動的に観察し、考えて欲しいからです。
ナレーションのあるドキュメンタリーは、ガイドのいる旅行に似ています。ガイドがいると効率良く名所が回れ、得した気分になります。しかしその体験は、それほど深く印象に残らない。
これに比して自ら地図を広げ、自分の足で旅する個人旅行の場合、効率は悪いがその分記憶に残ります。新しい土地で、地下鉄やバスにどうやって乗るのかなど、一つ一つ悩みながら旅行するからです。
『選挙』が観客に意図しているのは、後者の個人旅行です。まとまって情報が提供されないので一見すると効率は悪いが、後々まで記憶に残る。そうした期待を込めて作った映画です。
僕は、ドキュメンタリーにとって一番大事なのは「発見」だと考えています。撮った後に、自分の価値観や世界の見方が変わらないドキュメンタリーは撮りたくありません。最初から自分の中にあるものを撮りたければ、フィクションを撮ればいいのです。
だからこそ、今回はシナリオのないドキュメンタリーにこだわり、編集作業の時も一見ストーリーとは関係ない「無駄な」シーンを大事にしました。私が作り手として発見したものを、映像を通して観る人にも発見してもらいたいと思います。
◆今後もドキュメンタリーを撮りますか
僕は今までにフィクションの映画も撮っています。今後も、題材によってはフィクションでアプローチしていこうと思っています。
しかし『選挙』が話題となったように、今はドキュメンタリーが面白い時代だと思います。世界の映画作家たちはドキュメンタリーに興味を持って、次々と新しい作品にチャレンジしています。
社会が激動期にあり、人間の意識も大きく変化しつつあります。現実の社会に目を向ければ、フィクション以上に面白い素材がたくさんあるのです。まさに、「事実は小説より奇なり」です。
映画史的には第二次世界大戦直後、イタリアン・ネオ・リアリズモと呼ばれるジャンルが勃興しました。戦後の困窮した状況をフィクションで描いたのです。当時はカメラなどの機材が軽量化しておらず、ドキュメンタリーを撮るのは大変でした。ですから、フィクションを撮影する形態をとらざるを得なかったと思います。
現在はカメラは軽量化し、編集用の機材も手軽に手に入ります。高価なフィルムを買わなくても、何時間でも撮影が可能です。フィクションを作るより、街に出て様々なテーマを撮った方が手っ取り早いのです。
今の時代は、イタリアン・ネオ・リアリズモが勃興した時代状況とすごく似ていると感じます。これからも意欲的な作品にチャレンジしていきたいですね。
PROFILE▼そうだ・かずひろ
1970年、栃木県生まれ。東京大学文学部宗教学科を卒業後、93年からニューヨークに在住。フィクション映画やドキュメンタリーを制作。97年、短編映画『ザ・フリッカー』がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞にノミネートされる。『選挙』は劇場用長編ドキュメンタリー第1作目。今年のベルリン映画祭へ正式招待された。
