教育が社会をおおいつくすタイプの全体主義が迫っている 内藤朝雄さんに聞く
右でも左でもないリベラリズム勢力が必要だ
教育基本法改正を受け、教育関連3法案も衆議院で可決された。これにより義務教育の目標に、「我が国と郷土を愛する態度」が盛り込まれる。『いじめと現代社会』(双風舎)などを通じて、日本の全体主義化に警鐘を鳴らす明治大学准教授内藤朝雄さんに聞いた。
<若者は決して凶悪化していない>
◆最近福島県会津若松で、高校生が母親の首を切断して警察に自首する事件がありました。
こうした青少年の凶悪犯罪が起こるたびに、マスコミは大騒ぎします。
そして多くの評論家は、「最近の若者は社会性を失っておかしくなっている」とか、「以前に比べて若者の犯罪は凶悪化した」などと実に無責任なコメントをします。
私は「いじめ問題」を通じて青少年の実態について調査してきましたが、具体的・客観的なデータは逆の事実を示しています。警察統計における殺人と強姦の発生件数を凶悪化の指標として考えた場合、青少年は凶悪化しているどころか、以前よりずっと優しく、穏やかになっていると考えることができます。
実際全共闘時代には、ゲバ棒や鉄パイプで暴れ回り、大学を破壊した若者が大勢いましたが、今の大学生はそんなことをしませんよね。
にも関わらず、当時さんざん暴れた現在の年配者たちは、今の若者を凶暴な肉食獣の典型のように描こうとします。とりわけ視聴率を稼ぎたいマスコミは、出来るだけセンセーショナルに報道することで誤てる若者像のでっち上げに一番寄与しています。
こうした青少年ネガティブ・キャンペーンを最大限悪用して、安倍政権は愛国心教育などの教育改革を強引に進めています。若者に社会性を身につけさせると称して、まるで徴兵制まがいのボランティアの強制などが行われようとしているわけです。
これは個人主義を叩き潰し、全体主義的な生活様式を若い人たちに押し付ける動きです。教育改革を声高に叫ぶ人たちは、若い人たちを集合的な身体にしたいのです。それによって若者が「浄化」されるとデマを流布しています。
例えば教育現場では、集団で農作業させることが奨励されています。ナチスにしろ毛沢東にしろ、個人主義は人間を腐敗させると脅迫観念を抱いていました。毛沢東の文化大革命や下放政策は、農作業を通じて人間を集合的身体と化す全体主義的な情熱に突き動かされていたと思います。
さすがに現在の日本では軍隊に入るわけにはいかないので、ボランティアの美名の下に農作業に従事させて若者を「浄化」するのが狙いです。そのために、今回のようにごくまれにしか起きない事件を取りあげて、「近頃の若いやつらはおかしい」とキャンペーンして人々の不安を煽り立てるのです。
こういったことについては、『いじめと現代社会』(双風舎)で詳しく述べましたので、御参照ください。
<「いじめ問題」と全体主義>
◆「いじめ問題」は後を絶ちませんが。
私が研究している「いじめ問題」は、日本社会の全体主義化と不可分一体です。
全体主義的パラダイムに囚われている人にとって、人間が個人として幸福を追求することは社会がバラバラになることを意味します。ですから、個人は全体の為に尽くすことで真の幸福を得られると主張するのです。
例えば彼らにとって体の一つ一つの細胞は、より崇高な全体性である生物個体のために存在します。ゆえに個体が生きるために、邪魔な細胞は切り捨てます。全体性が存続すれば、切り捨てられた細胞も本望だと考えるのです。
全体主義者は、個人と社会のイメージとして、こうした美しい物語りを描きたいわけです。崇高なる全体性は、戦前の右翼にとっては国体であり、左翼の人たちにとっては共産主義社会です。どちらも一人一人の存在を超えた集合的生命として、国家や民族、社会を考えています。
言うまでもなく、こうした考え方に支配された社会は、非常に息苦しい社会です。江戸時代の大奥のように、逃げ場がなく、他人との距離を自由に調節できない閉鎖的な空間にはいじめが蔓延します。これは人類普遍の「いじめの原理」です。
日本社会のあり方を反映している日本の学校では、生徒たちの生活を強迫的に囲い込んで、ありとあらゆる「かかわりあい」を無理強いします。
このような閉鎖的生活空間では、「他人から悪く思われたら、自分の運命がどうころぶかわからない」との脅迫観念が増大します。生徒はたえず他者の目を気にしながら、迫害したり、迫害されたり、悪意をもったり、悪意をおそれたりします。
つまり日本の学校は、「迫害可能性密度」の高い生活空間です。ここで生活していると、自己は根本から別の存在に変えられてしまいます。人間性を変える連鎖は、仲間内だけの小社会を生み出すのです。
◆「いじめ問題」の解決の鍵はなんでしょう。
私は、リベラリズムに基づく政策により解決は可能だと思います。
「いじめ問題」に限らず、構造的な力関係による人格的な隷属を阻止するポイントは、その集団の外部から制度的に介入できる仕組みを張り巡らせることです。学校・会社・家族・地域社会・宗教団体・軍隊などにおいて個人の自由と尊厳を確保するためには、仲間内の自治だけに頼るのは危険です。
問題は、学校における「いじめ」だけでないのです。私は戦前・戦中の国家全体主義は、戦後は中間集団全体主義として形を変えて生き続けてきたと考えています。
例えば日本の会社や職場組織には、家族ともども従業員の全生活を囲い込み、生活のすみずみまで隷従を強いる傾向がありました。企業は従業員を学童のように扱い、プライバシーに深く立ち入った「生活指導」を行ったのです。家族ぐるみで会社に隷属する社宅での生活などはその典型です。最近、そのような傾向が衰退してきたのは、喜ばしいことです。
最も重要なことは、他人に特定の生のスタイルを無理強いせずにはおれない歪んだ情熱と、生活環境の利害図式(特に権力図式)が構造的に一致するチャンスを社会全域から無くすことです。
具体的には、①人々を狭い閉鎖空間に囲い込むマクロ条件を変えて、生活圏の規模と流動性を拡大すること、②公私を峻別し、心や態度を問題にしない、客観的で普遍的なルールによる支配、が求められます。
つまり、次のようなタイプの人には都合が悪い社会にするのです。自分を中心とした勢力の場に他人を巻き込んでコントロールし、強大なパワーを感じたい人。人間はかくあるべきだとする「共通善」を思い込んでいて、これに反する人々が存在すること自体が耐え難い人。こういう人たちが跋扈する社会は、決してリベラルとは言えません。
もちろん、国家権力や集団による人権侵害、また天災などに際して、自治的な団結が求められる局面はあります。しかし、組織や集団の私物化的な運営や、派閥支配のための自治を許してはいけないと思います。こういったことについては、『いじめの社会理論』(柏書房)で詳しく論じましたので、御参照ください。
<右派も左派もイデオロギー過剰>
◆日本にはリベラリズムが定着しませんね。
冷戦崩壊後十数年たった今でも、日本では右派と左派の対立図式が続いています。
特に政治的な発言をする「知識人」層は、まるで源氏と平家のように右派か左派のどちらかの陣営に属しています。彼らは「所属の論理」で思考するがゆえに、しばしば一般人よりも愚かなことを平気で主張します。
例えば、「かつての侵略を認め謝罪する」=トピックA、「北朝鮮を危険な存在とみなして外交・防衛戦略を練る」=トピックBとしましょう。
日本の安全保障戦略は、トピックAに賛成し「かつ」トピックBにも賛成するコンビネーション政策が一番妥当だとするとどうなるでしょうか? 現状では右派がトピックAに反対でトピックBに賛成、左派がトピックAに賛成でトピックBに反対です。
結果として右派が政権をとっても左派が政権をとっても、国民は安全保障上のリスクに晒されます。そして正解を主張する者は、右派からも左派からも憎まれて、発信するチャンスや政治的影響力を奪われて「干され」てしまうのです。
つまり右派も左派も現実の矛盾に向き合っているのではなく、最初から決めている信念や論理から天下り式に考えているに過ぎません。だから人権が大嫌いなはずの右派が北朝鮮政府を加害者とする拉致被害者の人権擁護を声高に叫び、「人権派」を自認する左派は無視し続ける不思議な事態も起こるのです。
こうして右派と左派は、公論の場(public arena)を、「われわれとやつら」の論点抱き合わせセットで独占してきたのです(図参照)。この歪んだ構造は、政策決定に致命的な欠陥となります。
私は、「われわれ意識」で「われわれ思考」してきた右や左の年配者の方々にはそろそろ引退してもらって、特殊日本的な「右と左」の冷戦型思考から自由なタイプの研究者こそが新聞やテレビで発言すべきだと思います。
<自民党主導の改憲は危険だ>
◆安倍政権になって右傾化がさらに加速しています。
現在の教育基本法や日本国憲法には欠点があるかもしれませんが、右派のヘゲモニーの下で改正させてはいけないと思います。さもないと「愛国心」や「人間の良い生き方」について、今まで以上に公権力が介入してきます。
間違ってならないことは、日本は独裁国家ではなく全体主義国家に向かっていることです。かつての南米諸国のように独裁者がいても、人々の日常生活が国家的共通善への献身に動員される傾向が少ない場合は、全体主義社会ではありません。
例えば江戸幕府は徳川家による独裁でしたが、町民や農民に徳川家の「葵の旗」を掲揚しろとか、徳川家の歌を歌えと強制はしませんでした。庶民は関係なく生きていたわけです。
今安倍政権が進めている全体主義化は、独裁よりもはるかに人間の自由を奪います。既に教育現場では、かって共産主義政権が生活現場にスパイ網を張り巡らしたのと同じ事態が起きています。
どれだけ国歌を真面目に歌っているかなど、生徒の態度や心のあり方を評価しています。指導要領に従わない先生や生徒には学校ぐるみで嫌がらせを行い、懲戒免職などの不利益を与えています。
既に石原都政が行っている強引な愛国心教育が、今後会社や地域社会でも強制されてくる危険性があります。祝日には、「ちゃんと日の丸を挙げたか」と互いにチェックし合う社会です。
特に右傾化に貢献しそうで、知的水準の低そうな人たちばかり選りすぐったと思われる教育再生会議などを見ると、母乳のあげかたとか、テレビの見かたとか、観劇のしかたとか、各家庭の生活様式に細かく国家が干渉しようとしたがる傾向を見せています。ほとんど慶安のお触れ書きです。
これ以上タカ派が強くなると、日本は、教育が社会を覆い尽くすタイプの全体主義になっていきます。教えて治に至る社会です。
このことについて、『いじめと現代社会』(双風舎)で詳しく論じ、警告を発しました。お読みください。
この本は、わたしの希望としては「右でも左でもないリベラリストの独立勢力を――教育が社会をおおいつくすタイプの全体主義に抗して――」といったタイトルにしたかったのですが、諸般の事情で、「いじめと現代社会」になりました。 内容的には、前者が示すようなものになっています。
◆7月に参議院選挙が行われます。
私は、今度の選挙で自民党と民主党のタカ派を落選させないと、日本は後戻りできない状態にころげ落ちる可能性があると危惧しています。
戦後日本では一貫して右傾化への動きがありましたが、ギリギリのところで修復力が働いてきました。今ならまだ、日本人の大多数はタカ派が嫌いです。きちんとした闘い方で右派勢力、タカ派勢力を選挙で落とせばなんとか助かります。
その際大事なことは、右派でも左派でもないリベラリストの独立勢力を形成することです。右派と闘うためには、全体主義に呪縛された左派とも旗幟を分かつべきです。その意味で共産党に期待することはできません。
民主党に期待するしかないんですが、一方で左派に引きずられ、他方でタカ派勢力が党内に巣食っています。タカ派に対するスタンスが曖昧なままでは、民主党はどっちつかずのマニフェストしか作れません。だとしたら、石原慎太郎に負けた浅野史郎と同じ道を辿るでしょう。
私は、民主党は「タカ派にノー!」をスローガンに選挙に打って出るべきだと思います。これ以上タカ派が政権を占めれば、具体的にどれだけ困った事態が生じるのかを明らかにすべきです。
安倍首相をはじめ、自民党を乗っ取ったタカ派の過去の発言を暴露し、これに対して他の先進諸国の基準を対置するのです。フランスでこんなことを言ったら極右と見なされ、ドイツでは政治生命はおしまいですと暴くわけです。
アジア諸国への過去の侵略や残酷行為すら否定し、A級戦犯を擁護する安倍政権では、日本は国際社会の信頼をかちとることはできません。アジア諸国との友好関係も築けません。
とにかく日本は今、重大な曲がり角に来ています。右でも左でもないリベラリズム勢力の陣形を一日も早く築くべきだと思います。
PROFILE▼ないとう・あさお
明治大学文学部教員、京都大学大学院非常勤講師(2006)、立教大学非常勤講師(2007〜)。著書に『いじめの社会理論』(柏書房)、『いじめと現代社会』(双風舎)、『学校が自由になる日』(雲母書房、共著)『ニートって言うな』(光文社新書、共著)他。
